プロが教えるわが家の防犯対策術!

あなたが傑作だと思う芸術作品とその作者を教えてください。時代やジャンルはまったく問いません。
個人の持っている技や自然景観のようなものでもよいです。いくつでもかまいません。
感動体験や思い入れなども書き添えていただければうれしいです。なるべくたくさんの皆さんの
お考えや意見をききたいです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

文学:藤原定家 (新古今和歌集(およびその時代)を代表する詩人)


作品:勅撰集の選歌を中心とした歌歌
例 :霜まよふそらにしをれし雁が音のかへるつばさに春雨ぞ降る
解説:やまとのくにに来る時・去る時、自然に苛まれる哀しさ。「霜」ではじまるものの歌の季節は春と云う強盗(がんどう)返し、あくまでも架空、歌枕で構築する形而上の芸術、31文字に収斂され封じ込められた宇宙。倭歌<やまとうた>こそは史上最強の芸術…

音楽:ブルックナー
作品:第9番までのシンフォニー
解説:ベートーベンが後世に謎かけた交響曲の一つの達成。第3「英雄」で解き放たれた絶対音楽と、第5「運命」の構築性と第6「田園」の標題性との分裂。第9における声楽採用による交響曲の創造と破壊。標題性はマーラーに継承される。更に声楽封入はヨーロッパの芸術の故郷であるギリシャ悲劇さえ髣髴させて、ワーグナーの楽劇に昇華。そして絶対音楽の究極の構築性はブルックナーのシンフォニーに結晶。

映画:ルキノ・ヴィスコンティ
作品:ルートヴィッヒ、地獄に堕ちた勇者ども、家族の肖像、あまた
解説:ブルジョアの出自なるも反体制的イデオロギーを標榜。ヨーロッパの終末を美的にテーマと映像に描破。滅びるものは、滅びに値するだけ美しく、美しくなければ滅びることはおろか、もとより存在していることさえ認められない。人間の苦悩を謳う哲学と、映画として美しい映像造りの融合。

絵画:セザンヌ
作品:リンゴとオレンジ、水浴、など
解説:印象主義で破壊された絵画芸術の再構築。色と形と云う概念的造型美。先達の継承と発展と批判と、後世への課題を放出。19世紀を総括し、20世紀前半の絵画史を決定した巨人。

今回はこのくらいです。
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この回答へのお礼

hyper-teikaさん、回答ありがとうございます。
小生はもう若くはないのですが、いままで、同じ人や同じ作品を繰り返し繰り返し鑑賞していた
ので、もうすこし違う作品のよさも分かるようになりたいと思って、このような質問を投稿しま
した。鑑賞のさまたげになると思って解説書や芸術史に類するものは、ほとんど読んでいません
でした。それが、結局、我流鑑賞の狭い世界に自分を閉じ込めてしまったようです。和歌も好き
ですが人麻呂や西行をまったく自分流に鑑賞していました。
ご回答の内容は簡潔で分かりやすく、とても興味が刺激されます。ありがとうございました。
ところで「倭歌」は正しい(または歴史上使われてきた)漢字表現なのですか?
どうも「倭」という字が気になるのですが。(hyper-teikaというネーミング、、、いいですね)

お礼日時:2001/01/01 17:46

だいじな作品を忘れてました。


ピカソ「ゲルニカ」
人類が胸をはって自慢をできる傑作だと思います。

>1.他の方たちはどのような作品を優れた芸術と思っているのだろうか。
>2.私の芸術の理解や鑑賞の範囲は狭すぎるのではないだろうか。
>3.人に感動を与える芸術に共通性質はあるだろうか。あるとしたらそれは
>  何だろうか。
>こんなところです。

なるほど。
僕からすれば定義をもうけること自体が狭いように感じられますが。
つまるところ、風景や会話を楽しむように楽しめばいいものだと思います。
その上で「芸術」というカテゴリー自体がじゃまなんでは?
と思います。
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この回答へのお礼

oni_ocさん、ありがとうございます。

回答者の皆様、ありがとうございました。たいへん参考になりました。
ポイントは先着順とさせていただくことをご了承ください。

お礼日時:2001/03/11 12:45

芸術ってなんでしょう?


芸術以上に、定義の曖昧なジャンルを僕は知りません。

と、こんな僕は、マルセル・デュシャンの「与えられたとせよ、 1)ガス灯 2)流るる滝」が好きです。
これはデュシャン最後の立体作品で、口では説明できないような不可解なしろものです。

理由は、そのせいで余計にわからなくなったから(自由になったから?)です。

他にもいろいろありますが、際限がないので。


ところで、この質問の真意はなんですか?
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この回答へのお礼

oni_ocさん、回答ありがとうございます。とても参考になります。
> ところで、この質問の真意はなんですか?
stomachmanさんの「芸術って何?」という質問に触発されて考え出したんです。
1.他の方たちはどのような作品を優れた芸術と思っているのだろうか。
2.私の芸術の理解や鑑賞の範囲は狭すぎるのではないだろうか。
3.人に感動を与える芸術に共通性質はあるだろうか。あるとしたらそれは
  何だろうか。
こんなところです。

お礼日時:2001/01/18 12:06

聴くが早し!!The Beatlsのアルバム「The Beatles」これは、真っ白のジャケットで有名、通称ホワイトアルバムです。

後の三つは曲名です。「Yesterday」「Here There and Everywhere」「Strawberry Fields Forever」聴かなきゃ、人生で恋愛しないのと同じくらい損しますよ。(恋愛がとくかは意見の分かれる所だ)バッハのG線上のアリアでもかないません!!めっちゃしびれる!!!!!

あとは、戦前のギター、Martin社のD45と言うギターです。これは、聴く機会がもしあればぜひ聴いてくださいrhyguitars.comにそのギターの音が入ったCDが売っています。でも、なによりThe Beatlsの音楽を優先してくださいネ。
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この回答へのお礼

caballeroさん、回答ありがとうございます。
実は私は中年なんですが、中高生のときは毎日Beatlsにあけくれていました。ほとんど
全曲知っています。いまでもたまに「レコード」を聴くことがあるんですよ。
ホワイトアルバムは本当にいいですね。

お礼日時:2001/01/17 19:54

 芸術作品と言っても沢山ありますね。

絵画彫刻文学音楽書道・・・・。
 絵画ではオディロン・ルドンに感銘を覚えました。独特の色彩、特に華、あの色が個人的に好きです。地元の美術館(岐阜県美術館)でこのルドンの絵をコレクションしており、そこで出会いました。「目を閉じて」など、結構色が少ないのです。それでいてあの美しさはまさに凄いの一言に尽きます。しかし突き詰めていうと、直接の理由は本物を見たことかもしれません。文学などはともかく、基本的に芸術はやはり本物を見るのが一番なのだと思います。 彫刻、立体造形は絵画以上に、というよりは元来本物を実際に見ないとその良さは分からないものですね・・。彫刻は特定のものはありませんが、一つ私の意見を勝手ながら書かせていただきます。最近は大きい街なら道の脇などに立体造形の作品がおかれている事もよくあります。そういう街頭に置かれている余り注目されない作品の中にも「いいもの」は結構あります。地元の街の駅の近くに合計10以上の作品がありました。その中の一つが気に入り、駅の近くに行くときは結構よっていきます。今度街を歩くときは是非注意してみてください。
 文学はその性質上いくらコピーしてもその価値が変わる事はありません。(当たり前ですね)
 現代の文学もいいんですが、結構古典の作品も面白いですね。昔も今も「面白さ」というものの根本はあまり変わっていないのかもしれません。
 古典文学はやはり教科書に載っていそうなものが分かり易く面白いですね。「伊勢物語」「奥の細道」など、一度有名なものをお読みなると宜しいのでは?
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この回答へのお礼

schinclairさん、回答ありがとうございます。たいへん参考になりました。
私の芸術鑑賞の場所は専ら自宅か通勤途中なのですが、今後は美術館やコンサートに
足を運んで、なるべく本物を鑑賞するようにしたいと思います。(定年後?)
これは再質問ではないのですが、平日にあまりいい作品に深入りしてしまうと、頭や心を
ビジネスモードに切りかえるのに本当に苦労します。ビジネスは何かと「金」の話が中心
なので「美」からは遠いです。(私自身に問題あり?)

お礼日時:2001/01/05 22:54

こん○○は、ハイパー定家です。


「やまとうた」に「倭歌」の字を当てるのは、私の個人的偏向であり、何ら歴史的根拠はありません\^o^/。
しかしご存じのように「倭」を「やまと」と訓むことは、古事記において例えば「やまとたける」に「倭建」と漢字を当てていますね。これが日本書紀になると「日本武(尊)」となりますし、地名も「大和」となってきます。それどころが国名が「日本」です。
個人的趣味を敷衍するならば、「和」を国風の表記とするは大和朝廷を髣髴させ、逆に日本書紀が意図的か消しさった「倭国」の「倭」をもって「和」に置換して、私は思想的に表記しております。

私は国粋主義者でも何でもなく、ただ、文学は言葉の芸術的構築物であり、言葉は発せられた時の音・響きもかなり巨きな要素であると思っております。また倭歌は短絡的に語れば、萬葉の自然、古今の人間、新古今の人工と、その世界が、進化か堕落か変遷していますが、日本語の言葉自体としては、上代語が好きですね。萬葉歌や祝詞などの、音が濁らず、音楽性と神神との交歓が織り成すシンフォニー… 逆に漢語が嫌いです。ですから「わか」は「和歌」ですが、あえて「やまとうた」と訓じ「倭歌」と表記する次第です。
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この回答へのお礼

hyper-teikaさん、再回答ありがとうございました。
漢詩も杜甫や李白が詠んだとおりに発音すれば、やはり美しいのでしょうね。
どうなのでしょう。

お礼日時:2001/01/05 23:09

私がアメリカでアートの勉強をしている時に訪れたニューヨークの美術館でたまたま展覧会をやっていて出会ったのですが、数々のFigure Paintingを見てもう涙がでそうになったほど感激したLucian Freud (1922- ) です。

感動を言葉で伝えるのはとても難しいのですが、人物画によくありがちなリアルくささがなく、柔らかな色彩など人間への優しいまなざしがあふれた作品だと思いました。イギリスやパリなどいろんな美術館を見回ってきましたが、ハッと息を呑ませた芸術作品はこれが初めてでした。街頭でのポスターや記事などからの情報が何もなく、いきなり“原画"を見たことがここまで感動させたのかもしれませんね。今は“ハイテク大国日本"に住んでいるので、現代美術館に行ったりするけれど、生粋の芸術を求めるのは日本では無理なのかなぁ~と最近は悲しいです。
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この回答へのお礼

PinkyMadamさん、ご自身の感動体験の回答、ありがとうございます。
小生は原画はあまりみたことがなく、図書館で美術本を鑑賞するのを常としています。これでは
本当の鑑賞にならないのですね。それと、自分でも描いてみるということをしないと、美への
感受性も作品の鑑賞能力も向上しないみたいですね。(違うかなあ)

> 生粋の芸術を求めるのは日本では無理なのかなぁ~と最近は悲しいです。
やっぱり日本は「ハイテク大国」で「文化芸術大国」ではないのですね。どうしてなのでしょう。
(別に大国でなくてもいいのですが)
人々の美への感性が鈍ってきているのでしょうか?

お礼日時:2001/01/01 18:03

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