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1976年以前に修学旅行で京都に行くのに、新横浜駅から新幹線に乗った人に質問します。

「ひかり号」が新横浜駅に停車するようになったのは1976年だと聞きました。今では新横浜駅から乗る場合は、「のぞみ号」や「ひかり号」を使用するのは当たり前ですが、新横浜駅に「こだま号」しか停車しなかった頃は、どのように新幹線で移動していたんですか?

個人的にはこの4つのいずれかとは思うんですけど…
1.東京駅まで戻って、東京駅~京都駅間「ひかり号」に乗った。
2.新横浜駅~名古屋駅間「こだま号」、名古屋駅~京都駅間「ひかり号」に乗った。
3.新横浜駅~京都駅間「こだま号」に乗った。
4.修学旅行のための臨時列車に乗った。

解答お願いします。この4つの中に答えはありましたでしょうか?

A 回答 (5件)

いつ頃から、修学旅行で普通に「ひかり」を利用するようになったのかはっきりわかりませんが、少なくとも1980年ごろまでは、基本は「こだま」でした。

特に東海道新幹線で設定されていた修学旅行専用列車は、臨時「こだま」のダイヤを利用した各駅停車でしたので、まず間違いなく各駅停車のだったのでしょう。

ちなみに、東海道・山陽本線の修学旅行専用電車が廃止されたのは、1975年春ですから、1974年までは横浜から京都の修学旅行は、基本は東海道本線(在来線)の列車でしたから「こだま」でも十分早かったのでしょう。

私は1976年に神戸から博多まで修学旅行で新幹線の専用列車を利用しましたが、もちろん各駅停車でした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
当時としては「こだま」でも速かったんですね。今では途中で何本もの「のぞみ」や「ひかり」に抜かされて、余計遅く感じますね。

お礼日時:2008/07/27 21:59

昔の「ひかり」は特別な列車でして、修学旅行はおろか大口の一般団体


でも乗せてくれなかったんですよ。大口団体が使えるようになったのが
万博の後からで、修学旅行は更に遅れたはずです。

ちなみに「修学旅行」と言っても、各県の教育委員会がまとめて行う
場合と、各校が単独で旅行会社に手配する場合で微妙に扱いが違います。
前者の場合、専用の「修学旅行臨時」を仕立てますので、かなり後まで
「こだま」扱いの列車でしたが、後者の場合、普通の大口団体と同じで
一般客と混在ですから、比較的早くから「ひかり」に乗れました。

ただ、その当時、横浜市内から大阪方面に行くのは東京駅経由が普通
でして、大口団体でわざわざ新横浜から乗車する例は少なかったんじゃ
ないかと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「ひかり」が特別な列車…今としては考えられませんね。まあ、ちょっと前までは「のぞみ」が特別高くて(今も高いが昔よりマシ)乗れませんでしたけどね。

お礼日時:2008/07/27 21:56

No.3です。



補足しておきますと、修学旅行での利用が多い区間は、地域ごとに旅行社と教育委員会、鉄道会社などで協議する機関を作り、旅行時期などを調整します。そして複数の学校で専用臨時列車を分割して利用します。これを専門的には集約臨と呼びます。

例えば、東京~新大阪に設定された修学旅行用の集約臨は各駅停車で、利用する学校はさまざま、東京からの学校もあれば、新横浜からの学校もあるという具合に混在でした。最近は、新幹線の運転本数も増えた上に、1学年の人数も減りましたので、定期列車に一般人との混乗も増えてますが、今でも集約臨は走ってます。
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この回答へのお礼

詳しい補足ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/27 22:00

京都の修学旅行の時は、確か3.だったと思います。


小田原に停車したのを覚えていますし、乗り換えた記憶はありませんから。

ちなみに、個人的に岡山までの時(目的地は米子)は、在来線で東京まで行って、「ひかり」に乗りました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/07/27 22:01

3.


当時のひかりは本数が少なく、こだまでも十分早く着いた。
4は1列車貸切できるほど多い人数ではないと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/27 22:02

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