街中で見かけて「グッときた人」の思い出

太平洋戦争で日本は悪いこともしたが。良い事もしたという政治家が発言し物議をかもします。
台湾での一部の功績は分かるのですが、他に戦時中に日本がよい事をした。というような事例はあるのでしょうか。

A 回答 (18件中1~10件)

歴史の見方は人それぞれです。


「動機に少しでも不純な点があれば、どんな業績も一切評価しない」という韓国などの主張もあれば、
「日本の業績の、後の歴史への影響を冷静に評価する」という東南アジア諸国の考え方もあります。

皆さんのご回答に付け加えて私が評価できるのではないかと思う日本の業績は「人種差別撤廃」を世界に向けて宣言した事です。

当時日本が進出した東南アジア地域は、ことごとくが
欧米の植民地でした。

ミャンマー(ビルマ)イギリス領
マレーシア     イギリス領
シンガポール    イギリス領
ブルネイ      イギリス領
ベトナム      フランス領
カンボジア     フランス領
ラオス       フランス領
フィリピン     アメリカ領
インドネシア    オランダ領
東ティモール    ポルトガル領
タイ        当時も独立国として日本と同盟

大東亜共栄圏という理想について否定的な見方があるのも知っていますが、パリ講和会議にて日本が提案した「人種差別撤廃条項」を理不尽に葬り去った(怒!)欧米よりも過酷な支配を、日本がこれら東南アジア地域に強いた、というわけでもありません。

日本の衛星国としつつも、これらの多くの地域の独立を支持し、各国の指導者を集めた大東亜会議では、絶対に欧米が認めなかった「人種差別撤廃」を宣言しています。そしてこういった経緯が、日本敗退後再び元の宗主国に支配された東南アジアが独立を勝ち取っていく精神的下地となっていた事実があります。東南アジア各国の指導者が、様々な折にそのような日本への評価を語っています。

http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/index.html

なお日本による台湾韓国の支配は、太平洋戦争のずっと以前に確立したもので、当時の国際社会からも承認を受けた正当なものでした。「ハーグ密使事件」もどこの国も相手にしませんでしたし。
というわけで、台湾韓国での話はすべて日本の当時の内政です。インフラや社会制度の整備をしっかりやってました。後の韓国人(当時は日本人だった)にとっては功罪両面あったでしょうが「良いことは何もしなかった」というのはあまりにムチャクチャです。まあ、意固地な韓国人は皆そう言うんですが・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございました。とても参考になりました。
日本が「人種差別撤廃」を世界に向けて発信したことが国際的に認められるなら、その事実を少しずつでも世界に発信できたら、太平洋戦争という悲劇にも、多少なりとも希望が持てるような気がします。

お礼日時:2005/04/28 18:14

まず、物議をかもす発言というのは、


大抵の場合なんの脈絡もなく政治家が発言するわけではありません。
講演会やセミナーのようなものが発言場所のこともありますが、
記者会見やインタビュー等の発言の場合は、
記者やインタビュアーが物議をかもす発言を引き出す質問をしているという視点も考えてみましょう。
もちろん悪い悪いと言われて良いこともあったと発言してしまう政治家の迂闊さも忘れてはいけませんが・・・

それから、良いこと・悪いことという場合には、
なんらかの視点・思想が前提となります。
戦争が絶対悪と考える人にとっては戦争にかかわることは全て悪でしょうし、
歴史学者や国際法学者にとっては時代背景やその時点での国際法に則って判断するでしょう。
(参考までに国際法上は現在にいたるまで紛争の解決手段として戦争は否定されていません。)
まずは自分がどのような立場で判断するかをよく考えないといけないでしょう。
また判断するためには直接的な事象だけでなく、
周辺の情報もできるだけ多く知るようにしましょう。


以下は上記のことをよく考えた上で、参考にしてください。
興味を持ったらネット上にいくらでも情報はありますので。


まず、台湾での功績をあげていらっしゃいますが、
これは台湾で日本の功績が評価されているからでしょう。
(もちろん評価していない人も多くいるでしょうが。)

同様に日本が併合した朝鮮半島については、以下の事実があります。

上下水道・鉄道・道路・病院・警察・学校などが造られましたが、
これらの予算は朝鮮総督府の予算ではなく、日本の国家予算で造られました。
当時の朝鮮半島の税収は総督府の行政執行予算に足らず、
それらの予算も日本の補助金および日本市場で調達された公債でまかなわれました。
(当時の金額で千数百万から二千万円)

焼畑農法で禿山が多く、大雨によりしばしば洪水が起こっていたため、
5億9千万本の植林を行い、治水開墾事業により、
耕作面積・収穫高ともに倍増以上。
人口は併合時の約1,313万人が1944年時点で約2,512万人と倍増しました。
学校ではそれまで普及していなかったハングルを教育に導入しました。
なお、1911年の朝鮮教育令では朝鮮人・日本人の区別なくハングルは必修科目です。
朝鮮語教育については基本的に1941年に教育令が改正されるまで実施されています。

これらの事実については、韓国でも確認できるはずですが、
大日本帝国は史上最悪の暴虐と搾取を行ったことになっています。
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この回答へのお礼

客観的なご意見ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/05/09 10:04

#5です。



>日本の歴史も戦争の歴史だと思います。でもその中で文化や文明が作られ、日本という国をカタチ作って来ました。

その通りです。だからといって,戦争をすれば文化や文明が発展する,という類の結論を出す輩がいることを忘れて発言する事は危険だと思います。質問者の「政治家の発言」は,この類の発言に通ずるものがあるように,私は考えます。この発言には,必ず,「事実だけれども・・・」,と言う否定的な語句を付加するべきだと思います。例えば,この質問に対する一連の回答を見て,回答者の意図と関係なく,「日本人のほとんどが,戦争を肯定している」という風に,意図的に歪曲してとらえる人たちがいると思います。そして,多分,そういう風にとらえることを得意とする人たちを政治家というのでしょう。

>その悲惨な戦争の中にも美談や教訓があったと僕は感じています。

しかし,戦争中に生まれた美談や教訓は,よくよく考えてみると,いくさや戦争を専業とする人達(例えば,武士,軍人,又は戦争の主体者である為政者)の立場から見た美談であり,それらの人達に対する教訓です。歌にもなった広瀬中佐の美談などは極端な例かもしれませんが・・・。つまり,戦争を正当化するために美談が必要であった,とか,後々に戦争をする人達の為に教訓を残した。という類のものだと私は考えています。
確かに現在の社会が当時の社会構造に酷似している(例えば,主君と家来は経営者と労働者,戦争は営業による顧客争奪戦,の様に)事によって,現代社会でも通じる事があるのも事実です。しかし,それを美談や教訓として認めることが,今後の日本の方向性に対して,良いことに通じるかというと,甚だ疑問です。

即ち,戦勝国とか敗戦国とか関係なく,(当然,日本がとか,アメリカがとか,関係なく全ての国を対象にして)「戦争は,良いことは何もしない」と言う立場を取る必要があるのではないでしょうか。つまり,そういう美談を美談として認めてはいけないと思います。それでも,前述のような輩の存在によって戦争は起ってしまった,或いは,起こってしまうものなのでしょうが・・・。
もし,万が一,戦争が起こりそうなとき,や,戦争が起こってしまった時に,これらの美談や教訓を活用することについては否定しません。そのための教訓ですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2005/05/02 10:28

 #1 の Sombart です。

なんか変な方向に話が行きがちなので、補足。

 こういう話は結果論として考えるべきで、#6 で韓国の姿勢として述べられているように、動機を問題にしたり、ましてや倫理やら個々人の行動やら相手がどう思ったかなどの感情論を持ち出すと、話が変になるだけです。
 質問者の nakata-san の言である「太平洋戦争で日本は悪いこともしたが。良い事もした」という言葉は、結果論として取らないと意味不明です。主語が「日本」であって個々人がどうという話ではありませんし、歴史の評価なのだから結果が何をもたらしたのかという観点が主である話ですし。(もっとも、ほんの数年前までは、日本は悪だったという発言がまかり通り、「良い事」に言及すると、発言自体が批判されるという異常な状況でしたから、クールに結果を評価することが難しかったのですけれど)

 結論として、上記の観点からまとめると、皆さんが挙げているものとしては、以下の項目があるということですね。

 ・植民地からの独立支援
 ・土木工事などハード面のインフラ整備
 ・教育などソフト面のインフラ整備
 ・人種差別撤廃の運動
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/05/01 17:45

この問題に答えるには、「良い」というのがどういう意味か、明確にしないとならないと思います。

意志はともあれ、良い結果を齎した、という功利的な意味なのか、或いは倫理的に良いという道徳的な意味なのか、これが無意識的に、或いは意図的に混同されているからです。

まず功利的、つまり「好ましい結果を与えた」という意味なら、日本は幾つか良い事をしています。植民地における戦時インフラ整備は韓国や台湾の戦後発展にプラスの結果を与えた可能性がある(収奪もあったのでマイナスであった、という意見もある)。

インパール作戦はインド独立に結びついた。大東亜戦争が東南・南アジアの人々の独立心を刺激し、戦後の自立に影響を与えた。

これらは「良い」結果ですが、では日本は倫理的な目的からこの戦争を行ったのでしょうか。心からアジア解放を願って戦に出かけて行ったのでしょうか。

もちろん、そう思って出征した兵士もいるでしょう。しかし記録を調べて見ると、そうとは思えず、日本は「自国民のために」、そして後半では「天皇のために」戦争を行っていた事が分かります。

人種差別撤廃宣言にせよ、それはあくまで「白人からの日本人への差別」を撤廃させるために発したものであり、その証拠に日本人の「シナ人」「チョン」への差別は戦争中、存在し続けました。

アジア解放を謳って開戦したにせよ、占領地の中で実際に独立させたのは一国もありませんでした。これから分かるように、日本政府はアジアを助けるために開戦したのではなく、あくまで自国の利益のために太平洋戦争を行ったと考えるのが自然でしょう。

倫理的には「良い」は相手側にたち、相手の望む事をする志をさします。相手に望まれもしないのに他人の家に押しかけて行き、批判されると開き直って「おれは良いヤツだろう」と豪語する人は良い人とは言えないでしょう。その意味で、太平洋戦争は「悪い」戦争だったと言えるかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/05/01 17:35

政治的には、良いことも悪いこともひっくるめて、サンフランシスコ講和条約、日中、日韓、などの2国間条約で、処理されているのです。


その条約に従って、日本の戦後処理が終わり、国際関係が進展するのです。
政治家が、発言するということは、国内だけでなく国際的にも影響のあることは、自明のことですが、もちろんそういうことさえわからない政治家を選んでいる国民の責任もあります。
再度、そういう発言を、政治家が行うということは、日本が結んだ条約について、クレームをつけることです。
日本は、戦後国家としての、国家的利益、国民的利益を積み上げて、奇跡の経済成長を成し遂げました。
戦後国家の基礎になる条約について、クレームをつけるということは、戦後の利益、国民的利益だけは認めるが、その基礎を認めないということです。
基礎を双方が作り上げてきたのに、良くなったとたんあの基礎は間違ってましたと発言するのは、信義に反すると思います。
もちろんその基礎について、国民に詳しく教えない政権もおかしいですが。
同じレベルの政治家が日本にいる事自体、国家的利益を失う危険性があると思います。
日本としてではなく、日本の軍人としては善行をする人たち、独立を支援する人たちもいたでしょう。
しかし国家としての日本は、それも含んで戦後再出発したのですから、またそれをも含んで見直しすることを、亡くなった人たちが望むのでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/05/01 17:08

#5です。


私の勉強不足の為でしょうか,回答に対するお礼で

>でも、歴史も戦国時代になると、どんどん良い部分が出てくるのが不思議です。

の意味が不明です。補足をお願いします。
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この回答へのお礼

すいません。言葉足らずで。
日本の歴史も戦争の歴史だと思います。でもその中で文化や文明が作られ、日本という国をカタチ作って来ました。その悲惨な戦争の中にも美談や教訓があったと僕は感じています。

お礼日時:2005/05/01 17:27

NO.7です。

再び回答致します。

 実はNO.9の方が回答された事を書こうと思っていました。なのでもう少し詳しく書こうと思います。

大東亜戦争中、インパール作戦というのがありました。ビルマ(当時)駐留の陸軍第15軍が北部のインパールを攻略しようというのがインパール作戦でした。司令官・牟田口廉也中将は補給の現実を無視し、
10万の内戦死者3万、傷病者4万。全く無謀な作戦であると戦後ガダルカナル戦と並んで、評されています。

 確かに、インパール作戦に関わらず、日本軍の作戦には現実を完全に無視した精神主義が多く、多くの兵士が倒れて行きました。

しかし、この時インド独立の志士、スバス・チャンドラ・ボースもイギリス軍と戦っていたのです。チャンドラ・ボースと言えばインドではマハトマ・ガンジー
と並んで敬愛されているインド独立の志士です。戦後
1946年、台湾から発った飛行機事故で亡くなりました。

 日本軍は東南アジア侵略
 チャンドラ・ボースはインドの独立

双方が目的・戦略が違う呉越同舟であったと思います。しかし共通の敵・イギリス軍を相手に戦ったのは事実なのです。

 戦後インドは独立し、1947年日印平和条約が結ばれるわけですが、その骨子は
 1.インドが日本に対する賠償請求権の放棄
しかも、
 2.インドにあった日本資産の返還
であります。当時、インドが敗戦後の日本をどう遇したか分かるエピソードです。

 
 日本は大東亜戦争のみならず、日露戦争以降恐れ多くも多大な人命を失いましたが、植民地解放・民族独立の気運を早めるのに大きく貢献した。これも歴史的事実です。


 清水馨八郎と言う方が書いた『白人の世界史 500年も世界で何をしたか』(徳間書店)。この本を名前だけは私、知っていて読んだことはないのですが、それはそれはひどいものです。白人のやってきたことは。つまり、黄色人種・イエローモンキーの日本人が
白人に立ち向かっていったのが日露戦争であり、大東亜戦争でした。

 中韓・北朝鮮だけが国ではないのです。日本に感謝している人々も数多くいます。これが、事実です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
このような事が、東京裁判でのパル判事の発言に繋がっていくのかなと、思いました。

お礼日時:2005/05/01 17:05

 中国戦線で非人道的行為を実際に行なった人々(現在でも何十万人か生きておられて、選挙権を持っておられるはずです。

)は、自分のした行為・戦友のした行為を見過ごしたことなどに、深い自責の念と心の傷を持っています。
 ですから、よい面もあったとの発言に心救われる思いから、その政治家に投票・献金したりもします。

 どんな行為でも、大規模なものであれば、その行為によって社会自体が変革してしまい、その社会変革を良しと感じる人が出てきます。しかし、それを取り上げてよいことをしたとは言えないでしょう。
 小さな例でいくと、あまり適当ではないかもしれませんが、金持ちのたんす預金を盗んで、競馬で全部使ってしまった場合、馬券の売り上げの一部は、公共のために使われるのだから、良い面もあると言うようなもの?かなと思います。

 詭弁は政治家の専売特許ですが、その結果として今現在国民が納めた税金を元手に行なっている国際援助の効果が、無になっているとしたら税金の無駄遣いです。私は、中国に対して行なった数千億円の無償援助が、一部政治家の国内支持者向けの発言によって無駄になったと感じています。

 個人のレベルでは、日本軍人の美談は探せば多くあるでしょうが、日本軍全体として見れば、前線の兵士への食糧補給さえ出来ないほど戦争維持能力のない状況の中で、戦闘相手国の民間人・捕虜への十分な人道的対応が取れた筈がありません。相手が良いことをしてくれたと感じるような行為をするだけの余力は、持っていませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうごじました。参考になりました。

お礼日時:2005/05/01 16:49

太平洋戦争というのは、19世紀にボリビアとペルーが太平洋への出口を巡って争った戦争ですので日本は参戦してません。



戦争というものは、両方の当事者にとって正義なのですから、良いことか悪いことかは、どちらの立場に立つかにより答えは変わります。

台湾において戦時中といっても、どの戦争かがよくわかりませんが、当然、日本領土として防衛手段をとったのですから、日本にとっては良いことをしていることに間違いありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
太平洋戦争という呼称については、僕も、もう一度調べてみます。

お礼日時:2005/05/01 14:46

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