「クリミア戦争(1853-56)直後、オーストリアは経済的にも立ち遅れ、あまつさえロシアとの関係を悪化させた」というところでつっかかっています。これは関税同盟などが首尾よかったプロシアとの比較において語られています。ですが、オーストリアが当時ロシアとの関係がよくなかったとは記憶にありません。これは「大ドイツ主義」と「小ドイツ主義」との対比を解説した読み物です。

ロシアとの関係を悪化させたかもしれないオーストリアの外交の事例を調べています。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

オーストリアが、対プロシアに集中していた時期は、ロシアの支援を受け、ドイツ問題で有利に展開していました。


この時は、オーストリアとロシアは、蜜月状態でした。
1848年の、ハンガリーの反乱に際し、ロシアに支援を求め、ロシア軍により反乱を鎮圧しています。
1850年のオルミュッの協約は、ロシアの支援を受けたオーストリアが、プロイセンに最後通告を宣言し、プロイセンを屈服させ、プロシアによるドイツ統一を阻止しています。

この後しばらくは、ドイツ連邦は、オーストリア・ロシアサイドで運営されます。

オーストリアとロシアの友好が崩れるのが、ロシアのトルコ宣戦布告と、それにともなう、ロシアのバルカン半島侵攻です。

バルカン半島において、ロシアは、オーストリアとロシアによる共同支配を提案していましたが、オーストリア側は、バルカン半島の主たる民族が、ロシアと同じスラブ民族であり、このころ、スラブ人の民族意識が高まっていたため、ロシアとの共同支配となった場合、支配化のスラブ人が、ロシア側に走ってしまう事を危惧していました。

1853年に、ロシア軍がルーマニアに侵攻するに及び、オーストリアとロシアの同盟関係が崩れ、1854年のクリミア戦争で、決定的となります。

これには、ドイツ国内でのプロイセンの立場を有利にするために、プロイセンのビスマルクが、ロシアとの関係改善を行い、ロシア側に、オーストリアとの離反によるダメージを軽減した事も、原因のようです。
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この回答へのお礼

ダニューブ侵攻がオーストリアを怒らせたんで、英仏と組んで、それが逆にロシアを怒らせたちゅうわけですね。ところで punctation って何ですか、ウィキペディアさん。
おおきにです。

お礼日時:2006/06/24 11:05

質問者様が引用された文から判断すると、オーストリアとロシアの関係が悪化したのは、クリミア戦争そのものだったと思うのですが。



#1さんが仰るように、もともと両国の関係はそんなに良いものとはいえません。それがナポレオン戦争~神聖同盟~ウィーン体制と協力関係にあったのは、一時的に両国の利害が一致していたからです。

その関係が悪化するのは、まさにクリミア戦争でした。
それまではフランスから波及した革命の気運を警戒して、同盟状態にあった両国ですが、クリミア戦争でオーストリアが英・仏を支持してロシアに対立する構図になります。

1848年のオーストリアでの革命時、ロシア軍の援護によって事態が沈静化するなど、ロシアに対して恩があったオーストリアでしたが、オーストリアとしてはロシアがバルカンに出てくるのはやはり我慢できなかったようです。

いつ自国を襲ってくるかという脅威もあるし、ここで英・仏についた方が後々有利になるという目論見もあっただろうし、対ロシアよりも対英・仏の方が脅威だっただろうし…そんな理由でロシアに対してワラキア・モルダヴィアからの撤退を迫り、ロシアはそれに応じた、という流れになります。

で、そこからしばらくはオーストリアは動かなかったのですが、ニコライ1世が病死して、セヴァストーポリが陥落して、ロシアが負けモードになると、オーストリアが参戦して、その翌年ロシアが降伏します。

結局、オーストリアの参戦は、連合国にとって一番大変だったセヴァストーポリ戦後だったことから、連合国に特に評価もされず、ロシアからは反感を買って踏んだりけったりな感じになる、と。

以上のことから、疑問にはお答えできたのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

1848年のオーストリアでの革命時にオーストラリアはんを助けたったのに、戦争になったら中立を守らへんのはなんでやねん!がロシアの立場だったちゅうわけやな。おおきにな。

お礼日時:2006/06/24 11:09

その”上記の内容”をもっと詳しく書いてくれないと


具体的に著者が何をさしているかは
類推するのは難しいですが、
クリミア戦争後の出来事ということを考えれば
露土戦争とベルリン会議でしょうね。
英・墺がサン=ステファノ条約の破棄を迫って
外交関係は険悪になります。
1878年のベルリン条約の内容と経緯を
調べれば、疑問は解消するかと。
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? オーストリアとロシアの外交関係は


往々にして悪いものです。
というのも両大国は国境を接していただけでなく
覇権国家として勢力範囲が重複していました。

争点は時代によってこもごもありますが、
主なものは、まずポーランド問題。
これは直接・間接の領土紛争ということですが
ポーランド領をめぐっては
プロシア、ロシア、オーストリアは
18世紀からずっと互いに争いけん制しあって
しばしば戦争の原因となりました。
オーストリアはロシアとは同盟関係だった時も
ありますが、潜在的な敵国です。
ハンガリーとロシアの国境線はしばしば変更を
余儀なくされています。

第二は、バルカン問題。
汎スラブ主義と汎ゲルマン主義の対立関係は
オスマン=トルコの領土が縮小を始めた頃から
激しい対立となって顕著になります。
神聖ローマ帝国はヨーロッパへの外敵の侵入を
防ぐことから形成された帝国であるといえるわけで
その意味でドイツ人とスラブ人の対立は
ドイツ騎士団領のころからあるわけですが、
トルコの撤退で、ロシアとオーストリア両国の
影響力がバルカン半島に流入して
要するにバルカン半島の支配権を巡って
南下するロシアとオーストリアは敵対するわけで
これが結局は、第一次世界大戦の引き金となります。
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この回答へのお礼

おかげさまで1次大戦までの伏線となる露・オ関係の潜在的な敵対関係が浮き彫りになりました。
多分筆者は上記のように書いたとき具体的な歴史イベントが念頭にあったと思いますが、どういったものが考えられるでしょうか?

お礼日時:2006/06/23 18:52

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