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単純な疑問です。
洋画の評論をするのに英語その他の言語力は不要なんでしょうか?
字幕を見て評論するのは字幕映画評論家なんじゃないだろうかと何十年も思い続けていますが、いまだにこの疑問が解けません。
出来ればネイティブの方かバイリンガルの方からのご回答があれば嬉しく存じます。

A 回答 (3件)

#2にいただいたお礼を拝見しました。

そういうことですか。もちろん、海外を拠点としている(例えばアメリカで暮らしている)評論家などの場合は、物理的に字幕版を迅速に入手しにくかったり、日本への配給前に作品を鑑賞できる点が付加価値だったりするので、字幕の付いていないヴァージョンを観て評論を書くことは多々ありますよ。そういう人が書いた文章の訳語や表記は字幕と違っていたりします。例えば、わかりやすく言うと、字幕では「メアリー」になっている主人公の名を「メリー」と書いているとか。

ただ、「私は日本で試写を観ましたが」という前提の評論を書く場合、あまりにも字幕とちぐはぐなことを書くと話が通じなくなるので、字幕や日本語の資料を、ある程度読んでおくのはプロとして当然ですよね。

>日本語字幕について不満を抱くのはいつも一般鑑賞者の方からばかりなのに比べて、評論家の側からの不満が出るのが滅多にないのは何故なんだろうという疑問を持ってもおります。

字幕への不満を連載したウェブサイトを作っていた評論家もいますよ。同様のテーマで書籍も出しています。その人が繰り返し書いていた言い分はこう。「字幕ではこうだが、実際のニュアンスはこう。しかし、実際のニュアンスを、条件が限られた字幕に表わし切るのは無理に等しい。だから、原語で映画を観られるよう語学力を養うのが大切」ということでした。

ただ、同じ映画業界にいる以上、字幕翻訳者を真っ向から批判するのは、何かと人間関係上、支障があるわけですよ。批判した字幕が誰が訳したものなのかは、調べればすぐにわかりますからね。また、字幕翻訳家にはファンがいますし、そういうファンの夢を壊すのもかわいそうです。くだんの評論家もなかなか抜け目なくて、字幕翻訳家の大家を名前をあげては繰り返し誉めたたえながらも、批判している字幕が実はその大家の訳だったりしました。

ついでに言うと、そもそも日本の映画評論家は、映画を大して「批判」はしませんよね。基本的には、いいことを並べて、興行収入に貢献するよう心がけています。字幕に関しても、扱いは同様でしょう。

余談ですが、蔭ではプロによる字幕批判はたくさんおこなわれています。「こういう字幕は、よくない。それを私はさんざん、字幕を採用する側に言い続けている」と、私的に繰り返し豪語していた業界関係者も知っています。

この回答への補足

もしよろしければ、この人の評論は信頼してもいいと思われる方を挙げて頂けませんでしょうか。支障があれば、関連URLでも結構です。

私が見ようかどうしようか迷ったときに参考にするのは、中野翠さんと小林信彦さんです。海外ではポーリン・ケイル。
又、普段常用的な映画コメンテーターではありませんが、横尾忠則さんが推したものはいつも一見の価値ありと信じています。余談ですが、脚本なら脚本ではレスリー・ディクソンのもの(絶対に字幕スペース外)が好きです。

補足日時:2009/05/02 16:04
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この回答へのお礼

>>ただ、同じ映画業界にいる以上、

まさにお聴きしたかったご回答でした。
勇気ある情報ありがとうございました。
ファンの夢を壊すのもかわいそう・・の一文にだけは個人的に異論がありますが、凡そ想像していた通りでした。
ここまでハッキリと明言された意見を拝読する機会がこれまでありませんでしたので非常に嬉しく存じます。

お礼日時:2009/05/02 16:03

何をもって「評論家」とするか、何をもって「言語力」とするかにもよりますよね。



基本的には、英語をしゃべることなど殆どないのに、英語の映画の「映画評論」を書いて、メディアで発表して、報酬を得る人は大勢います。インタビューだって、通訳を同席させます。彼らは「私は英語ができません」と言ったりします。

ただ、洋画字幕翻訳家にも、英語が大してしゃべれない人は大勢います。辞書を引けるなら、しゃべれなくたっていいんです。洋画だって、彼らのもとに届く頃にはスクリプトも来ているから、ヒアリングができなくてオッケーだし。それどころか、スクリプトだけ先に来て、フィルムはなかなか届かないから、映像無しでとりあえずの字幕を付けることも少なくありません(だから、字幕のセリフが主人公の年齢と釣り合わないことが、よくあるわけです)。

で、こういう、しゃべれなかったり「しゃべれません」と言っている人たちが、案外と実はしゃべれたりします。しゃべろうとしないだけで、通訳よりも余程わけがわかっていたりします。しかし、脳みその中まで透かして見るわけにいかないので「英語できない」と言われれば「そうですか」としか言いようがありません。だけど、実はネットや資料室で彼らが読みあさる資料は、英語で書かれたものだったりする場合が少なくありません。

いずれにしても、評論家が試写を観る頃には、既に日本語字幕が付いていますし、翻訳された資料もたんまり刷ってあるので、語学ができなくても評論はできないことはありません。ただし、バイリンガル評論家が大勢活躍している昨今、まったく語学ができないと、例えば「有名タレントの片手間に評論家もやってます」とか「この映画のテーマである時代背景や地方色に半端じゃなく詳しいです」みたいな付加価値がない限り、あまりつぶしがきかないでしょうね。ちなみに、秀でた調査能力と知識や伝達能力があるのが、評論家です。

以上、私はバイリンガルです。
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この回答へのお礼

大家と呼ばれるレベルの評論家の中に字幕を無視して鑑賞している人が果たしてどのくらいいるのだろうかと思ってこのトピックを立てました。
しゃべれないと公言する方でも実は解っているんだろうなとは想像していましたが、日本語字幕について不満を抱くのはいつも一般鑑賞者の方からばかりなのに比べて、評論家の側からの不満が出るのが滅多にないのは何故なんだろうという疑問を持ってもおります。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 02:12

 申し訳ないです。

外国語がまったく分からない映画好きの意見ですが。
つくづく思うんですが、我々日本人は邦画をみても、その中の言葉がわからない、風習がわからない、時代背景がわからない・・・
それでも、分かったつもりで見ているってことありませんか?
 すべての日本文化を分かった上で見られたら、本当に映画を(もちろん小説も、マンガもTVドラマも)楽しめると思うんです。
しかし、そんな人まずいませんよね?

 なのに、どうして外国の映画が分かるんでしょう?
外国の文化をすべて分かっていたら・・・もちろんめちゃ楽しいんでしょうね?日本の事すら分かっていないのに、外国映画を分かった振りして楽しんでいるんだと思います。

 で・・・
映画を楽しむってことはそれでいいと思うんです。
凄く回りくどい言い方をしましたが、日本人が日本の文化を完璧に分かっていないにもかかわらず、普通に日本映画を見ています。正直言うと、固有名詞などでまったく何を言ってるのかわからない日本映画もあります。日本映画にも字幕が欲しいくらいなんですね(笑)

 ましてや外国の映画を評論するに当たっては、日本人が訳した字幕をみて、それでその映画をどう感じるか・・・それでいいと思うんです。
もちろん、当該国の人が、その評論を読んで、おかしいって思うかもしれませんが。

 評論は日本人に向けての評論ですから。
 
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この回答へのお礼

成るほど、色んな考え方があるものですね。
私も字幕映画評論家が悪いとは決しては思っていません。
エンターティメントである以上は自由にあるがままでいいと思います。
世相や文化に影響を与えない限りは。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 01:23

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