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清は皇帝以下支配階級は満州族だった訳ですから、行政文書にも満州語が使われていたと思います。
ところが辛亥革命で中華民国が成立すると、一瞬で満州族も満州語も漢族及び中国語に飲み込まれたように見えます。(後に日本が中華民国の反対を押し切り満州国をつくりますが)
満州族と漢族の武力衝突のような混乱は発生しなかったのでしょうか?

A 回答 (3件)

 No.2の方の説明に補足して。



 清は、辮髪など一部の満州の風俗以外は、全面的に中国の伝統文化を尊重し、満州族の皇帝が率先して漢民族化を進めました。

 清朝最盛期の康熙帝は、康煕字典や四庫全書など、中国の文字文化の大規模編纂事業を行いを行い、歴代王朝の優れた陶器のレプリカを作成するなど、「漢民族文化」の集大成に努めました。

 支配体制も、中央の主要官僚は建前上、満・漢同数としたものの、官吏登用には中国伝統の科挙を全面的に採用したこともあって、中堅官僚以下は人口が圧倒的に多い漢民族によって占められていました。

 このような社会状況から、ヨーロッパ列強が進出してきて、中国が半植民地化し、清朝の弱体化が著しく進んだ時、『扶清洋滅』というスローガンを掲げた、「義和団事件」が起こっています。

 これは、清=満州王朝を扶助して、西洋列強を倒そうという意味です。

義和団事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C% …
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

>清は、辮髪など一部の満州の風俗以外は、全面的に中国の伝統文化を尊重し、満州族の皇帝が率先して漢民族化を進めました。

人口の圧倒的な差(文化の差も?)もあり、民族間の対立といったものは無かったのですね。

お礼日時:2011/04/19 20:22

満州族は支配階級という地位にあぐらをかいて、辛亥革命の頃には戦闘力など全くなくなっていました。


日本の江戸時代幕末の旗本と同じようなものです。

人口的にも、満州族は漢族に比べて圧倒的に少数です。
そもそも清が中国本土に進出できたのも明を見限った漢族の将軍の協力があったからです。

なので、「満州族と漢族の武力衝突のような混乱」は起こりようがないし、仮に起こったとしても満州族が一瞬で敗退して終了だったでしょう。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

>人口的にも、満州族は漢族に比べて圧倒的に少数です。
>そもそも清が中国本土に進出できたのも明を見限った漢族の将軍の協力があったからです。

極少数だったのですね。

お礼日時:2011/04/19 10:21

of course no...

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