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このサイトでは議論は禁止されているので、あくまで個人的な意見をいろいろ聞いてみる目的でアンケートをとります。
私は、よく言う「喧嘩両成敗」と言う言葉に異論を唱えます。
私は、喧嘩は最初にふっかけた方が悪いと思います。
戦争だって最初に攻め込んできた方が悪いでしょう?
攻め込まれた国は、すかさず自己防衛のために戦闘体勢に入って当たり前じゃないですか?
でも、こんな風にも考えました。
世界の多くの国に反感を持たれていて、テロなどを起こされて当然な行動ばかり行う国だったら、
喧嘩をふっかけられても自業自得だと思います。
難しい内容ですみません。自分でもよくわかりません。
ふっかけた方、ふっかけられて当然の行為を行った方。
どっちが悪いと思いますか?
それともやはり「両成敗」なのでしょうか?
意見を聞かせてください。

A 回答 (8件)

私は両成敗派。


別段の由もない。
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”両成敗”とは、吹っかけた方、吹っかけられた方の当事者が口にする言葉ではありませんよね。



両成敗とは、明らかに双方とは第三者の立場で、良識があり客観視出来る上の立場の人間(国)が口にするものです。

しかし、その”良識があり客観視出来る上の立場の人(国)”とは誰なのかを判断するのかは、疑問に残り、また、喧嘩を吹っかけるにも”理由”がある訳だし、吹っかけられるにも”理由”がある為に、喧嘩両成敗は筋が通らない。その理由の背景までもを考慮しなくてはならない。

しかし
>私は、喧嘩は最初にふっかけた方が悪いと思います。
戦争だって最初に攻め込んできた方が悪いでしょう?

との事ですが、失礼ですが、学校で日本の歴史を学びましたか?。
世界大戦で、世界を2分する同盟勢力同士が戦争をして、先に手出しがどうのと一言で言える筈がありませんよ?。
と言うか、喧嘩みたいに単純な理由で戦争を起こしているとでも正気で思っておられるのですか?。

例えば、第二次世界大戦に日本が真珠湾攻撃をした”理由”はご存知でしょうか?。
まぁ、理解していたらこの様な発言はしないと思いますが(笑。

つまり、国同士の戦争の場合、吹っかけるにも”理由”があるし、吹っかけられるにも”理由”がある。
だから、戦争も喧嘩両成敗では片付けられないのです。
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裁判でもめごとの決着をつける。


そこでは、双方の主張に耳を傾ける。
喧嘩両成敗の社会だったら、こうはいかない。
どちらの言いぶんが妥当か、と耳を傾けるまえに、
どっちもどっち、と双方をバッサリ切り捨てる。
「喧嘩両成敗」と「裁判」は両立しない概念なんです。
だから現代社会の日本で喧嘩両成敗なんてありえない。
警官が喧嘩の現場でそういうことを言うとしたら、
くだらないことにつきあわされるのもバカらしいから、
もめごとを簡便に片付けたいからでは。
そのための方便として、喧嘩両成敗とする。

ということではないでしょうか?
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そーね。

確かに喧嘩吹っかけた方が「ああ、俺が喧嘩吹っかけたさ」って
自覚があるなら、それはそのとおりでしょうね。

でも問題はそうじゃない。悪人が悪人の自覚があればまだましです。
一番まずいのは争っている双方が「私が被害者だ!!」と言うから
問題がいつまでも解決しないのです。
そして「自分は被害者」というって事は加害者がいないと始まらないし
加害者は間違っていて、被害者は正しいと考えがち・・・つまり
自分が被害者だと声高らか言うって事は「自分は正しい」といっているのと同義です。
つまり、そもそも争いって物そのものが「自分は正しい」そして
「自分が被害者だ」と思っている物同士がぶつかっているのです。

痴漢の裁判でありましたね。「携帯電話を注意したら痴漢だといわれた」
この件もうだいぶ昔の話なのにまだ引きずっています。なぜか。
男性は先のとおり「携帯電話を注意したら痴漢だといわれた」と主張していますが
女性は「そんなことはない、この人は痴漢、言いがかりも甚だしい」
この2つに共通するのはともに「自分が被害者だ」といっているからに
他ありません。だからいつまでたっても解決しないのです。

実は他の質問に似たようなことを書きましたが、戦争だって
何も「自分は悪の中枢である」とか言いながら戦争吹っかける阿呆は
現実じゃまずありえません。それこそ空想の○ョッカーやら○ね○ね団とか
それくらいのレベルじゃないと、ありえないのです。テロリストですら
テロをするとき叫ぶのは「自分たちの正義」です。
人間そんなに悪を自覚して悪いことってできないんですよ。
でも自分は正しいと思えば、結構なんだってできてしまうモンです。
それが他から見て悪いことでも・・・・・

話を戻して、争いの元が「自分は正しい」「自分は被害者」と思う者
同士がぶつかりあいであり、そしてだからこそ収集がつかないから・・・・
いっそ両方悪にして、お互いごめんなさいで終わらせようよ?つーのが
喧嘩両成敗なのだと。そう考えます。
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ちょっと興味を引かれたので思っている事を書きたいと思います。



>私は、喧嘩は最初にふっかけた方が悪いと思います。
喧嘩をする事自体が目的でない限り、(ほとんどの場合がそうでしょう)両方の意見や考え方の相違でお互いに自分の主張をゆずらなかった場合に喧嘩となると考えています。
つまり、喧嘩になる前に火種はあるはずだと思っています。

>戦争だって最初に攻め込んできた方が悪いでしょう?
>攻め込まれた国は、すかさず自己防衛のために戦闘体勢に入って当たり前じゃないですか?
直接戦闘だけが戦争ではないと考えています。自己防衛のために最初に攻め込んだ例もあるでしょう。
歴史の中に例は数え切れないぐらいあります。

>世界の多くの国に反感を持たれていて、テロなどを起こされて当然な行動ばかり行う国だったら、
>喧嘩をふっかけられても自業自得だと思います。
誰が誰に反感を感じているのか、誰が誰の事を自業自得だと思うのか。
立場が違えば、見る目も変わってくると思います。

A:テロを起こされても自業自得だろ?
B:報復にミサイル打ち込まれても自業自得だろ?

喧嘩という手段を選んでしまった方、喧嘩という手段を選ばせてしまった方、両方に反省する点はあると思っています。

正しい方には罪は無いんじゃないの?
絶対の正義なんて誰が決めるんだ?
多数決?結果論?経験?神様?サイコロ?

だって明らかにあの人が悪いじゃない。
何を見てそう思った?どこまでの事象を関連するものと考えている?
なにを根拠に「明らか」だって?

わたしは何もしていない。しらない。
何かをする悪もあれば、何かをしない悪もある。
知らなかったは正義ではない。

じゃあ私が悪かったっていうの?
片方が100パーセント悪いなんていう事がそうそうあるもんじゃない。もちろん両方に正しい部分だってある。
でも、どんな理由があれ「ぶつかった」んだから、「下がれ」。下がらないと進めないでしょ?
どっちが下がってもいいけど、両方下がったほうが気分がいいよね?

以上。我ながらみごとな綺麗事満載の個人的意見でした。
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「ふっかけた」と認識したのが同時では無い場合の方が多いと思います。


街中のとある風景
A,Bの2名が歩いてすれ違ったとして。
1、AのカバンがBに触れる(Aは気がつかない)
2、B「おい。」
3、A「なんですか?」
4、B「なんですか じゃねーだろ コラー」


ケンカへ

Aは「2」or「4」の時点で「Bが先にケンカをふっかけた」と認識
Bは「1」or「4」の時点で「Aが先にケンカをふっかけた」と認識

兄弟喧嘩から大国の戦争まで、程度の差さえあれ
こんなもんじゃないかな

お互い「相手が悪い」と思っているんだから「両成敗」
テロだって
「勝手に俺らの生活圏に入ってきて 荒らしていった喧嘩ふっかけてきたのお前らが先じゃないか」と思っているかも・・・・
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喧嘩両成敗、そのものには特に間違った印象はない。

ただ、多くの人間が、喧嘩両成敗を「間違って解釈している」とは思うな。

喧嘩両成敗ってのは、昔の武家の時代に生まれた考えだよな。最初に出てきたのは戦国時代の武田家だそうだ。これ、「喧嘩したら療法を処罰する」ということだけがピックアップされるけど、実はその後にまだ続きがある。「喧嘩を吹っかけられても、我慢した側は処罰しない」んだな。これがセットになってたわけだ。

そうなると、喧嘩両成敗ってののニュアンスも変わってくるんでないかね。喧嘩を吹っかける奴はもちろん悪いが、それを買って喧嘩する奴も悪い。相手にしないのが一番なんだ、ってことだな。(これを「戦争」とかまで拡大解釈しちゃダメだぜ。これはあくまで、もっと小さな「個人に毛の生えたレベル」での話なんだからな)

時代が下って江戸時代、武士てのはみんな刀を差してた。だから、つい「斬り合い」ばっかりやってたような武力集団的な印象をもっちまうが、実はこの刀は「抜いたら最後」のもんでもあった。刀を抜いたばかりにお家取り潰しになったなんて例は枚挙に暇がない。だから、この時代の「喧嘩両成敗」は、容易に他人を殺傷しうる武器を携帯している武家に対し、その使用を禁ずる意味もあったと思う。だから「喧嘩は両方悪い」という意味より、むしろ「力を持った人間が、その力を乱用することを禁ずる」という意味のものだったわけだな。

そして武家の時代が終わり、帯刀が禁じられて以後、「喧嘩両成敗」の「喧嘩」ってのが、ただの「いさかい」に堕してしまった。その時点で、本来の喧嘩両成敗の意味は失われているんだよな。既に意味を失ったものが、言葉だけ行き続けている、という気がするな。

あえて意味を持たせるとするなら、「無意味な諍いはするな」ということなんだろうな。ここでのやり取りを見ているとな、「批判、意見、反論」と「誹謗、中傷」の区別がつかない例がけっこう多いんだよな。批判に対して暴言で返したりする人間をずいぶんと見てきたよ。そうなれば、「批判は残すが、暴言は削除」となる。結果、「喧嘩両成敗のはずなのに、どうして片方だけ消すんだ!」となる。

また、ここでは、総論的な意見はOKだが、個々人に対する直接的な意見はOUTだ。それの区別がわからず、総論的な批判に対し、発言した個人への批判で返す人間もいる。で、「片方は消されたが片方は残ってる、おかしい!」となるわけだな。

そういった意味では、「喧嘩両成敗」と思っていても、よくよく見ると「喧嘩でなくて、ただ片方が一方的に責めてるだけ」だったりすることがけっこう多いんでないかと思うんだな。案外と、本当の「喧嘩両成敗」となる例は、少ないんでないかね。喧嘩両成敗という考え方そのものに問題がなくとも、それが誤ったところで適用されている、ということなんでないかね。
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私はどちらかと言うと「喧嘩両成敗」賛成派です。

ふっかけるほうにもそれなりに理由はあるのでは、そしてその理由は主観的には「正しい事」なのではと思うので。それに、どこからが「ふっかけた」でどこからが「ふっかけられた」のかって解らないと思うんですよ。
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