日本は戦艦大和の建造を極秘にしていましたが、
その機密ぶりは、山本五十六が「いずれ乗る艦だから」
と、建造中の大和視察をしようとしたところ、副官に
「海軍大臣の許可が要りますが、もし断られたら
どうしますか」ということで諦めたらしいです。

 またある人は、「大和建造は大々的に報じて、就航後は
アメリカへ親善航海して、日本と交戦の時は大和が
お相手申す、というデモンストレーションを行っておれば、
日米開戦は避けられたかも」という説もあります。

 軍艦の大きさは絶対で、アメリカはパナマ運河の
パナマックスサイズ以上の戦艦は作れませんから
(作ってもいいけど運河を通って太平洋と大西洋の
行き来が出来ない)、大和は非常な脅威になったと
いうことですが、外交手段にも使わず、例えば
ガダルカナルの滑走路の艦砲射撃でも、「大和型戦艦は
もしものことがあればもったいない」と、古い金剛、榛名
などの戦艦を使っています。

 それだけ大事にしながらも、結局バカな特攻で沈めてしまった
大和は(武蔵も)何のために作ったのでしょうか。

 沈んでもったいないのはどんな艦でも同じなのに、
大金はたいて床の間の置物では、(今の価値で5000億円
といわれてます)海軍上層部の考えは大和、武蔵を
どうしたかったのでしょうか。

A 回答 (12件中1~10件)

戦艦大和が処女航海で沈んだとか、B29の1/3が未帰還機とか、むちゃくちゃな回答が多いなあ、もう。



「太平洋戦争は航空機の時代で、頭が古かった日本海軍はそれに気づかなかった」とよくいわれますけどね。そりゃとんでもない話で、他の方も回答していますが、作戦行動中に純粋に航空機のみによって沈められた戦艦は英海軍のレパルス、プリンスオブウェールズ、伊海軍のローマ、日本海軍の大和、武蔵のみなんです。そのうち大和についてはむしろ「蟻の大群に巨象が倒された」感はあります。

レイテ海戦では、日本海軍の栗田艦隊は戦艦5、重巡洋艦10という大艦隊で、述べ2日間に渡って米機動部隊の執拗な空襲を受けていたにも関わらず結局沈んだ戦艦は武蔵だけ。栗田艦隊がレイテ湾に突入しなかったのは「謎の反転」のせいで、つまるところ空襲では戦艦の艦隊を食い止めることはできませんでした。そして大和以下栗田艦隊はレイテからの脱出に成功しています。つまり空襲では戦艦艦隊に壊滅的な打撃を与えることは不可能なのです。
そもそも重装甲の戦艦は500ポンド爆弾では徹甲弾でも装甲を貫くことはできません。1000ポンド爆弾でどうにか、なのです。ちなみに日本の九九艦爆は500ポンド爆弾しか搭載できません。また魚雷についても、武蔵は20本を超える魚雷を当てられています。つまりそのくらい耐えたということなのです。
例外を除けば、「戦艦を食い止められるのは戦艦だけ」なのです。あのビスマルクも戦艦同士の砲戦で決着をつけています。
「真珠湾で日本にしてやられたので航空機に切り替えた」といわれる米海軍も、太平洋戦争中にサウスダコタ級4隻、アイオワ級4隻の合計8隻もを就役させています。日本では開戦後に就役させた戦艦は大和、武蔵の2隻だけ、信濃は空母に改装されたことを思い出してください。ただ、アメリカは「月刊正規空母」と呼ばれるほどの生産力を有していたということなのです。

ガダルカナルで金剛級ばっかり使われたのは、ガダルカナル周辺というのは水路が極めて狭いところでかつ浅瀬も多い。道路に例えればイニシャルDの峠道みたいなところです。戦艦というのは大型ダンプみたいなものですから、それを峠道でぶいぶいやらせたらどこで座礁するかたまったもんじゃありません。戦艦は、速度出すのに時間がかかる、急に止まれない、急旋回できない、喫水線下が深い、という狭い水路にゃとても向かない艦なのです。だけど重巡洋艦の20センチ砲ではインパクトに欠ける、それで35センチ砲を持って速度も出る高速戦艦である金剛級に白羽の矢が立ったのです。
あとはまあ、金剛級が使い勝手がいい上におばあちゃん艦だったというのもあります。どこの海軍も、新鋭戦艦を戦場に投入して沈めるのは怖いんです。だから自ずとおばあちゃん戦艦が活躍するという部分もあります。米海軍もノースカロライナ級やサウスダコタ級の新鋭戦艦は決してガダルカナルのヘンダーソン基地の制空権外に出しませんでしたし、英海軍も可能な限り新鋭戦艦は温存しました。第二次大戦で最も活躍した戦艦は英海軍のウォースパイトですが、彼女も金剛級と同世代の第一次大戦型のおばあちゃん戦艦でした。「沈めても惜しくない」ものが最前線に投入されるのです。

そもそも海軍というのは現存主義です。フリートイズビーイングというのですが、軍艦は沈んだら終わりなんですね。だから白村江の戦いの昔から、レパントの海戦やアルマダの海戦や日本海海戦に至るまで海戦というのは勝った方が全てを得て、負けた方は戦争そのものにも負けるのです。
よくいわれますが、同じ性能の戦艦6隻と4隻が戦った場合、6隻の側が勝つのは当然ですが、4隻の側が全滅したとき、勝った側が残るのは4隻なんです(戦力は二乗するため)。6対4だったのが、4対0になる。これでは負けた側は完全に制海権を失います。だから特に戦力が劣る側は決戦に急いではいけないのです。
また戦艦というのは第二次大戦当時のものでだいたい2000名くらいの乗組員がいます。沈むと、ほとんどが戦死します。ビスマルクに撃沈されたフッドは巡洋戦艦なので乗組員は1300名余りですが、ビスマルクの一撃で文字通りに轟沈したので3名を残しで全員戦死したのは有名です。この戦死者はアメリカ海兵隊の最も苦しい戦いのひとつであったペリリュー島の戦いの戦死者数を上回っています。そのくらい一隻沈んだだけで戦艦というものは与える影響が大きいんですね。とてもじゃないけどおいそれと気軽に投入するわけにはいかないものなのです。


あとねー、本題と関係ないけど見過ごせないのでコメントしますけど、日本のレーダー技術の遅れ方ってのは、アメリカ、イギリス、ドイツに比べたら比べることが失礼なくらいとんでもなく遅れていたのです。そもそも、八木アンテナといったところでそんなのは単なるアンテナ一本に過ぎません。部品にしか過ぎないわけ。
当時の日本は、戦場という過酷な環境で使い物になる無線機さえ作れなかったのです。無線機も電波だから、レーダーと技術はかぶるんですね。よくアメリカ軍なんかが無線機でマイクに向かって「2時の方向、敵機だ」なんてやっていますが、ああいうのが日本軍はできなかったんです。ロクな無線機が作れないんだから、さらに高度な技術が必要なレーダーなんて作れるわけがない。
アメリカもイギリスもドイツも、爆撃機や戦闘機を無線誘導しています。ご存知ですよね。でもレーダーには敵機も味方機も同じように映りますから、レーダーに映った機影が敵なのか味方なのか判別しなければならない。そのためには味方の機体にIFFという敵味方識別装置をつけなければなりません。無線機も作れない国がIFFなんか作れるかあ!
さらに、レーダーにただ機体が映ってもその高度が分からないと迎撃も上手くいかない。そうです、3Dで解析できないといけないのです。無線機も作れない国にそんな芸当ができるかあ!

じゃあ本土爆撃のときに日本がどうやって迎撃したのかというと、関東を例にすれば、まず千葉の先っちょでB29の爆音を捕えます。で、「爆音聞こえましたあ」と司令部に報告する。でも仮に千葉の先を通ったからといって東京に向かうか横浜に向かうかはたまた宇都宮に向かうかは分からない。千葉の飛行場では「たぶん東京じゃないかなあ」といって特に根拠もないまま出撃します。もちろんB29がどのへんを飛んでいるかは分からないので「勘」で探しに行きます。もちろん夜間だろうがなんだろうが目視です。
しつこいですがロクな無線機がないので「えーこちら司令部。B29は横浜に向かっている模様」なんて連絡も不可能。「迎撃機の奴ら、B29を見つけているといいなあ」とお祈りするしかないのです。
というわけで、死にたくない迎撃機のパイロットは一度飛び立ったらなるべく「来なさそうな辺り」をブンブン飛び回ってから帰還し、「いやあ、探したけど見つからなかったっす」といえばOKなのです。
そしてもちろん日本軍のお約束で、海軍と陸軍で情報が共有されることは絶対の二文字をつけてありません。だから貴重なレーダーが陸軍と海軍と同じ場所にあってそれぞれ独自に運用されるという素晴らしい効率を誇っていました。
効率といえばさらに素晴らしいのは、当初名古屋には防空司令部ってなかったのです。大阪にあった。だから、名古屋の南から入ってくるB29の情報は一旦大阪に送られ、大阪の司令部から名古屋の基地に命令が下って出撃する、なんてやっていたのです。さすがにそれじゃお話にならないと気づいて名古屋にも司令部が作られましたけどね。ちなみに海軍は本土防空にはなぜかまったく無関心だったらしいです。「それは陸軍の仕事だろう」って思ってたようで。
戦後の米軍の報告書によると、対日本土爆撃で受けた損害率はおおよそ平均して1.5%程度です。東京大空襲を受けた1945年3月なんて、はー、撃墜されたB29は0機なんですって。ゼロですよ、ゼロ。

あと700文字書けるのでさらに調子に乗りますけど、迎撃戦闘機ってのはすぐに高度を稼がないといけないので、トルクがぶっといエンジンが理想です。トルクがぶっとくてさらに空気が薄い高高度でもエンジンの冷却ができるとなると液冷エンジンなんですが、日本は最後までとうとうこの液冷エンジンが作れませんでした。あの三式戦闘機飛燕に搭載された「ハ40」エンジンです。
この「ハ40」エンジンはドイツのメッサーシュミットBf109のベンツエンジンのコピーなんですが、ドイツが1937年に設計したエンジンが、1944年の日本でも作れなかった。なぜ作れなかったのかというと、液冷エンジンは部品ひとつひとつの誤差の範囲が空冷エンジンに比べてタイトなんですね。つまり正確に同じ大きさの部品が生産できないといけない。この「同じ品質の製品(部品)を作る」って芸当が当時の日本にはできなかったのです。製造業界ではこれを「クオリティコントロール(QC)」というのですが、時とはこのQCという概念、戦後に米軍によってもたらされたものなんです。当時は「平均した質の品物を安定して生産する」ってことができなかったのです。
ロクな無線機が作れなかったのも不思議ではない話ですね!とにかく、当時の日本の工業品の質は今の中国レベルだったのですよ。
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この回答へのお礼

 日本海軍が優秀だったのは明治までで、昭和海軍は
ダメですね。太平洋戦争時、アメリカは下手うった将官は
更迭されたのに対し、日本は何らお咎めなくそのまま。

 南雲忠一、福留繁など切腹させにゃ。

 さて、>作戦行動中に純粋に航空機のみによって沈められた戦艦は英海軍の
レパルス、プリンスオブウェールズ、伊海軍のローマ、日本海軍の大和、武蔵のみ。

 これは同意ですが、ローマはちょっと意味合いが違うので、撃沈の事実が
あっても分けて考えるべきかと。
 また航空機の支援がなかったのも共通ですが、上空に友軍機があれば、
航空機で戦艦を沈めるのはやはり無理らしいですね。

 話は変わって、栗田艦隊に大和は随行してなかったはず。
もし、レイテ湾に突入してマッカーサーの上陸部隊を砲撃云々と巷間
言われますが、湾内十重二十重に布陣している敵艦隊をすり抜けて
または、壊滅させて・・・など、はなから夢のような作戦だったらしいです。

 戦艦同士の撃ち合いで沈んだ 霧島 は立派な最期だったなぁと思います。
大和、武蔵もこんな場面で使って欲しかった。なんせ世界最強の戦艦だから。
常識の上では、相手を撃沈出来るかどうかは主砲の命中率によっても、
大和、武蔵を沈められる砲弾はないわけですから。

安物のワインはガブガブ飲むのに、高価なワインは天皇陛下が来ても
出さない。「じゃあ何のために買ったの?」「さあ何でだろう」
そんなもんですか。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/01 22:15

>一億総特攻のさきがけとして沖縄へ向かい、


沖縄到着の後、浅瀬へ乗り上げ海上砲台として
アメリカ軍攻撃が目的ではなかったのですか。

全く違います。
沖縄近海にいると思われる敵水上艦艇及び輸送船団攻撃が目的です。
陸海軍の航空総攻撃に呼応しての艦隊出撃であり、言ってしまえばフィリピン沖海戦と似たような作戦なのです。

>特攻で出撃すれば帰りの燃料は不要のはず。
いいえ、特攻機は帰りの燃料が必要と日本軍は考えています。
ですので、基本的に特攻機は往復分の燃料を搭載して出撃しています。

日本軍は必要と考え、poppsさんは不要と考える、全くの逆の考えとは面白いですね。
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この回答へのお礼

 物事には諸説あって然るべきとはいえ、tandeさんと
小生の情報が全くの正反対なのはなんでかと思います(笑)。

 大和出撃は犬死にだ、と反対した伊藤整一司令官は
「>一億総特攻のさきがけとして沖縄へ・・・」の言葉で
出撃を承諾したという、”男たちの大和”か”連合艦隊”で
そんな場面があったと思うのですが。まあ映画ですから
本当かどうかはなんとも。

 片道燃料も、軍歌に(鶴田浩二さんが歌ってました)
♪・・・ 燃料~片道~テンツルシャン 涙で積んで~~
 行くは~ 琉球~ 死出の旅 え~ええ死出の旅~

というのがあって、行って死んでこい なのです。

 また戦争末期には特攻機の車輪は離陸と共に外れるようにして
生還はできないようにしていたそうです。(節約のため車輪は
使いまわし、それも木製だったそうです)
 燃料満タン(俗にいうマソリンがんたん、それも言うなら
ガソリン満タンやろ)でも、車輪なしでは着陸できません。
 もう歴戦の優秀なパイロットも居ないので、まともに着陸出来ん
のなら帰ってくんな、といった考えもあったかも。

 では、玉音放送で終戦を知った 宇垣纏 がその後、部下を連れて
沖縄へ特攻をかけた時、燃料は往復分積んでいたでしょうか。
 燃料の量はともかく、彼は死ぬのを目的に出撃したのだから
建前は片道分と解釈できます。

 ずいぶん大和と話がそれてしまいましたが、こんな議論が
楽しい今日この頃。(明日が休みだからか)

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/01 21:21

 戦艦大和は艦隊決戦のための船ですから温存されました。


 大艦巨砲主義は戦艦同士の砲撃戦で勝つための船を持つ考えです。
 その機会が無かったのですから無駄と言われても仕方が無いでしょう。

 ガダルカナル島の飛行場への砲撃ですが、地上攻撃用の砲弾を使っています。大和を投入しても通常砲弾しか使えないのでは威力が下がると思います。そもそも狭い海域に戦艦を積極的に投入する考えは無かったと思います。

 大戦末期は燃料がありませんでした。
 瀬戸内海にいた艦艇は動けないためにやられたものも多くあります。
 作戦行動が可能だった戦艦長門も燃料が無く動けませんでした。アメリカの本土上陸部隊が来たら、引っ張って行って洋上砲台として使うつもりだったそうです。
 動かない標的になって沈むくらいなら最後の戦いへと思ったかもしれません。
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この回答へのお礼

 このたびの戦争はもう勝ち目がないが
いずれ何年か後に覚えとれよ、という考えがあれば
戦力温存、保存としそうですが、全部いてまえ、と
したのは、もう陸軍も海軍も実体はおろか、名前も
無くなるという、なんかそんな話でもあったのでしょうか。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 22:44

Uncle_Johnさん



まず大和は処女航海で撃沈されてはいません。
昭和16年12月に海軍へ引き渡され、昭和20年4月に撃沈されました。

B29ですが、総生産数は約4000機で、対日戦に動員された機数が1200機です。その内の未帰還が400機で実に1/3が帰らなかったのです。

広島に原爆が落とせたのは米軍の作戦勝ちであって、日本陸軍迎撃機の性能が悪かったからではありません。

テニアンを離陸した509爆撃隊は、日本軍に無線を傍受されて原爆を積んだ特殊攻撃隊である事が判明しました。問題は攻撃目標です。爆撃隊は二手に分かれたのですが、どちらが本物かは判りませんでした。8月6日8時少し手前で東側を飛んでいる編隊が原爆部隊と判明し、目標は広島だと判ったのですが、迎撃機が離陸する時間が足りず泣く泣く投下を許したのです。
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この回答へのお礼

 処女航海で撃沈されたのは戦艦⇒空母信濃のことですかね。

 広島の新型爆弾の報を聞いて、日本でも「それは原子爆弾
だろう」と分かった人もいたそうですね。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 21:43

失礼な表現、誤記、語弊などありましたらご容赦ください。



前回の回答は一部、戦闘機の話など誤りがありました。すみません。
大和にしても処女航海で沈んだ訳ですし、もったいないと云うのは歪めませんし海軍にとっては誤算だったと思います。
前回、「大和」が何故作られたかと言う事の歴史的な意味での回答やご参考程度にはなっていたと思います。
昨今、中国が空母を持ったとニュースになっていました大陸国、故だと思います。
島国の日本には本土防衛含め、資源を求めた日本は太平洋や東南アジアの作戦など考えれば米と対戦はしてもしなくても戦艦や空母はある程度必要だったと思います。

前回、制空権と言いつつ、戦闘機のくだりで理解してほしかったことは
『日本の戦闘機が思うように本土防衛に活躍できなかったことです。』
そのことにより
米は軍艦や空母の寄港できる、また、戦闘機(爆撃機)の往復できる太平洋上の拠点の島々等々得た時点で日本の空の「制空権」を取ったも同じで、その時点で第一次世界大戦を静観し、その特需で英にかわり世界一の経済力、軍事力になっていた米にとっては充分だった訳です。

makocyanさん、および回答者各位

皆さんの回答、小生も勉強になりました。
makocyanさんのおっしゃるとうりだと思います。
戦闘機の話、ご指摘、ありがとうございます。勉強になりました。
何十年も前の子供のころの読み漁りの知識程度です。
航空機の専門家でもないので専門用語とか済みませんでした。

誤解がないようにお詫びと参考まで。
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この回答へのお礼

 中国の空母は使い物になりそうですか。
まあ空母という名前で抑止力になってるうち
が花で、実戦訓練や配備になるとメッキが
剥げそうで、配備自体無理じゃないかと
思います。

 そこへいくと、かつての日本はえらかったな~と
つくづく思います。

 重ねての回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 22:14

>大和建造は大々的に報じて、就航後はアメリカへ親善航海して、日本と交戦の時は大和がお相手申す、というデモンストレーションを行っておれば、日米開戦は避けられたかも


 ⇒残念ながら、他の方のおっしゃるとおり、就役は開戦後なので無理。仮に開戦前に就役したとしても、当時のアメリカの戦艦戦力は15~18隻、進行中の建艦計画が完了すれば20隻を超える(しかも新造艦中心)規模になるのに対し、日本海軍は大正年間に建造した戦艦が10隻、大和型4隻が完成しても14隻ということなので、多少の主砲の優位を持ってしても威嚇にはならなかったと思います。そもそもアメリカは主砲の口径よりも単位時間あたりの投射重量を重視していたようですし。

>それだけ大事にしながらも、結局バカな特攻で沈めてしまった大和は(武蔵も)何のために作ったのでしょうか。
 ⇒本来は国運の帰趨を決する艦隊決戦に使うために使いたかった。ガダルカナルあたりで使わなかったのは、陸上基地への艦砲射撃なんぞにはもったいないし、もし使って砲身命数が少なくなったら、肝心な時に砲身交換で使えない、というところでしょうか。結局肝心なときはこなかったので、何にもなりませんが。ちなみに建造費は現在の貨幣価値で2600億円(単艦)くらいだったといいますので、イージスシステム艦(1000億円超え)と比べたら意外に安いか?なんて気もします。もったいないには違いないですけれど。

 ところで、よく「日本海軍は大艦巨砲主義に固執して航空の時代であることに気付かなかった」なんて方もいますが、そうじゃないでしょう。他の方もおっしゃっているように、戦艦の建造を中止したのは英米よりも日本のほうが早いですし、一隻は強引に途中から空母に変更するなんて無茶をしてますから。要は「アメリカは戦艦に加えて空母を量産する国力があり、日本にはそれが無かった」ということだと思います。

 余分な話ですけれど、(怒らないでくださいね)
 月光の実用上昇限度は9300mで、他の機体では11000m以上がゴロゴロ(例えば4式戦、五式戦、紫電改など)してますので、月光が一番上に上がれたわけではありません。
 B-29も実用上昇限度は9000m台なので、問題は最高到達点(実用上昇限度)ではなく、高高度での運動性ではないでしょうか。日本機が上に上がれなかったのではなくて、日本機は上に上がってもエンジン出力が低下して自由に行動できなかった、対するB-29は排気タービンのおかげで高高度でも大きな性能低下がなかった、というのが正確なところかと思います。
 また、当時の戦闘機で与圧キャビンを備えていたのは英米機でもほとんどありません。日本だけじゃないです。
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この回答へのお礼

 大和の主砲は300発で砲身を交換しなければ
ならなかったそうですね。結局、一砲身どころか
全砲合わせても300発発射したのでしょうか。
 もったいぶって使わないのにメンテのマニュアルは
徹底してる、ワイルドだろ~(今ならこんな言われ方
してるでしょう)

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 22:04

大和級は金剛級の代替艦です


老朽化した軍艦の更新でしかありません
対米戦勃発と同時に信濃及び111号艦は建造が中止されました
(信濃は船体が完成直前だったので船体工事だけは行われました)

1930年代後半の各国は何れも新型戦艦を建造しています
戦争開始と同時に戦艦の建造を止めたのは日本だけです
(大和と武蔵は戦争前に実質完成しており、艤装とテストをする段階でした)
米国は18隻計画して7隻を中止しました
残りは建造しています
英仏最後の戦艦は戦後に就航です

航空機時代の幕開けとよく言われますが、外洋において航空機で撃沈された戦艦は少ないです
大和・武蔵・プリンスオブウェルズ・レパルス・ローマ
砲撃戦で沈んだのが
フッド・ビスマルク・シャルンホルスト・比叡・霧島・扶桑・山城
潜水艦で沈んだのが
バーラム・金剛・(朝日)

空母の場合
航空攻撃で喪失15隻(日本が11隻)
砲撃戦で喪失2隻
潜水艦で喪失13隻

航空機以外で喪失した軍艦の方が多いんです


第二次世界大戦以降戦艦が消えたのは維持費と建造費の割に効果(海上抑止力)が無いからです。同様に空母も消えています。

朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争で戦艦が復活しています。何故か?空母の打撃力より戦艦の打撃力の方が安く強力だからです。空母の艦載機が1日がかりで行える地上攻撃力と戦艦が行う砲撃力は同じです。一方は莫大な燃料を消耗し、高額なメンテナンスを必要としますが、戦艦は空母と同じだけのメンテナンス代で済みます。
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この回答へのお礼

 しかし現在でも空母は目をむくほどの維持費が
かかるといわれて、保有国も数えるほどなのに、
当時の日本が空母に戦艦にと、どんだけの維持費が
要ったのか、想像もできません。
 おまけに大和ホテル、武蔵御殿では、金食い虫の
穀潰しと非難されるのは仕方ないですね。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 21:53

”それだけ大事にしながらも、結局バカな特攻で沈めてしまった


大和は(武蔵も)何のために作ったのでしょうか。”
     ↑
日清日露戦争の海戦の味が忘れられず、
航空機時代に乗り遅れたのです。
この点織田信長は偉かった。
彼は、桶狭間の戦いに味をしめませんでした。
逆に、あれは運が良かっただけだと反省し、
以後は、相手の数倍の軍勢を
揃えてから、戦うようになったのです。

特攻というのが、もしも片道燃料云々をさして
いるのであれば、それは誤解です。
ちゃんと帰りの燃料を積んでおりました。
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この回答へのお礼

 一億総特攻のさきがけとして沖縄へ向かい、
沖縄到着の後、浅瀬へ乗り上げ海上砲台として
アメリカ軍攻撃が目的ではなかったのですか。

 話は変わるのですが 宇垣纏 という人が、
終戦間近、特攻隊の司令官だかになって、
ある特攻隊員が「敵艦に爆弾を見事命中させたら
生還してよろしいですか」と聞くと「ばかもの、
もってのほか」と罵倒したそうです。まあ、
宇垣纏という人は、まともな神経の人じゃなかった
そうですから、まあなんなんですが、特攻命令とは
かくあるもので、生きて帰ることを前提にしない、
もう作戦とは言い難いことを言うので、特攻で出撃
すれば帰りの燃料は不要のはず。

機会があれば調べてみます。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 21:36

失礼な表現、誤記、語弊などありましたらご容赦ください。



何となく、目に留まってしまいましたこのご質問、私が回答するのも変だと思いつつ自分なりの意見を戦争全体的に述べます。

第一次世界大戦以前から、第二次世界大戦初頭まで、『制海権』が世界を制していて軍艦を沢山持つことが大事と考えられていたと思いました。
イギリスの繁栄は海を制したことだったと思います。
西欧列国の横やりで日本の持てる戦艦の数が制限されていたと思いますが1934年(昭和9年)、国際連盟に脱退しロンドン海軍軍縮条約(戦艦保有数の縛り)の失効後、西欧列国に対応出来る戦艦を開発、製造し始めました。
縛りの無くなった日本は当然「制海権」を考え、類を見ない軍艦の開発、製造は当然と言えます。

しかし、時代は第一次世界大戦末期に複葉機の飛行機の軍事利用が始まり太平洋戦争当時には日本でも戦闘機、陸軍は隼、海軍は零戦が誕生していました。
当時の日本の軍隊は、海軍、陸軍にそれぞれ空軍が付加された形を取っていました。

日本は第二次世界大戦、特に太平洋戦争は『制空権』がより重要になったことをもう少し深く受け止めるべきだったと思います。

少しそれますが、旧日本軍は、すぐれた技術(測量技術や零戦)を持っていると、新しい技術を軽視する傾向にあり、レーダーにしても発想や技術者はいたのに無視して開発が遅れ当初は戦艦大和にしても測量義で敵艦や標的の距離を測量していたと記憶しています。
それと似ていて、日本の戦闘機は戦闘能力そのものは劣るどころか優れた点の多かった「零戦、隼」ですが時代が進むにつれ劣った点が2、3出てきました。
その一つが飛行高度、最高到達点が低いと云う欠点です。
速い話、操縦室を完全密封しパイロットが酸欠にならない配慮や気温を安定すればよいだけなのですが日本の戦闘機はそれを施したものがありませんでした。

レーダーを開発に後れを取った日本は、真珠湾空襲以降、思った成果が挙げれれず太平洋や東南アジアの拠点を夜襲されると対応できませんでした。
「大和」には最新技術が使われていたものの、つけられた「レーダー」は欧米に比べれば陳腐なものだったとか!!
結果として、米爆撃機のB29による1944年(昭和19年)11月14日、翌、3月10日、東京大空襲を皮切りに本土空襲が始まりました。

不思議だと思いませんでしたか?原爆が「広島」「長崎」に落とされたこと?
日本にも戦闘機はあるだろうに何故、やすやすと爆撃されたのでしょうか?
日本の戦闘機は日本を、日本の空を守れなかったのです。
勿論、質の悪い燃料や物資の乏しい日本であることが影響し戦闘機の性能が発揮できなかったこともありますが
この辺の話は記憶なのですがB29のはるか下で右往左往するかやっと届いた戦闘機もパイロットが酸欠で気を失なったと聞いています。

東京大空襲や原爆投下などB29の本土爆撃は日本の戦闘機の及ばない高い高度で空襲し帰還する始末で、日本の一番飛行高度の高い戦闘機「月光」でさえ充分な戦闘能力を発揮できない状態でした。
という訳で要約すると「制海権」と思って作った戦艦大和が出向の時は既に「制空権」の時代であったことに尽きると思います。

月光 (航空機)-夜間戦闘機「月光」欄参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88%E5%85%89_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

戦争はいろんなものの発明、発展を加速させます。
歴史の綾でしょうか?
日本の戦後復興の一要因が朝鮮半島の戦争であったことは悲しむべきことだと思いますが現在では「制海権」も大事ですが大陸弾道弾の時代です。

今、お使いのパソコンも戦争の賜物です。
戦争で大砲の砲弾着弾点を風やその他の条件を考慮し計算してピンポイントで攻撃するため真空管で開発された一部屋か二部屋分の大きさがあったコンピュータが一方では現在、マイクロチップになってミサイルの制御で搭載され、片方ではパソコンになっています。

戦艦大和は戦争が「制海権」「制空権」抑止力含め「核兵器」「大陸弾道核サイル」時代と動いてきた時代の狭間の産物だったと思います。

PS,日露戦争は大砲はあったものの中国の大陸では日露双方とも騎馬戦だったとか!?
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この回答へのお礼

 レーダーといえば、アメリカの戦艦はレーダー射撃で
日本艦隊を攻撃し、日本は手も足も出なかったと聞きます。

 大体、日本がバカで、あるアメリカの捕虜が持っていた
書類にY・A・G・Iとあるのを、「おい、このワイエー
ジーアイとはなんだ」捕虜は「お前たち、ほんとに知らないのか」
「なにがだ」「それはお前たちの国の八木博士のことじゃないか」

 八木博士がレーダーの原理を考えて軍に開発の申請をしたら
見事に却下され、そんじゃアメリカさんと、という話は
どこまで真実か知りませんが、そんなことがあったそうですね。
 こうなったらもう大和、武蔵どころの話じゃありませんわ。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 21:09

>またある人は、「大和建造は大々的に報じて、就航後はアメリカへ親善航海して、


>日本と交戦の時は大和がお相手申す、というデモンストレーションを行っておれば
>日米開戦は避けられたかも」という説もあります。

それはあり得ません。
大和の竣工は太平洋戦争開戦後ですが、既にヨーロッパで大戦が始まり、日中戦争が泥沼化している状況において、たかが未完成の戦艦の一隻や二隻で米国の外交政策が変わる筈がないです。

>沈んでもったいないのはどんな艦でも同じなのに大金はたいて床の間の置物では、
>(今の価値で5000億円といわれてます)海軍上層部の考えは大和、武蔵を
>どうしたかったのでしょうか。

同時期に竣工した他国の戦艦も程度の差はありますが、航空機が主力となった戦場で活躍の場を失っています。
戦艦という兵器は最後の全盛期(いわゆる無条約時代から第二次大戦勃発までの1937年~1939年まで)から僅か数年でその殆どの価値を失うという、歴史上極めて希な例外的な存在であり、一部の識者はともかくとして、それを予見出来た海軍は世界のどこにも存在しませんでした。
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この回答へのお礼

 真珠湾攻撃、マレー沖海戦までは、まだ
戦艦が海軍の主役だったと思います。

 上記、両海戦の相違点は割愛しますが、
アメリカ海軍は否応なしに空母を主力としなければ
当座戦えない状態で、日本のやったことを見習い、
やった本人の日本は、あんなのは邪道だ、海戦とは
戦艦の主砲で決するものだ、という凝り固まった
考えから抜け出せなかったのでしょう。

 航空機で戦艦は沈められないという当時の
考えを覆した日本が、自分の100点のテストを
破り捨て、大和、武蔵で100点を取ろうとした事が
間違いの元ですが、どんな勝算を思い描いていたのやら。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/31 20:52

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