アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

.仮に、旅客機を制圧したテロリストが都市部への墜落による攻撃で、多数の人命を奪うことを目論んでいるとします。
 テロの進行を止めるためには、旅客機を撃墜するという選択肢しか国防責任者に残されていなかった場合、その判断は許されるでしょうか?

 犠牲者が出るのを最小限にとどめるために、助からないとわかっている旅客機内の乗客の命は犠牲にするしかないとすれば、撃墜は正しいのでしょうか。
 だからといって乗客の人命が1人の人間の判断によって失われることが許されるのでしょうか。
 国防責任者がハイジャック機の撃墜の決断をすることができなければ、その何十倍もの人命が失われます。
 旅客機の撃墜は仕方が無いことなのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • ルールにとらわれず自分の答えを出してみてください。

      補足日時:2016/05/25 17:44

A 回答 (9件)

回答する前に、時期的に警察から要注意人物として監視される可能性があるので、サミット中やオバマ大統領の訪日中はテロ関連は自粛した方が良いですよ。


警察は精神疾患だからという言い訳は通用しませんし、実際に収監されている人の中には精神疾患や知的障害の人が何割かいます。

>その判断は許されるでしょうか?
許されません。他人が許すと言っても、命令を下した人間は死ぬまで自分を許しては駄目です。

>旅客機の撃墜は仕方が無いことなのでしょうか?
はい。
多数を生かすために、少数を犠牲してしまう状況もあります。それは仕方ありません。
仕方ないから事と許す事とは違います。
    • good
    • 0

撃墜しなくて墜落した場合の人的物的被害・損害に対して、その批判はそのハイジャック犯に向けられます。


一方撃墜した場合は、その全責任および批判の矛先はその撃墜命令を出した側に向けられます。
なので、その批判のウエイト(本音で言えば損得勘定)次第かと思います。
    • good
    • 0

まあ、こういう話って正解はないよ。



質問が、9.11のような状況を示しているのだとしたら、アメリカなら躊躇なく撃墜するでしょうね。
何1,000人の命が助かるなら、旅客機の乗客の命は仕方がない。
ただ、もちろんギリギリまで粘って乗客救助に働きかけるのは当然だけど。
    • good
    • 0

>この質問はもともと学生が討論したテーマを元にしています。

そこでは既成の法律などにとらわれず自分の考えに基づく議論がなされました。今回の質問もそのような回答を受け付けているだけです。

そのような意図であれば、質問の最初にその旨を提示して下さいね。後出しはダメです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私は完璧な人間ではありませんし、そんな人間は怖いでしょうね。
ダメということはないでしょうが、大変失礼いたしました。

お礼日時:2016/05/25 19:52

>ルールにとらわれず自分の答えを出してみてください。



まず、貴方のルールにとらわれない主張とはどのようなものなんでしょうかね。お聞かせ下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

すみませんがあなたの言っていることがよくわかりません。私は特に主張はしていません。
「ルールにとらわれない主張」の意味がわかりません。質問サイトでは聞きたいことを聞くことが目当てであって、主張はしてもいいのかもしれませんが、この質問に主張はありません。
この質問はもともと学生が討論したテーマを元にしています。そこでは既成の法律などにとらわれず自分の考えに基づく議論がなされました。今回の質問もそのような回答を受け付けているだけです。

お礼日時:2016/05/25 19:40

当然ながら、撃墜するでしょう。


ダイハード物語 何か、実際には皆無ですから。

その旅客機の搭乗者は、いずれにしても 目標地点では、
死亡する事になりますから、それなら 撃墜の選択のみ
ですね。

仮に、その旅客機に 核爆発物が搭載されていたら、放置する
と、最悪の事態を招きますので、ちゅうちょ無く、撃墜です。

搭乗客 と そのご家族 には、アンラッキーな出来事
ですが、全てを丸く解決する ことは、不可能です。
    • good
    • 0

許すのは誰でしょうか?



もしも撃墜された航空機に載っていた乗客の遺族であれば許すことはないでしょうし、
墜落による被害を免れた都市に住んでいた人であれば、苦渋の判断であったことを認めた上で英断を賞賛するでしょう。
テロリストからすれば自らの作戦を失敗させた憎むべき判断であるのと同時に、同胞の生命を厭わない悪魔の決断を非難するでしょう。

評価は立場によって相対的なものになります。絶対的な評価などありません。

それとは別に、為政者は時として「小を捨てて大に就く」決断を迫られる時があります。失われる命はどうあっても贖うことは出来ませんし、「大勢の命を救うためなら少数の命の犠牲はやむを得ない」ということもまた絶対ではありません。
絶対ではありませんが、そういう判断はしばしばなされます。ですが、その決断を責めることも、許すことも、誰にもできない。私はそう思います。

そういうときに人は「神」のようなものを必要とするのかもしれませんね。
    • good
    • 0

確かに少しの犠牲者で済むなら仕方ないかも知れませんがあまり賛成できませんね、なぜなら、愛してる人が乗っていたら撃墜しないで他の方法も考えるだろうしね。

この質問ないなら撃墜有りです。
    • good
    • 0

911の時にまだ飛んでいる旅客機が都市部等に向かっていれば、大統領は撃墜命令を出したでしようね。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8A%E6%80%A5 …

「刑法における緊急避難は、人や物から生じた現在の危難に対して、自己または第三者の権利や利益(生命、身体、自由、または財産など)を守るため、他の手段が無いためにやむを得ず他人やその財産に危害を加えたとしても、やむを得ずに生じさせてしまった損害よりも避けようとした損害の方が大きい場合には犯罪とはならない(違法性が阻却される[1])というものである。日本では刑法37条1項本文に規定されている。」
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!