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格差のない社会について あるアンケートの答え

あるアンケートで格差の無い社会を望む声が少なくなかったように思います。私はむしろ格差あれ!その変わりセーフティネットははれと思っております。

格差の無い社会を望む方、その理由を教えて下さい。
その前に、格差の無い社会の定義を教えて下さい。

A 回答 (8件)

追記。



格差のありすぎる社会は、そのまま格差が固定化される恐れがある為。
現に子供の教育における格差にも影響を与えてます。
(塾に通わせられない、大学へ進学できない等)

格差はあって当然とは思いますが、
格差がありすぎる状態は、格差が固定する危険性が高い。

更に勝ち組は、勝ち状態を維持するため
あの手この手を使って既得権益を死守しようとする。

請負業者を何社も通してピンハネが横行し、
入札の談合なんてのも当たり前にあります(表に出るのは氷山の一角)。
それが非モラル的だろうが関係ありません。

今の経営者が昔の経営者のように尊敬されなくなった道理でもある気がします。
従業員を使い捨ての駒にしか考えてないのですから、そりゃ愛社精神なんぞ生まれない。
世知辛い世になって当然かと。

理不尽な格差は人の心も荒む原因であると考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2011/08/21 14:51

suiennです。

視覚・聴覚障がいを併せ持っています。
皆さまとはちょっと違う観点から、言わせてもらいます。、今の社会は、まだまだ健常者中心だと考えています。それが、格差と言えます。
健常者も弱者も障がい者も、全て暮らしやすい社会を作ることこそ、平等な社会を作ることになると思います。ただし、それぞれの立場の方が、思いやりの心とか譲り合いの精神を持たなければならないでしょう。理解することも大事です。それには、お互いの立場を、今後もどんどん訴えていくことが必要だと思います。
何て言うのかな、それぞれの個人の考えが異なりますよね。それは一律同じ考えになると言うことは無理ですね。けれども、少しでも、弱い立場の方を思いやる気持ちがあればなと考えます。
障害を負うとと言うことは、どれだけ辛いことであるかというのは、家族にさえ理解してもらうことが難しいです。特に親です。自分の考えを押し通すのです。辛い気持ちをぶつけると、そんな訳のわからないこと言うなとなります。
親の責任なのに。って思います。
災害があると、どうしても弱者や障がい者が後手後手の対応になりがちです。後回しになるのです。健常者が考えるレベルと、弱者の考えるレベルには、どうしてもズレが生じますね。

最終的には、健常者弱者も障がい者も、気持ちよく過ごせる社会になれば、これが格差のない社会と言えます。

難しい質問でしたが、私の訳のわからない回答、見てください。何だと思われてもいいと思っています。夢物語な部分もありますが。
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この回答へのお礼

申し訳ありません。お礼を書いたつもりが書き込まれていませんでした。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/23 00:26

格差のない社会を望むと言うよりは



「格差がありすぎる社会は嫌」というのが大多数の意見だと思います。

日本の貧困率も世界でも相当悪いですからね。
アメリカを追随してます。

良くも悪くも総中流社会の方が「まし」だったとさえ考えます。

一部の人が問題視してる「生活保護」だって昔の総中流期は
そんなに多くなかったので税金の投入も少なくて済みました。

====
1:格差が広がると税収入が減る。
2:格差が広がると生活保護等に対し税を投入する額が増える。
3:1、2より、社会保障が薄くなる。
もしくはそれが原因で増税となる→既に現実化しつつある。
4:増税により更に生活困難者が増える→2へ戻る

この悪循環に陥る。
だいたい企業であれ、国家であれ、収益が減ってるのだからそれに
合わせて全体的に収入や予算が減って当然なのに、政府は借金を
増やし続け、企業に勤める一部の人も高給という状況が変わってない。

揚句の果てには、上から下の下請けはへ丸投げするだけで
収益を上げてる企業が多数出る始末。
(東電の原発の件で8社の中間業者が群がりピンハネした例は有名な話)

こんなのが日本では常態化しており、ピンハネに依って経済格差が広がってる
なら反感を覚えて当然かと(これが正当な競争や能力の差ならまだしも)

===
昔に例えれば、2次流通、3次流通等のせいで中間業者がマージンを
取っていた為、商品が無意味に高くなったりしてました。
本当に必要な中間業者ならともかく、これらは不要な場合が多かった為
今では流通改革も行われ、結果、商品も安く提供されるようになりました。

そういう旨みが無くなった連中は、今度は人材を奴隷化する事によって
同じ事をやり始めました。いつの時代も楽して儲けようとする連中は
はびこってます。

「同一労働同一賃金」の原則が守られればいいんだと思いますよ。
同じ職場で全く同じ仕事、責任をおってるのに、何社も会社が入って
会社毎に待遇が著しく違うなど、当たり前のようにあります。

そこには個人の能力なんて全く関係ありません。
頑張ろうが何しようが関係ない。
単に所属する会社の力によって待遇が違うにすぎない。

確かに努力すれば報われるというケースもあるのでしょうが、
レアケースを持ちだして、日本の現在の閉そく気味な労働環境を
語るのは間違ってると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/21 14:54

格差の無い社会とは、労働可能な間は個人の能力に合わせた労働をして、その対価を与え、残りを市民全員で分け合える社会かな。



100人の村で農作物を収穫したら、利益半分をリーダー格から小作人までで配当を与え、残り半分を村全体の維持・育児・厚生・教育に当て、村民全員が何とか暮らせる社会。

この格差のない社会は、がんばりが評価されないと、楽な方向に流れやすく、楽な仕事を取りたがる人がコネを使う社会。

コネを100本持った人が力を持ち、大統領となって君臨し、平民の生活を忘れてしまうパターンの繰り返し。

資本主義でも貧乏はいる。共産主義と社会主義では国全体が貧乏。まずは国の経済力を上げるのが先決。日本はよくやったと、ほめて上げたい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/21 14:54

私は格差がない社会なんて無理とおもっていますから 定義も何も持ち合わせていません。

同じスタートラインで同じくゴールして何が楽しい人生でしょうか?
格差を口にしたい心理は何かしらが平等でないとか 或いは理不尽さを痛感しているから、なんだとわたしは認識しています。
そこで…じゃ~、同じスタートラインに国民を立たせて 皆が同じくゴールできる様に設定したとしましょう。…何が楽しいの?そんな人生で…。
例え そのように設定しても 又々格差は生じますね。皆能力違いますから…。
だから 定義なんて それは後付けで 今現在の定義付けはそれ自体定義になりませんよ。
格差がない社会なんてありえないんだから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/08/21 14:54

 格差がある社会では人は生きて行くのが、大変だからです。


 お金持ちの人ばかりが得をして、お金の無い人は損をする。
 そのような社会は、理想の社会とは言えません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。でも、みんな貧乏な格差のある社会ならみんな暮らすの大変ですけどね。

お礼日時:2011/08/21 14:55

いろいろな考えはあると思うが、私は「チャンスが平等に与えられる社会」が格差のない社会の1つの形だと思う。


つまり、総理大臣になりたいと志せば、日本国民であれば誰だって成れますよね、生まれ落ちがどうあろうが、被選挙権を得られれば衆議院議員に立候補できるし、国会の指名選挙で多数を得られれば、私だって成れる。
もちろん選挙に受かるためにはそれなりの努力や能力、運も必要ですが、どこかの国のように有力者の血縁でないとだめとか、そういうことはなく、平等に門戸は開いている。
これが格差のない社会の1つの形だと思う。
お金持ちと貧乏人がいてもそれはやむ得ない、相続税で何もしなければ3代で先祖代々の資産はなくなりり、貧乏でも能力があれば東大に入って金の儲かる職業に就いたってよい、私は貧乏ですが、何とか生活は出来ており、若い頃は先を考えて貯金もしたし、年金も払いました、その結果で生きてると思っています。
ただ能力的には劣っていたので、大金を得ることは出来ずぎりぎりの生活ですが、これは私がチャンスを物に出来なかった結果であり、是非もない話です。
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格差とは?


定義はなんだろう
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