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戦前の中国経済には外資の企業が多く来たときますが、中国工業におけるその役割と問題点について教えてください。日本が紡績工場を作ったりしたと聞いたんですが??よくわかりません。お願いします。

A 回答 (3件)

外資系というより、日本が主でしょう。


戦後も中国で走っていた機関車は、主に日本製だったでしょうから。
中国東北区の工業地帯など、日本の残した施設をそのまま使っただけじゃないでしょうか?
同じことは北朝鮮にも言えます。
「1950年代まで稼動していた日本が作った工場」という表現を見ます。
中国が、戦後、素早い復興を遂げたのも、ソ連、ベトナム、チベット等、外国と戦争できたのも、日本が残したインフラと工業設備があればこそです。
朝鮮戦争時、マッカーサーが満州爆撃を主張しましたが、それはこの工業地帯を破壊したかったからでしょう。

問題点といえば、日本がこれだけの資産や設備を中国に引き渡したため、国民党政権が追われ、チベットが侵略され、周辺諸国に迷惑をかけたことですね。
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> 中国の伝統的な工業や交易(ジャンク交易など)などが被害を被った



 新しい技術が入ってくると、古い技術は淘汰されます。
これを被害と表現するのは一方的な見方に過ぎません。
列強の進出と関係なく、ジャンク交易はいずれ消え去る
運命にあったことは疑いようがありません。

 なお中国政府のプロパガンダとして、伝統的な工芸
文化( 伝統的工業と混同しないように! )が失われた
原因を、日本など列強の進出に求めています。これは
トンでもないウソで、毛沢東の指導のもとで旧来の文
化を徹底的に否定・破壊した文化大革命が原因です。

 ですが中国政府は、政府が間違ったことをしたとは
絶対に言わないので、伝統工芸がなくなったのは列強に
原因があると主張しています。

 先日、福田首相が訪中した際、世界遺産の孔子廟を
視察しましたが、文化大革命中にはその孔子さえ否定
されていたのが現実です。「 批林批孔運動 」で検索して
みてください。
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 1911 年の辛亥革命をきっかけに清王朝は終わりを迎えますが、


ここから第二次世界大戦の終戦まで、中国本土は欧米列強+日本の
半植民地状態で、ほぼ無政府状態でした。

 しかも清の時代には工業的にはなにもなかったも同然なので、
「 中国工業 」なるものが存在していませんでした。そのため
当時は、外資という概念すらなかったのです。中国の独自資本に
よる企業なんてものがなかったのですから。

 欧米列強+日本の役割ですが、中国に工業を中心とする近代
化を持ち込んだことです。問題点はとくにありません。現在の
中国政府から見た問題点はあるのかもしれませんが、それはあ
くまで後付の理由に過ぎません。

 戦後の中国は、欧米列強+日本が現地に残してきた資産を
もとに大きく発展します。日本では住友が中国本土にかなりの
投資をしていましたが、それらの工場などはすべて接収され、
住友は大きな経営危機に陥ったほどです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。外資企業が中国に進入し中国の伝統的な工業や交易(ジャンク交易など)などが被害を被ったと聞いたんですが。それは問題点ではないんですか?

お礼日時:2008/01/11 20:24

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