プロが教えるわが家の防犯対策術!

 初めに宣言しますが僕は女性のヌードは大好きです。

 けれど、芸術と称してやたらと女優(有名・無名あわせて)のヌードや濡れ場を
とって前評判にする映画っていつも腹立たしく思うのです。

 本当に映画の芸術性を高めるために女優の裸が必然と映画監督など制作者は
考えているのでしょうか?本当に本気でそう思うのでしょうか?

 確かに作品によっては女優のヌードや性交場面なしに成立しない物があると
思います。それでも僕は女性の裸や濡れ場を見せることで客寄せをしたがって
いるのだと感じてしまいます。

 ここで本題ですが、教えを請いたいのです。
あなたがこの映画は女優のヌードや濡れ場が必要不可欠でかつ感動した作品だと
思った物があれば寸評とあわせてお教え下さい。

もう一つ、あなたが女性であれば女としてそうした作品をどうお感じになりますか?
お教え下さい。

A 回答 (5件)

五社英雄監督 「吉原炎上」



脱がなしゃぁないストーリーですよね?

名取裕子さん、キレイ

私はいやらしくなく見ることができます

文芸性の高い作品はOKですね
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この回答へのお礼

 なるほどこの映画がありましたね。ほぼ納得です。
 ただ、「吉原炎上」で名取さんらが演じた遊女たちの艶めかしい姿をあれほど
画面にする「芸術性」や「必然性」にはやや疑問です。勿論、まったく描かなければ
何のための作品かわからないですが、
 やはり観客の下卑た目を喜ばせるための過剰演出だと思うのです。監督自身、「犯罪」
でテレビ局を退職し困窮していたようでこの作品にかけていたようです。それに、
(この作品の芸術性と女体の美しさは頷けますが)監督の他の作品で女体をみせる映画に
芸術性は感じません。(「鬼龍院花子の生涯」も含めてそう思います。)

 でも一番納得させてもらいましたのでお礼とあわせB.A.を進呈させていただきます。



 

お礼日時:2014/07/18 11:47

私、実は「無意味にヌード映画」、すごく萌えてしまうんですよw もちろん作品としての評価は下がりますけど、そのトンチンカンさにグッとくるというかなんというか・・・



そうゆう意味では「北京原人」なんか最高でしたね。北京原人に警戒されずに近づくためだといって、男女の研究員二人が急遽パンツ一丁に。でもパンツが二人とも偶然肌色という不自然さ。そんなんだったら脱ぐ必要ないのでは?ってツッコミつつ、女優さんのおっぱいの揺れを何度も繰り返し再生して愉しんでました。ツッコミ所満載のトンデモ映画でしたねw

あと、大林宣彦監督「あした」での、高橋かおりさんのヌード。これはキレイだったし、ストーリー上の必然性もあるにはあったけど、やはり「こんな純真そうな子がこんな風に脱ぐか?」という違和感が愉しめましたw


>あなたがこの映画は女優のヌードや濡れ場が必要不可欠でかつ感動した作品だと思った物があれば寸評とあわせてお教え下さい。

思い当たったのは、岩井俊二監督「スワロウテイル」の、アゲハの胸にタトゥを彫るシーン、伊藤歩ちゃんの上半身ヌード。当時未成年だったんじゃないでしょうか、これは演出・映像ともにキレイでした。映画そのものが、「偽札づくり」「少女売春」「麻薬」などなどタブーのオンパレードなんですが、汚いものをたくさん見せながら、逆説的な人間のはかなさ、美しさを感じられる作品でしたね。お金に翻弄され、振り回されながらも、それぞれの登場人物のお金より大切なものを、お金を使って手に入れる挑戦というか、うまく説明できないけど「お金って何だろう」と考えさせられました。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

(1) 最初からエロで観客を釣るのがわかる「低俗」映画はそれで楽しめるから良いのです。
(2) 高橋さんのヌード、そりゃあ良いですよね。ってやはりそれで客寄せしてません?
 大林監督は明らかに少女趣味がありますが、その趣味で映画製作をしていましたよね。
 必要もないのにキャリア作りと思ったのか脱がされていった若手女優が痛々しい。
(3) 「スワロウテイル」なるほど、先に紹介いただいた「吉原炎上」とは違った意味合いで
 少女美を通して「人間愛」を示したかな。

お礼日時:2014/07/18 16:33

【初めに宣言しますが僕は女性のヌードは大好きです。


 けれど、芸術と称してやたらと女優(有名・無名あわせて)のヌードや濡れ場をとって前評判にする映画っていつも腹立たしく思うのです。】


まったく同意見です。


【すべての映画に、女性のヌードシーンは不要である。あったとしたら、ただの客寄せ。裸を見せなくても表現できるはず。裸を使う監督は、二流!】と、断言します。


【ヌードの必然性】を訴え、脱いでしまう女優も二流です。


すべては、客寄せにすぎない、悲しい行為です。


富田靖子の【南京の基督】を観たら…

こんなストーリーで、脱がされてしまった彼女がかわいそうで、哀れで…

そこまでして、女優の仕事がほしいのか…

と、泣けてきました。
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この回答へのお礼

 共感します。バブル時代の女優たちは、まず出演ありきで監督たちは「芸術」「必然」「美しい」
などの言葉で次々と脱がせていったようです。女優たちはそれを断れば女優の道がどうなるかわから
ないでしょうし「芸術」の言葉で客寄せの為の裸だと知りつつも「納得」したのだと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/18 11:34

・メノット



主演扱いになるんですかね?この主演をしたアイドルはホリプロ期待のアイドルだったんですよ。まさにブレイク寸前というタイミングでとんでもないスキャンダル写真が出てしまいましてね。余りに生々しい写真だったので主だったマスコミなどからは一切黙殺されたのですが、目の届かないゴシップ誌なんかは大騒ぎとなってアイドルとしての生命は絶たれました。
しばらく後にこの映画で主演となり体当たりの濡れ場とヌードを披露したのですが、これが彼女にとっても引退作となってしまいました。
当時はおっぱいイロモノ担当だった綾瀬はるか嬢とのWグラビアなんかもあったのですが、当時の格としては綾瀬さんのほうが格下でしてね。片や期待されながらスキャンダルで自滅、こなたおっぱいやらビューティコロシアム(ダイエット企画で出演)やらのイロモノ担当から大河女優ですからね。

余談が長すぎですが、本編となるともうこれがまたつまらないさえも通り越してストーリーがそもそもよく分からない。監督と本人に敬意を表して映画は通して見ないと、と思っていたけどあまりのつまらなさに20分くらいたったら早送りにしてヌードと濡れ場のシーンだけ見ました。その濡れ場も訳が分からんのですけどね。思い出しながらですから細部が異なっているかもしれませんが、彼女が後ろから目隠しをされて襲われて、裸にされて男が後ろから乗っかってきて、目隠しが外れたら彼女は相手の男を見て「あら、アンタなの?」って顔をすると突然彼を手で軽く押しのけて拒否。すると彼はするすると画面の外に素直に消える。この間セリフなどは一切なし。なんのイメージシーン?って感じです。

え?それで濡れ場が必要不可欠な理由ですか?だってこの映画、濡れ場がなかったらどこも見るシーンがなくなりますもの。あの押井守監督の黒歴史「ケルベロス」をも上回る感動の駄っ作品です。私が今まで見た映画の中では最強のつまらなさでしたね。
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この回答へのお礼

 面白い回答をありがとうございます。
その映画は観ていませんが、主演女優の藤本さんはせっかくのチャンスを
スキャンダルで逃したのですね。アイドルだから事務所は許せないのでしょう
けど、別に犯罪をしたわけでなく、女子アナの夏目三久は逆にブレイク。世の中
不条理を感じます。

 映画はそんなに駄作でつまらないのですか。そんな映画で裸を見せる女優も
気の毒ですね。ま、そんな扱いを受ける人だから簡単に捨てられたのでしょうね。
 何と事務所は当初は綾瀬さんよりもその藤本さんを売り出すつもりだったそうですね。
びっくりです。僕は大の綾瀬ファンですので。

お礼日時:2014/07/18 11:28

当て書きというのがありまして、脚本を役者の個性に合わせて現場でどんどん書きなおしていく手法があるのです。


女優の濡れ場を予め提示しておいて、その役に対してどのように女優が覚悟してくるかで、女優の演技力を引き出し、現場で脚本を書き換えるほどの撮影の緊張感を高めて、芸術性を高める効果はあるのです。監督の力量ですが。
大林宣彦なんかは、全く必然性のないヌードを用意します。女優のやる気を見る。脱がなくても撮りますが、頼んで脱いだらめっけもんで使います。

その点で、女優のヌードや濡れ場が必要不可欠でかつ感動した作品は「蒲田行進曲」の松坂慶子。
濡れ場のシーンは特には必要ないと思います。
ヤスの部屋の貼ってあるピンク女優時代のポスターに、銀ちゃんとヤスと小夏の過去の関係にものすごい説得力が出る。

たかがポスター1枚のために、脱げる女優を主演にする。
それが、ただの暴力映画である仁義無き戦いを名作にし、大部屋俳優の名前を覚えていてすすんで登用し、自主制作など自分の金の持ち出しなく、商業映画だけを撮り続けた、深作欣二監督の真骨頂。
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この回答へのお礼

 早々の回答をありがとうございました。
 「当て書き」などの言葉も知りました。感謝です。
 ただやはり、濡れ場を提示して女優の覚悟を試すなどする監督など制作側の方法は
好きになれません。例えば70年代や80年代のころ「芸術だ」「必然だ」と次々と
女優を脱がせたやり口はAVと何の違いがあるのかとおもいますし、それらの結果、
現在女優として伸びていこうとする新人たちは初めから躊躇せずに全裸をさらしてこそ
役をとり、 雑誌などで「大胆さ」を評価され評判を高めている。
話、前後してすみません。大林監督の尾道三部作のような情感あふれる
作品は認めますが、彼が次々と20前後の少女たちを脱がせていた意図は
何なのでしょう。彼の大学時代からの少女趣味がそのまま作品になったとしか
思えません。(つまり良い作品はあれども多くは彼の悪趣味から製作された)

 松坂慶子さんの小夏は胸に迫るものがありました。彼女が脱がないでも映画は
できたけれども脱いでこその大作だったと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/18 12:07

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