プロが教えるわが家の防犯対策術!

あなたにはいますか?

周りにたくさんのひとがいますが、私はそういうひとに出会えてない気がします。
出会えてるかもしれませんが、気付いていないのかも。
色んな話をしますが、誰もピンときません。

どうすれば出会えますか?

今は好きなサッカーをして、小説を書いて、ヨガをして、哲学が好きでネットでそういう掲示板にいったりしています。

好きなことをして自分を磨いていれば出会えると聞いたので。

しかし女性にはもてるようになりましたが、一向にソウルメイトと呼べる、友達や、異性に出会えません。

色々なトコロに出向いて、これでもかというくらい出会いは増えましたが。
なにか問題があるのでしょうか?

A 回答 (6件)

「ソウルメイト」についてはいろいろな解釈があろうかと思いますが、基本的に縁の深い人、特に異性などについて言うことが多いかもしれません。

おそらくあなたの考える「ソウルメイト」というのは、「以心伝心で、何でも分かり合える人」というイメージをお持ちなのではないかと推定します。でも必ずしも、そうではないかもしれません。

「ソウルメイト」の言葉の背景には、「人間は本来永遠の生命を持っていて、何度も地上に生まれ変わっているのだ」という仏教的な転生輪廻の思想があると思います。そういう考え方からしても、同じ時代に同じ国に生まれて、家族になったり、友人になったり、知り合いになったりするだけでも、縁は深いのではないでしょうか。今世界に60億人の人がいます。その中で知り合いになれる人がどれくらいいるでしょうか。なんでもない出会いは実はものすごい確率の出会いなのです。だからきっと縁の深い人に違いないということです。これを昔から「袖触れ合うも他生の縁」というのです。「他生」とは、前世のことです。そういう意味では、今出会っている人たちこそ、あなたにとって大切なソウルメイトなのではないでしょうか。
もし仏教的な「因果応報」の考え方を取り入れるならば、ソウルメイトは必ずしも自分と気の合う人ばかりではありません。むしろ敵になったり、苦しめあう人の中にもソウルメイトはいるのです。なぜなら、地上の人生とは自分の業(カルマ)を刈り取るための場だからです。つまり自分の性格の悪い癖を直すために、地上でいろんな苦しみを経るのだということです。その苦しみから立ち直って悟りを開くと、来世素晴らしい世界に帰ることが出来るというのが、仏教的な考え方です。
何が言いたいかと申し上げますと、身近な人間関係を大切にしてくださいということです。「ソウルメイト」は私も信じますが、この世からの逃避になってはいけないのではないかと思うのです。

この回答への補足

袖触れ合うも他生の縁

そうですね。
この地上で、多少なりともふれあいのある方とはとてもえにしが深いのでしょうね。

なにげなく見かけた方でも、古い友達の面影を有していたり、気にかかったりしますから。

話が飛躍するかもしれませんが、現在の宇宙でこの地上で、生きている全ての生命体は、自分となんらかのつながりを持っているのではと、思います。

少しmtbycさんお考え方に近付くとができました。

ありがとうございます。

補足日時:2006/12/30 10:51
    • good
    • 0
この回答へのお礼

目の前のその人がとても大事ということですね。

わかりました~。

お礼日時:2006/10/18 15:45

ANo.5です。



上で「出会った」などと言いましたが、実はその人ソウルメイトではありませんでした。
ソウルメイトはあくまでも主観というのが今の気持ちです。ですがその人が何かしらの課題(客観)を与えてくれたのだとしたらそうかもしれません。

ソウルメイトの存在に関する是非は問いませんが、自分の中に棲んでいる、ということではないでしょうか。「もう一人の自分」が対外的に自分の外に現れ、色々な出会いや関係として(「袖触れ合う・・・」という関係すら)自分に何らかの作用をする相手。この相手というのは「人の形」をとっているだけで、どこに行ってどうすれば確実に会えるというわけではない。また人によってはすべての人たちがそうかもしれません。

自分のツインソウルと決めるのは、変わりゆくそのもう一人の自分、なのではないでしょうか。なにしろ形而上学なテーマなので神のみぞ知る、ということでは?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

失礼なお礼をお返して申し訳ありませんでした。

読み返してみると、また違って理解できた部分があって、補足をお付けした次第です。

天に導かれていくのですかね。


彼女、できましたよ。

お礼日時:2007/02/03 11:15

私もスピリチュアルな世界、大好きです。


昔はよくヴォイス社の本を読んでたなぁ(笑)。
でも最近は現実の方がおもしろくなってきたので、本はあまり読まなくなりました。現実という具体性から参照することを先行させる、というか。

結論からいえばソウルメイトに関する本も読んだのですが、誰が「ソウルメイト」であるかは分からないと思います。精神の世界って客体というものが存在しないから星の数ほど生まれると思うのです。その客体を人は「神」と称しますが。

>誰もピンときません
そうですね、確かに直感は大切かもしれません。でもちょっと危険かなとも思います。ソウルメイトに出遭いたいという気持ちの強さがそういうバイアスに陥らせてしまうかもしれないからです。それは恋に似ています。
かくいう私も思い込みの激しい方でして、ピンときたら相手はすぐにこういう人だ、とすぐに決め込んでしまう。その結果・・・(泣)。
だから恋愛すると誰でも「ソウルメイト」ですよ、当方のようにロマンティストですぐに相手を理想化する♀にとっては(笑)。たとえばこういうバイアスに陥ってしまう可能性だってありますよね。

最近とある男性と知り合いになりました。彼は「波長が合う」「(私といると)前向きになる」等々、嬉しいことを言ってくれました。彼にとってそれは本心かそれとも一抹の寂しさか分かりません。でもその言葉は下心のための嘘とも思えません。
が、私はそんなことよりもその人に出遭ったことで私の人生が大きく変化しているのです。たった一言「音楽を一緒にやろう」という言葉で。私も彼も音楽をやっているのですが、封印していた私のその世界を傍観者として窓際で見ていた私を連れ出すために誘ってくれたんです。私を見出してくれたその人には純粋に感謝しています。

ただ彼は既婚者なのです。だから結婚はもちろん、私も彼も傷ついている部分が共通しているので付き合っても共依存に陥り上手くいかないと想像ができるのです。
確かにそれで結婚して子供とか産まれ、幸せな家庭を築けるのでしたら「ソウルメイト」として申し分ない相手かもしれません。でも私は密かに彼を「ソウルメイト」と呼んでいます。
・・・あ!そういえば一回酔っ払ったとき彼にそう伝えたことがあるなぁ。そのときソウルメイトについて考えていたわけではなく、本からも遠ざかっていたのに何の意識も躊躇もせずぽんと言葉がついてきた。そうして今こうして当初のことを思い出してもないのに回答している・・・。無意識が彼とのことをそういわしめているのかもしれません。

この人はそう、ここに行けばこれをすれば出遭える・・・たしかにそういう指南書?があれば皆パートナーを見つけていますよね。

「人は皆産まれる前には自分の片割れがいて産まれるということはその片割れと分離してしまった。人生とはその片割れを探す旅である」
という言葉があります。
あながち理想論ではないと思います。だからこそ人は皆「結婚」という制度でソウルメイトを試すのではないでしょうか。でもそれが異性とは限りません。ソウルメイトというロマンティックな感覚はえてして恋愛と似ていますから。

他の回答にもあるように、私も「縁」というのはその人との出遭いをどう捉えるか、に尽きると思います。もし私が上で述べた彼のことを「何よ、酔っ払うと必ず甘えてきてさ。そういうことなら奥さんとでもしてなさいよ」と怒っているだけなら、自分が向上しなかったと思います。人生を切り開くのはなかなか独りだけの力では行かないものです。

私も色々なところに出向いて彼と出遭いました。互いに互いを見つけました。ある一線という壁があるけれど、それは障壁でも何でもなく、ココロは自由にその上を飛び交っているというか。男と女を超えているんです(願わくばそうであってほしい)。

鳥がつがいになるような「形」を求めるのであれば逆効果であるかと思います。またその相手がソウルメイトだからといってよい効果をもたらすとも限りませんよね。
その捉え方は例えば自分についてとか、愛とか人生とか、苦しみとか幸福とかの価値観に対する姿勢と同じことだと思います。要はポジティブに影響しあえる間柄ではないでしょうか。「結果」があって初めてソウルメイトだったかなと考えるに値するものだと思っています。そしてそれが本当にそうかどうかは分かりませんが、その答えも自分のココロがすでに知っている・・・のだと思います。

この回答への補足

丁寧に答えていただきありがとうございます。

まだ理解が追いついていませんが、またいつかの未来で読み返してみたいと思います。

ありがとうございました。

補足日時:2007/01/08 17:54
    • good
    • 0
この回答へのお礼

異性にかたよりすぎですね。

ソウルメイトは別に恋人とか、結婚相手にくくらなくてもいいと思います。

精神系の本も、ある程度学んだら、あとは実戦あるのみです。
人間関係にもまれて右往左往、切磋琢磨していくべきなので、そういう時期なんですね。私も。

私の心は知っています。
ある方はソウルメイトでした。
しかし通じ合うことは出来ませんでした。

それは私が正直ではなかったからです。

他人は怖いもの、世の中は怖いもの、大人はくろうするものと信じて疑わなかったからです。

お礼日時:2006/10/18 15:29

私もソウルメイト会いたいです!!


でも、逢えたという実感はないです。
と言うかわかりません。
何しろ記憶ありませんからね。
でも、身近にいるのなら多分しっかり者ではないので以前迷惑をかけた人かもしれないです。
なるべく素でありつつ親切に生活したいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

とても賛同できます。

ありがとうございます。

もし、気付くことができたら、世界が変わって来るんだと思います。

お礼日時:2006/12/30 10:58

あえて「この人がソウルメイトだ」とはっきり認識しないとならない理由が、質問者さんにはおありなのでしょうか。



誰もが人生の中で、たくさんの出会い、別れを繰り返します。
その流れの中で、何かを得られたり、無駄だったと感じたり、心から解り合えたと思える瞬間を味わったり、裏切りの寂しさに落ち込んだり・・・

出会いのひとつひとつが、生きていくうえで意味のあることで(たとえ自分には無意味だったと思える出会いでも)、それを、その時その時で大切にしてゆけばいいのではないかと思いますが・・・。

それでも、どうしてもソウルメイトに出会いたいと思うのであれば、
「強く出会いを願う、念じる」ことだと思います。
「なぜ出会えないのか」と思うより、「出会いたい。必ず出会うのだ」と思考を変えれば、その願いは叶い易くなると思います。
そういうものだそうです。「心」というものは。

ご参考までに。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やっぱり出会いたいですねえ。

お礼日時:2006/10/19 16:43

そうそう簡単には出会えないから、価値があるんだと思いますよ。


出会えないのはむしろ当たり前ではないでしょうか。

私個人は、いません。別に欲しいとも思わないし。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

もしかしたら、出会っているけど、気付いていないだけかもしれないと思って、周りを見るようになることができました。

ご意見ありがとうございます。

お礼日時:2006/12/30 10:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!