映画のエンドロール観る派?観ない派?

私はNHKのシルクロードの番組をみていて
ふと閃いたのですが。。

みなさんは、あんまりご存知でないと思いますが
イスラム教というのは偶像崇拝を禁じている宗教です。
もう少し分かりやすく解説すると
神の絵画や彫刻を作ってはいけないというものです。

そうした人間の物を作りたいという根源を禁止されると
そのエネルギーは、偶像のワンクッションを越えて
直接対立する人間に向うのではと
思います。

偶像という芸術があると、それを作成するための
時間とエネルギーをとられてしまい
また自分を見つめる時間ももてるので
暴力的行為に走りにくいのではと
考えました。

この考えは間違っていますか?

A 回答 (11件中1~10件)

ええと、大分お答えしにくいのですが



goodmanmanさんはお幾つなのでしょうか?
お若い方でしたら、こういった場で質問することで理解を深めようとされる
考える力を持った見所のある若者だと思います。

ただ18歳以上、分別も有る程度つく方だと、
正直私の力では何もお伝えできる物はないかも知れません。


>やはりどう考えてもイスラムは暴力的な宗教ですね。
私は正しくは「暴力的でない宗教などない」と思っています。

ですから「イスラム教は暴力的」で正解なのですが、宗教は古くから時の権力者が国民を
掌握する為の手段として用いられて来ました。

分かりやすく言えば、自分が戦争したいときに
「素直に戦う兵士」を作る為に宗教ほど優れたシステムはありません。

1つだけ大まかな分かりやすいくくりがあるとすれば、
一神教か多神教か多神教は比較的他の宗教に寛大で、完全に相手を滅ぼす行為はしにくいとは言えると思います。
世界最大?のキリスト教、一神教ですよ。


>人の形をした偶像にエネルギーを注がないとエネルギーをもてあましてしまいます。
他の方も書かれるように、発想は良いのですがベースが足りない感じでしょうか?
ポイントは
エネルギーを持て余してしまう=戦争や破壊行為
ではなく、

エネルギーを持て余してしまう=それを誘導するなにかきっかけ=戦争や破壊行為

だと思いませんか?
イライラした気分でも常に切れる訳ではなく、キッカケが重要だと思います。

このキッカケとなっているのは何なのか、誰なのか。
この辺を知るのが適切な理解だと思います。


>日本や中国に来るとお酒をガンガンと飲んでいる人も多いです。

平安と平等を求めるイスラム
http://www.kujhoji.or.jp/get.kouwa/newpage15_2.htm

より抜粋しましたがお酒を飲む行為を持って不真面目で戒律を守らない堕落した人々とは言えないようです。
彼らの出身国によっては通常の行為の場合があるようです。


エジプトやトルコなど世俗化が進んだ国では、国産のビールが生産されるなど
   容易にアルコール類が手に入る。
   また、シリアやレバノンでは、アラクという強い焼酎が盛んに飲まれている。



>それに昔の事を言っても仕方がありませんし現に今のイスラムは破壊的です。
貴方は、「日本人は皆くそ真面目ですぐ謝る、だからお前もそうだろ?」
と外国人の誰かに質問されたらどう答えますか?

取りあえず基本は、知識とは区別する能力のことだと思います。
大雑把な理解は却って有害であやふやな知識では本質は見えてきません。

「イスラムは破壊的」という理解では、
「日本人は皆くそ真面目」と大差なく、非常に危うい。
少なくとも相手を理解した事にはならないと思います。

せめて、「イスラム教シーア派のエジプトで○○師の指導を受けた
サウジ出身のイスラム信者の若者で小学校で○○の教科書を使って教育を受けた者は危険だ。」
という辺りまでは辿り着いて頂きたいと思います。

彼らを戦争に向かわせる格好の言葉として用いられる「ジハード(聖戦)」を
初めに戦争と関連付けて使ったのは、アメリカです。

ジハードの教科書と思想教育
http://blog.goo.ne.jp/taraoaks624/e/a6d27404ac25 …

抜粋

これは神学校で使われていた教科書です。
幼い子供向けのこの教科書で特に目立つのがジハード(聖戦)という言葉です。
“ジハードはイスラム教徒の義務だ”
“彼はジハードに行った”
“私もジハードに行く”

異教徒と戦うことが重要だとことさら強調しています。
ジハードの相手として名指しされているのが旧ソヴィエト。
“ロシア人は敵だ”
子供たちはこうした文章を毎日繰り返し唱えていました。

裏表紙に記された“USAID”の文字。
アメリカの政府機関・国際開発庁の援助で教科書が作られたことを意味しています。


4代宗派
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%F3%A5%CB …


『イスラーム戦争の時代 暴力の連鎖をどう解くか』書評
http://www.4gamer.net/games/039/G003948/20080115 …

抜粋
~イスラム圏で相手の親切を断ると,相手がすごく困った顔をする~

--------------------
最後に
直ぐに何かと何かを結びつけて
結論付けてしまうことは危険です。

仰るとおり”今は”危険に見えますが、貴方を含む
「アメリカよりの国々にとっては」
そう見えるだけではないですか?

同じようにイスラム圏の人々から見たら
「アメリカとキリスト教は危険だ」
と単純に思ってしまう人々もいます。


宗教は皆暴力的。後は使う人がどう使うかの問題。

この問題を解く為に一番簡単な考え方は、
「人類の歴史上最も人を殺した宗教は何?」とか

「人殺しが最も出やすい宗教は何?」
で考えてみたら分かるのではないでしょうか

私の理解では両者共、ぶっちぎりでキリスト教です。
異なっていたらご指摘下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
おっしゃる事はよく理解できますし参考にもなりますし
同意できる点も多々あります。

たしかに欧米人を中心としたキリスト教徒は
暴力を「神が許したもうた」と勝手な理屈をつけて
インディアンや他の国々に勝手に入っていって
動物を駆除するように殺戮をしてきた歴史が
ありますね。神の名を借りたらどんな残虐行為意でも
許されると思っているのが
白人でしょうね。

しかも彼らはその歴史さえも消し去り
歪曲し「イギリス人はジェントルマン」だとか
白人はルールを守り「レディファースト」
だとか現実とは反対の事さえも
他の民族を洗脳するための広告宣伝に上手く使っていますね。

たしかに、イスラム教徒=暴力的だとは
言うのは、適切さを書いていたと思います。
(話を分かりやすくするためだとしても
適切性が欠けていました)

しかし、相対的にみても暴力的要素があるのは
たしかだと思うのですが・・・

私の問いかけ、疑問は
偶像にエネルギーを金と時間と情熱を注ぐと
少しは暴力的なことから心を解放することが
できるのではと思ったのですが。。

お礼日時:2008/03/26 09:57

こんばんわ


イスラム教の国でも人物画の芸術である細密画(ミニクチュアール)がありますので、
>偶像という芸術があると、それを作成するための
>時間とエネルギーをとられてしまい
>また自分を見つめる時間ももてるので
>暴力的行為に走りにくいのではと
>考えました
は違うんじゃないかなーと思います。

あと、神像ありのオウムの方々は大暴れをかましてくれましたし、
泥沼の内戦をやったカンボジアも仏教国で、仏像いっぱいですよ。

人の話を聞かない人・なんでも悪いのは自分たち以外のだれかのせいにする人が、テロなんかに走るだけで、人種や宗教は関係ないと個人的には考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
人種や宗教が関係がないと言うのは
奇麗事にしか思えません。

オウムは、そもそも宗教団体以前の問題ですし
カンボジアは戦争状態でのことです。

イスラム教徒の過激な攻撃は
長くて日常的な行為だから
どこかイスラム教に欠点があると
考えたのです。

お礼日時:2008/03/27 00:26

 偶像崇拝が認められていた中世のキリスト教世界でも、異端に対する迫害や虐殺はひどいものでしたから、「偶像崇拝」と「対立する人間集団に対する暴力」は関連がない様に思います。



 どちらかと言うと、一神教の方が多神教よりも、宗教戦争は妥協のないものになるように思います。

 多神教の場合、多くの神様を許容するので、愚像崇拝の宗教も認めるので、そのような社会では、結局「神像」があることになります。

 信じる神の違いが戦いの原因になることが少ないのは多神教=偶像崇拝容認、私はこちらの方が本筋かと思います。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
間接的ながら偶像否定=暴力的だとの私の学説を
みとめてくれたようで心強いです。

またアドバイスお願いします。

お礼日時:2008/03/26 21:23

連投失礼します。



イスラム教分布図
http://homepage1.nifty.com/yukiko_world/IslamMap …

以前の新聞でも一部の国のイスラム教徒の蛮行のおかげで
迷惑しているインドネシアの観光業に従事する方の記事を読みました。
インドネシアでもテロの標的となり観光客が襲われています。
しかし国内の観光業の方がそんなことをするでしょうか?
彼らは少しでも多くの方に観光に来てもらいたい、そのためには安全な国で、過ごし易い、自分達も住みやすい治安が望ましいに決まっています。

そう考えない一部の原理主義者の人々がどれだけイスラム教のイメージダウンをもたらしているか。
その意味では被害者はイスラム教徒の人々だと思います。
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この回答へのお礼

いろいろとありがとうございます。

NHKシルクロードシリーズを連続して
みていて感じたことのひとつは
仏教の地域では当然偶像の芸術作品がたくさん映像に
でてきて心を和ませますし、人々は
その偶像を拝み眺めることにより
いろんな意味での平和を願う行為も出来たのだと
思います。
作成した当時の心情も推し量れます。

しかし、イスラムの地域の映像では
そうした偶像は当然でてきません。
(唐草模様の建築物は立派ですが)
人は物を作りたい残したいと
思うのは食べる事と同じく生理的欲求だと
私は考えています。

ですから偶像作成を禁止されたイスラム教には
人間の基本的な部分を欠落させた
間違ったとは言わないが、非常に危うい宗教だと
思いました。

お礼日時:2008/03/26 10:06

> 質問内容と少しずれていると思いました。



 思うのは自由ですが、その「思い」も間違っています。
 私の回答はあなたの質問に真正面から答えているのですから。

> いくら建築物に芸術性を求めても
> 一般大衆は
> 人の形をした偶像にエネルギーを注がないと
> エネルギーをもてあましてしまいます。

 あなたがずれていますね。私は建築物の話などしていません。私が例示したのは「歌舞伎」であり、これは「人の形をした偶像」です。

 が、その上で、あなたは更に間違っています。
 大衆が「人の形をした偶像」にエネルギーを注ぐことが必要だというテーゼなどありません。あなたがそう思い込んでいることはよく分かりましたが、その思い込みが間違いだということです。

 あなたには、「思いて学ばざれば即ち危うし」という、数千年前の箴言がぴったり当てはまりますね。箴言の歴史が古ければ優れているわけではありませんが、そのくらい昔から気づかれていることにすら現時点で気づけない状態では、「危うし」であることは間違いありません。
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この回答へのお礼

はいはい
ありがとうございました。
あなたのおっしゃるとおりでございます。

お礼日時:2008/03/26 09:39

他の方が偶像崇拝について回答されていますので、ちょっと違ったお話を。



どうやら質問者様はイスラム教徒=「乱暴」なイメージをお持ちのようですが、本来イスラム教徒は平和主義です。
自分たちの信仰を迫害されなければ他の宗教を信仰している人たちに危害を加えることはありません。
現在、イスラム教徒が各地で破壊的行動に出ているのは、過去、キリスト教徒が彼らを迫害したことに対しての「聖戦(ジハード)」なのです。

ちなみに、バチカンも数々の芸術作品を破壊・迫害した過去がありますよ。
日本だって「廃仏毀釈」ってのがありましたしね。
イスラム教が必要以上に悪者扱いされている気がして残念です。
(私はイスラム教徒ではないですけどね)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはりどう考えてもイスラムは
暴力的な宗教ですね。

日本の廃仏毀釈とはまるきり意味が違う例を
持ち出されても・・・・・・??

お礼日時:2008/03/25 22:31

 間違っています。



 そもそも芸術の方向性は偶像だけではありません。
 短絡的ですね。
 しかも、芸術というものはある程度規制をかけられた方が、それをかいくぐるために抽象化と精緻化が進むことだってあります。日本の歌舞伎などはその好例です。

 なぜイスラムが偶像崇拝を禁じるのか、芸術とはどういうものなのか、もう少し調べましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
質問内容と少しずれていると思いました。

いくら建築物に芸術性を求めても
一般大衆は
人の形をした偶像にエネルギーを注がないと
エネルギーをもてあましてしまいます。

お礼日時:2008/03/25 22:33

厳しいことを書きますが、ひどい「勘違い」です。



まず、日本は仏像に芸術性を求めるため、国内にいると分かりにくいかもしれませんが、偶像崇拝は、世界的に見れば少数派であり、嘲笑の的です。
プロテスタントを持ち出すまでもなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教とも、基本的な教義としては、偶像崇拝を禁じています。
仏教で仏像が作られるようになったのは、ブッダが死んで500年以上たってから、しかも場所は、当時、周辺地域であったガンダーラ地方です。
中東、メソポタミア方面で、イスラム以前に崇拝されていたゾロアスタ教も、偶像崇拝はしていません。
ネットで、「偶像崇拝」で検索してみてください。
いくらでもヒットします。
神を偶像という「モノ」に置き換えることが、無教養とみなされるのです。

日本ではなかなか接する機会がありませんが、ユダヤにも原理主義者はいます。
その主張を聞くと、イスラムと「神の名前」が違うだけで、論理があまりにも共通していることにぎょっとします。
ユダヤ教からキリスト教が派生し、キリスト教からイスラム教が派生したから似ている、という話ではありません。
唯我独尊、反対派は問答無用で殺せ、という論理です。

なぜ、こんな「勘違い」が起こるかというと、もともと周辺知識がないところに、NHKの情報が入ってくるので、無批判に受け入れてしまうからでしょう。
NHKの教養番組は、比較的ニュートラルに作られていますが、一つの問題を、1時間や2時間で、すべて語りつくすことはできません。
受け手がそれなりの基礎知識を持っているという前提で、送り手は要点を発信しているのでしょうが、受け手の基礎知識が不足していれば、とんでもない勘違いにつながることもあります。

もっと広く視野を持って、教養を身につけましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

偶像崇拝を禁じている宗教は実際上圧倒的少数だと
いえます。

偶像崇拝をなくさないと破壊的活動が
収まらない事がよく理解できました。

お礼日時:2008/03/25 22:30

教義と関係なく、組織や政治を持ち込むからだな。


ムスリムに限らず、世界の大多数の人間は宗教をバックボーンにしながらも、
それに囚われすぎることなくやっていってる。
(日本でこっそり戒律破っている人を多数知ってます(^^;)
自分の行為を宗教の名において正当化するのは、神への冒涜だと思うけどねえ。

ちなみに宗教と全く関係ない社会主義、共産主義国家の非道ぶりも、
思索の対象にしてみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
イスラムでも自国では
戒律を守った生活をしている人が
他国例えば日本や中国に来ると
お酒をガンガンと飲んでいる人も
多いです。

お礼日時:2008/03/25 22:27

 いい着想だと思いますが、代用品としてのモスクの芸術的な完成度は下手な仏像やキリスト教会の絵画等をはるかに上回っているので、エネルギーを発散させるには十分では、と思います(イスラム芸術の写真が多く載っているフランス語版WikipediaのURLを挙げておきます)。


 あと、テロリズムの温床である少数派のシーア派などでは、神以外の聖人の信仰や、そういった聖人の絵を祭ったりする事が結構盛んで、ムハンマドの肖像なども祭られているといいます。というわけで、偶像崇拝禁止⇒暴力行為との証明は結構難しいです。

 以下私見ですが、イスラム教、キリスト教は、ヒンズー教や俗化された仏教に比べ、神頼みで物事が解決するわけではないという考えが浸透している(但し、神頼み的要素が全くないわけではないが)ので、神に現世の細々した事を頼むわけにもいかないから実力行使で、という発想はあるかもしれません。これだとキリスト教徒の多いアメリカの行動も説明できるようになりますが、それでも、争いを引き起こす当事者はそんなに信仰心が高くなさそう、などとひねくれた考えると良い説明になりうるかどうかは怪しい感じです。

参考URL:http://fr.wikipedia.org/wiki/Arts_d%27Islam
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり偶像の芸術を禁止した事が暴力的な
エネルギーの持って行き場がないのですね。

人間は本能的に人の形を作りたい残したいと
いう生理的欲求があるのが自然ですね。

お礼日時:2008/03/25 22:26

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