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どうして日本軍は真珠湾攻撃なんていう奇襲で卑怯な事をしたんですか?

A 回答 (17件中1~10件)

日本の諜報で、真珠湾にアメリカ海軍の空母があるとの情報を得ていたからです。


アメリカの空母を叩けば、当時の軍事技術では、太平洋を越せる兵器は軍艦しかなく、当分はアメリカは太平洋の西側で制空権を持てないために、日本に有利な形で戦争を遂行でき、結果、国力の地力の差がつかないうちに、早期講和に持ち込めるとの計算です。
しかし、実際には日本の海軍の奇襲部隊が真珠湾を攻撃したときには、空母は一隻も停泊していませんでした。当然に、日本の軍上層部は愕然としたのですが、やってしまった以上、取り消すことはできません。
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ハワイから米国本土空襲して有利な講和に持ち込むため

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五十六の我儘が通ってしまったから。



本来は、台本には無かったのですよね。
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>卑怯な事



どの点が卑怯と質問者が思っているかは不明。
・奇襲
 宣戦布告文書の送致が在アメリカ大使館の遅延で遅れたことが原因。
・真珠湾攻撃
 日本の通商を攻撃するための海軍力が集まっているから。
 石油禁輸により、蘭領インドシナの油田を武力で奪取する方針が決まったが、日・蘭領インドシナ間の航路の間に、英領インドシナ、仏領インドシナ、アメリカが支配するフィリピン自治領があったため、航路妨害を防止するために、英仏蘭米に対する開戦が計画された。真珠湾攻撃はその一貫。
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真珠湾攻撃が「卑怯」といわれるのは、宣戦布告文書がアメリカ政府に届く前に攻撃が始まってしまったからです。



で、奇襲そのものは「戦術」であって卑怯ではないです。もし奇襲を卑怯だとするなら、欧米の軍隊なんて日本を批判できるレベルではない、です。

そして「なぜ真珠湾攻撃から太平洋戦争がはじまったか?」と言うと《国力の劣る日本がアメリカとの戦争に勝つため》です。

そのためには、真珠湾に集結してる(はずだった)米軍太平洋艦隊の主力部隊を最初に叩き潰す必要がありました。

日本という国は、東は太平洋を隔ててアメリカと、西は大陸に接しています。大陸側ではすでに日中戦争が起きており、日本陸軍はかなり有利な情勢でしたし、実際太平洋戦争勃発後、南下した日本陸軍は東南アジア全体を占領しています。

しかし、アメリカは強大な軍事力を持っていて、それに対抗するには日本海軍が相当な準備が必要でした。
 ただ、アメリカ海軍にも弱点があって、それは「太平洋と大西洋に面したアメリカ海軍は兵力を常に二分する必要があり、特に今はドイツとの戦争で大西洋の海軍兵力を消耗している」という状態だったわけです。

山本五十六はこれに勝機を見出し「1年程度なら大暴れできます」と発言したわけです。

つまり日本からみれば《真珠湾を(宣戦布告後)すぐに急襲して、太平洋艦隊の主力部隊に壊滅的な打撃を与えれば、大西洋から艦船を持ってくることはできず、製造力が日本の30倍もあるとしても1年程度では海軍兵力を回復できないはず》という算段があったわけです。

だから《真珠湾攻撃でアメリカ太平洋艦隊が消耗した後、太平洋上の戦いは、悪くて日本と五分、よければ日本有利で(日露戦争の経験を踏まれば)1年程度で講和できる可能性が高い》と計算したわけです。

しかし、実際は#9さんが書くように、主力部隊は真珠湾におらず、攻撃自体は成功したものの、戦果に乏しく、逆にアメリカ人に「リメンバーパールハーバー」という復讐心を植え付けてしまうような、稀代の大失敗になったわけです。
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維新政府の軍隊だったから。


真珠湾攻撃に限らず、日中戦争やシベリア出兵でも卑怯な手を使って権益確保に動いているので、姑息な攻撃は日本軍の常套手段です。
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正面攻撃では勝てそうにない


から奇襲をしたわけです。

そして。

どうあっても、戦争は避けられないと
判断したからです。



当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
それでハルノートなどをつきつけたり
ABCD包囲網を敷いたりして、日本を追い込み
戦争に持ち込んだのです。

戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。
ルーズベルトの責任 〔日米戦争はなぜ始まったか〕

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。


日本がどうあがこうとも
米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。



1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

・ 1989年パナマ侵攻 名目はアメリカに麻薬を密輸するパナマのノリエガ将軍の逮捕であったが、明らかに国際法違反で、国連総会で非難された。真の目的は、第2パナマ運河の権益がアメリカ以外の国に渡ることを防ぐことだったと言う説がある。なお、パナマ侵攻後に、麻薬の対米密輸は減るどころか2倍以上に増えているという。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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日本は、アメリカから石油の輸出を停止されており国内での備蓄が1年分くらいしかない状況に陥っていました。

そしてハルノートを突きつけられており中国から全面撤退することを条件としていました。あのままアメリカの要求を受け入れていても、さらに無理な要求を吹っかけてきたと思います。つまりアメリカから戦争を背ざる負えない状況に追い込まれていたのです。
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事前に開戦を通告する予定が、種々の手違いにより遅れてしまった、というのが日本(政府)としてのポリコレ的な回答。



実は米軍上層部としては、真珠湾の基地が攻撃されることは事前に知っており重要な艦船を退避させるなど裏の工作はおこなっていたが、そのことは隠蔽して「日本に奇襲された」と言って世論を煽った、というのが、日本国内では割と一般的な説。
通告が遅れた事自体への関与の有無は...歴史の闇の中。
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昭和天皇や木戸幸一は開戦に反対してましたが、アメリカの産業スパイと日本の財閥に開戦を煽られダマされたのです。

負ける喧嘩を・・ですので、何かを知って反対していた山本五十六は暗殺されたのでしょう、、
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