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戦後行われた総選挙で日本自由党が勝利し総理指名において鳩山一郎が指名される見込みでしたが、GHQから鳩山一郎へ公職追放令が出され、急遽吉田茂が総理大臣となりました。
思わぬ事態で総理となった吉田茂は鳩山一郎にいずれ総理の椅子を鳩山一郎さんに返すという約束をしたのかも知れません(そんな約束事があったかはよくわかりませんが)
結局のところ、サンフランシスコ講和条約により日本が自治独立を取り戻した後も吉田茂は総理を続け、1954年に支持率低下で退任、その後鳩山一郎が総理となりました。
1951年の講和条約成立後、吉田茂は即座に鳩山一郎に総理の椅子を譲る事もできたと思いますので、それを指しての発言だとは思います。
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