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最近、伊坂幸太郎さんの本を読み始めて、すっかり伊坂作品にハマってしまいました。
伊坂作品って悪者というか、犯罪者がよく登場しますよね。
そういう存在はミステリーには欠かせないので別にいいのですが、伊坂作品に出てくる悪者って結構酷くないですか?

私は性的暴行をして楽しむ犯罪に対し、すごくゾッとするというか嫌悪感を感じます(もちろん誰でもそうだと思いますが…)
だから「オーデュボンの祈り」を読んでいても卑劣な城山のシーンはすごく嫌な気分になって、読んでいる内に気分が落ち込んできました。作品自体は好きなのですが…。

「重力ピエロ」も読んでみたいのですが、レイプの話が出てくるそうで、なかなか読む勇気が出ません。
「ただのフィクションだから」と割り切ってしまえばいいのですが、どうしてこういう話を平気で書けるのだろうとさえ思うようになってきました(伊坂さんが嫌いというわけではありません)
みなさんは、どう思いますか?
こういうことにこだわっているのって私だけでしょうか?(^_^;)

もう一つ聞きたいことがあるのですが、伊坂さんは以前『レイプ犯やペット殺しを書いたのも、リスクのない暴力っていうのにすごく嫌悪感があるからなんですよ』と仰っていたようなのですが、これってどういう意味なんでしょうか?嫌悪感があるのに自分でその話を書くなんて(゜_゜;)
すみません、理解力が足りないのでこの言葉に隠された(?)意味を教えてください。

伊坂作品初心者の私にどうか回答をお願いします。

A 回答 (3件)

わたし、じつは大学の卒論で伊坂幸太郎作品を扱ったのですが!!



ほかの方のコメントにもあるとおり、伊坂幸太郎のテーマのひとつが「勧善懲悪」です。ただダメなだけの悪いやつは、基本的に退治されます。
『重力ピエロ』も、レイプをすごく卑劣な犯罪だと思って読めばこそ、それに立ち向かう主人公たちが魅力的に思える‥‥と、わたしは思います。
あと、こっちは『オーデュボン』のような酷い描写はないので、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ!

ただ最近の作品(『ゴールデンスランバー』など)では、「個人では立ち向かえない大きな力」がテーマになっているらしく、「勧善懲悪」からは離れているようですが‥‥。

同じ趣味の方がいてうれしいです。楽しんで読まれることを祈ります。
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城山のシーンで嫌な気分になったのなら、伊坂さんの思った通りの読み方をされたのではないでしょうか?


読者がそういった犯罪者に対して嫌悪を感じるように作品を作ることで、犯罪の抑止力や倫理の向上に役立つのであれば、作品を世に送り出した意義は大きいですよね。
d-vvppさんのような読み方をされる読者がいるということは、伊坂さんはとても良い読者を持たれたということにもなりますよね。

ただ正義が悪に立ち向かっている限りにおいて、正義が勝っているのですから、伊坂作品はそこまでグロテスクということでもないでしょう。世の中にはもっと意味不明で悪を助長するような作品はたくさんあります。世の中のリアルに目を瞑らずに、多くの作品に触れていってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!お礼が遅くなってしまい、すみません。
すごく納得しました!確かに伊坂さんは作品を通してそういうことを伝えたいのかもしれませんね。
私は「悪者のシーン=嫌悪感」と単純にしか考えられなかったので、今後はもう少し柔軟性を持って読んでいきたいと思います(^^)

お礼日時:2010/02/05 14:03

そのひどい犯罪者が少しでも肯定されていると嫌な気分がしますが、作中できちんと「悪」として描かれているので、私はその件に関して嫌悪感はあまりありません。

あまりにも分かりやすい「悪」なので、ちょっと単純だなと物足りない気がすることはありますが。

伊坂さんとしても、完全否定できる「悪」を描き、その「悪」がきちんと懲罰を受ける世界を描きたいんじゃないかな?と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!
お礼が遅くなってしまい、すみません。
なるほど…「きちんと悪として描かれている」という見方はいいですね。
今後伊坂作品を読むときは見方を変えてみたいと思います(^^)

お礼日時:2010/02/05 13:57

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