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マッカーサー来日に際し、マッカーサーに何万通ものファンレターのような手紙が届いたと 平成教育委員会でやっていたのを見ました。
戦中、鬼畜米英が常識化していた日本なのに、戦後になってすぐに随分突然に自由な気持ちの持ち主が多かったのだな~と不自然に感じたのですが、このエピソードに関して、何故このような人気マッカーサーという状況が生まれたのか、その手紙の内容など、ご存じの事や書籍やURLなど、ご存じの事がありましたら書き込みいただけたらと思います。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

来日を歓迎して、何万通ものファンレターが書かれたかどうかはわかりませんが、占領期に推定50万通ものファンレターが書かれたようです。



戦争中の状況は、思想的には鬼畜米英でしたが、戦争で親類が戦地で次々亡くなる、空爆を受ける、食事も満足にできないなど、今では想像もできない悲惨な生活でした。もちろん、口に出してはいえませんが、
戦争の末期になって戦争に勝って鬼畜米英を撃滅することよりも一般の庶民にとって日々の糧を得ることのほうが重要だったのではないでしょうか。
 また戦後、その戦争を引き起こしたのはやはり日本の軍人であり、指導者層への批判は憲兵がいなくなり、口に出して言えるようになった。

 食事を配給し、意見をいえる民主主義を作ろうとしているマッカーサーに対する尊敬が集まるのも無理ありません。当時の岐阜県会議長などは「日本の支配層はまったくだめなので、属国にしてほしい」との手紙を書いたほどですし、マッカーサーに「ファーザー・チャイルド・リレーションシップ」を結びたい、つまり、「あなたの子供を産みたい」との手紙が女性から何百通も寄せられたそうです。このような雰囲気は全国にあったのではないでしょうか。マッカーサーへのファンレターや、占領期の日本人アメリカ観についてよくまとまっているものとして、お手軽なのは『どうしてアメリカは嫌われるのか』桜井哲夫ちくま新書がよいと思います。詳しくお知りになりたい場合も、引用文献もきちんと出ています。

何かあれば補足します。
 
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マッカーサー来日(1945年)じゃあなくて、マッカーサー離日(1951年)のときですね。

来日のときのマッカーサーの滞在地について大部分の日本国民が知っていたはずはないですから。
1951年大統領トルーマンによってマッカーサーが解任されたとき、マッカーサー宛に何十万というファンレターが届いたそうです。詳しくは参考URLを参照ください。

参考URL:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/makkasa. …
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そんな番組の放映されたんですか?何かの誤解では?と思いたいです。

戦勝国の司令官にファンレターなど書くはず無いし、書くような事思いつく時代では有りませんヨ!但し、日本就任後数年で人気が出たことは事実です。マッカーサーでよかったと・・・占領政策が上手だったんでしょう。~東京裁判(戦勝国が敗戦国を裁いた)は最悪でしたが、彼一人の裁量ではなかった事も事実です~
TV番組は視聴率を稼ぐ為無責任な放映をする事も知りましょう!
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マッカーサーが初めて厚木に降り立ったときに、飛行場で万歳をして迎えたのは文部省の役人達だけだったという話を聞いた事があります。


他は、男は皆殺し、女は強姦されるとおびえていました。
ファンレターは、マッカーサーが軍政を行い、その成果を支持されてのことではないでしょうか?
その後、朝鮮戦争で朝鮮に上陸し、共産勢力を打ち破ります。
マッカーサーは朝鮮半島を統一、トルーマンは朝鮮分断と大きく意見が食い違い、解任されました。
その時期では無いでしょうか?

もしも厚木の時点で何万通ものファンレターを貰っていたとしたら、役人が強制的に書かせたと思うのですが。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/makkasa. …
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