【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

 マンガか生物学かこの心理学か、どこで質問するかカテゴリー悩んだんですがこちらで質問させていただきます。
 
 最近浦沢氏の『PLUTO』を読み直しているんですが、作中において登場する天馬博士いわく「完璧な頭脳を持つ、完全なロボット」は、「60億の人格」をプログラミングされていましたが、逆に超高性能過ぎたゆえに処理能力が追い付くことができず、シミュレーションをし続ける状態に陥り目覚めることができなかったとされていますよね。そして、それを目覚めさせる手段が強烈な「感情」をプログラミングすることでした。

 アントニオ・ダマシオ氏によれば、人間は理性と感情の折り合い、特に感情が引き金となって意思決定をするそうです。その事例として、脳の中で感情と理性を切り離された男は、研究者が示した二つの(来院するための)候補日について、どちらの日にすべきかという事を永遠と検討しつづけたというものがあります。

 初めて『PLUTO』を読んだときから、浦沢氏は作中においてのロボットという理性的存在を使って、アントニオ・ダマシオ氏の提出した事例を上手に説明しているように思ってたんですよ。

 浦沢氏はこの事例知ってたんですかね?また皆さんはどう思いますか?私の考えすぎですかね?ご意見感想聞かせてください。変な質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

こんばんは、baka-hageさん。


面白い名前だったのでプロフィール見せて頂きました。
私は唯識を専攻したものですが、質問の中の人物?等については
いっさいしらないで回答するのも、なんだかなぁ・・・・
と思いますが、理性と感情は完全に切り離すこと自体出来ないのでは?
と考えております。
卑近な例で申し訳ありませんが、恋人同士がが完全に別れたとした場合。
通常は「分離」と考えると思いますが、私は「分離という関係性の中で繋がってる」と
認識しております。根底に同一基盤があるからこそ、分離という意識が働いてると思います。

それゆえ、「感情と理性を切り離した」との発想自体に誤りがあると思います。

回答になっていないと思いますが、ふと、かんがえたものですから。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。唯識は実は浄土真宗とも関連が深く結構専門の人多いんですよね。かくゆう、私の恩師は唯識の専門家でしたが、弟子の私は入門のところでギブアップして、心理学の方に回ってしまいました。(先生ごめんなさい)

 ちょっと、質問した後で気づいたんですが、ここの心理学カテゴリーは臨床心理学系の方は多いようですが、私が勉強していた(今も片足突っ込んでますが・・・)認知心理学系の方はあんまりいらっしゃっらないみたいですね。

 さて、ここからが本題なんですが、

>>それゆえ、「感情と理性を切り離した」との発想自体に誤りがあると思います。

とのことですが、私が質問の中で「感情と理性を切り離した」と申しておりますのは、脳の構造上の問題を指しています。アントニオ・ダマシオ氏のおしゃっる事例のなかの人物は「前頭前腹内側部」という部分を損傷している人物についてです。大雑把に説明しますと(細かいことを抜きにした説明ですんでいろいろ差し引いて読んでください)、扁桃体を中心に生み出される感情の種みたいなもの(一次情動)は、この前頭前腹側内部の前部帯状回ってあたりを通って感情(二次感情、私達か感情と呼ぶのは大体これ)を形成と処理をして、私達の意識に感情が上がってくるようです。つまりこの前頭前腹側内部が損傷しているってことは感情生まれないし意識に上がらないってことなんですよ。

 ですから、私の言葉選びも悪かったですね。ふと思って、文献的なことを調べずに質問してしまいました。すいません。「感情と理性が切り離された」のではなく、「感情が生まれない」といった方が正しいですね。(言い訳させてもらえば、帯状回という部位は、大脳辺縁系の各部位をつなぎ合わせるというはたらきがあるものですから、大脳皮質と皮質下の繋ぎの役もしてるよなーって言うなんとなく思っていたので「切り離す」って表現しちゃったんですよね。やっぱり言い訳ですね。笑)

 以上のように感情を生み出すの能力が欠落しているという事から、アントニオ・ダマシオ氏はその著書の中で先に挙げた事例のような行動を「純粋理性の限界の好例」と評しているわけです。

 まぁ、あんまりおもしろくない質問だったのか回答はあなただけかもしれません。参考にさせていただきます。ありがとうございました。

合掌 南無阿弥陀佛

お礼日時:2012/02/27 16:08

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