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島崎藤村著・小説「夜明け前」は1929年4月より中央公論に連載された。彼はその第1部上・序の章・五に「この山の東の方から光ったものが出て、それが西南の方角へ飛んだといいます。」と記述しています。
事実1993年頃、私は恵那山登山の帰りの夕暮れ、猛速で私に向かって真っすぐに飛来するこの光に急襲されました。思わず身をすくめたほどの至近距離でした。ほんの一瞬の事でしたが強烈な不思議体験として記憶され、その後、ある日突然、この小説の記述に気づきました。

島崎藤村著・小説「夜明け前」の中の飛ぶ光の記述はどのようになされたのでしょうか。小説の素材は事実談が取材されたものなのでしょうか。

A 回答 (1件)

これは彗星のことだと思います。

歴史的に見ても、この嘉永6年、ペリー来航とほぼ時を同じくして彗星が現れたという事実があります。『夜明け前』の中でも彗星の記述がいくつか見られます。

ただ、それだけではなく、この序の「光ったもの」に対応するように、半蔵の晩年、夢破れた半蔵が、次第に狂気にとらわれ、深い悲しみに沈んでいく第二部第十四章三には「夕飯後、二階に上がって行って見ると、空には星がある。月の出もややおそくなったころであったが、青く底光りのするような涼しい光が宵よいの空を流れている」と書かれています。

そのつぎの段落に、満天の星を見ながら、

>空の奥の空、天の奥の天、そこにはあらわれたり隠れたりする星の姿があだかも人間歴史の運行を語るかのように高くかかっている。あそこに梅田雲浜があり、橋本左内があり、頼鴨崖があり、藤田東湖があり、真木和泉があり、ここに岩瀬肥後があり、吉田松陰があり、高橋作左衛門があり、土生玄磧があり、渡辺崋山があり、高野長英があると指さして数えることができた。(http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1507_ …

とあって、半蔵は星になった彼らにくらべ、何一つ為すこともなかった「おのれの愚かさ拙さ」に思い沈むのです。

これを考えると、序とこの箇所で出て来る「空を流れる光」というのは、星とはならず、一瞬の光を夜空に放ったまま消えていった半蔵の象徴といえるのではないでしょうか。
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