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生涯、秀句は1句あればいい。3句もあれば大家であるといえる。
という趣旨のことをいったのは松尾芭蕉ではないかと記憶しているのですが……正しい話者と、正しい言を、お教えください。

A 回答 (3件)

 こんばんは。



 「翁凡兆に告て曰、一世のうち秀逸三五あらん人は作者、十句に及ぶ人は名人なり」

 芥川龍之介『芭蕉雑記』の「四 詩人」より。

 芥川は出典を明示していません。凡兆が編集した『猿蓑』か、『書簡』か何かだろうと思います。ちなみに、『去来抄』『三冊子』『旅寝論』はざっとみたところ、ありませんでした。でも、熟読すればあるかも(でも、三冊とも芭蕉のことを、「師」「先師」と読んでるんで、ちがうかも)。

 情報が充分じゃなくてすみません。芥川が写し間違いをしてる可能性だってありますしね(大丈夫だと思うけど)。

 でも、言った相手が凡兆だってことが、なんとも示唆的ですね。

 付けたりに、堀辰雄さんの『雪の上の足跡』に出てくる凡兆の句を、

 鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ
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この回答へのお礼

ありがとうございました。このところ何度もご回答を頂戴し恐縮しております。
<翁凡兆に告て曰、……>正解かも知れませんね。

No.1の方が検索してくださったのは私のカキコで、やはりクレジットがないと半信半疑です。

ひとかどのものを作るには、ひとかどの人間でなければならない――Johann Wolfgang von Goethe (1749~1832) などもドイツ語の原文を探しているのですが十五年以上、不明のままです。

書くことは、教え(伝え)ること、相手を喜ばすこと、及びそれによってひとを行動させること――キケロ
の原文も見つかっておりません。

お礼日時:2005/09/14 23:12

 #2です。

書き忘れました。

 句の数が違うんで、これじゃないかもしれません。私も「1:3」だったと記憶しているんで……。引き続き探そうと思います。
 でも、「1:3」より「3-5:10」のほうが、少し嬉しいですね(あんまり変わらないんですけどね)。
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 下記のメルマガ掲示板から検索されましたが、愛好家が引用している


だけで、根拠となる芭蕉や虚子の原典は、ネット上では未確認です。
 あなたが孫引(まごびき)される場合には“出典未詳”の註釈を。
 
── 芭蕉は「秀句は一句あればよい三句もあったら大家である」虚子
は「佳句は一句あればよい」といってますが先生のところには「秀句」
が溢れており吃驚しました。ご健吟ください。
 
一様投稿者のお名前は「あの~る」となっておりますが、もし辻桃子氏
であれば、感激です。
── 山田 正明《案山子の草庵 20031120 インターネット俳句会》

参考URL:http://kakashi007.ld.infoseek.co.jp/vol_%5B39%5D …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

これ何年か前の私のカキコです。
まぁBBSですから芭蕉も虚子もクレジットが不鮮明のままに使っていました。
……案山子さん重篤なご病気からカムバックしたようで一昨日メルマガが参りました。

お礼日時:2005/09/14 08:11

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