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ジャポニカ学習帳の表紙に昆虫の写真が載っていたのは、
もう数10年の歴史があると思うのですが。
最近になって、昆虫の写真の表紙が無くなるそうです。
なんでも親や教師から「昆虫は気持ち悪い」という
苦情があったということなのです。

「気持ち悪い」と「自然のサイクル」の話はそもそも別物だと思いますが……

例えば、動物の死体などにはすぐさまハエがやってきて、卵を植え付け、ウジが沢山たかっていきます。そして、さらに死肉を食らう動物、はたまた、ウジなどを食らう生物などがやってきます。そして、残ったものはバクテリアなどによって土へとかえっていきます。
これは、自然のサイクルそのものですけど、じゃあ、それを理解しているからと言って、死体に沸いているウジを気持ち悪くないと思えるのか? といえば全く別です。頭で理解していたところで、気持ち悪いものは気持ち悪いです。例えば、そんな写真が表紙のノートを持ち歩け、と言われても、私は絶対に嫌です。

そして、仮にノートの表紙が虫でなくなったところで、理科の授業などでちゃんと昆虫が自然に取っていかに重要な存在なのかをやって理解させれば言いだけの話。
こういうと何ですが、ノートの表紙に使うな、というのと、授業そのものをやめろ、というのはまったく別の話であり、それを混同することは単なる論理の飛躍そのものだと思いますが。
みなさんは、いかがお考えですか?

A 回答 (3件)

あなた個人の考え方にあれこれ言う事はありませんが、


『極一部』の意見や苦情に対して過敏に反応する企業や政府にはどうかと思います。

あ、政府に関しては『ヘイトスピーチ』に関してね。
あんなの、都心の一部で騒いでいるだけでしょ?
地方でそんなの見た事ないし聞いたこともない。
なのに、法整備云々とか、海外諸国からその件で問題視されるのは腹立たしいです。
今回の質問とは関係ないけど、過敏すぎる反応はダメだね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/14 09:23

わたしもそう思いますが、ただ 昆虫とウジの話は別物だと思います。



遺伝子的に(本能的に)私たちは「死」という危機に関する記憶があります
ウジというのは 腐敗したものに発生するところから その存在に危機を感じ気持ち悪くなるのは自然なことだと思います。ゴキブリにしても同じように その不潔感や生命力に恐怖を感じるものと思います。

人が何かを気持ち悪いと感じるものには そこに(程度の差はあれど)「危険」を感じるからです
心理的に 人間の姿からかけ離れたもの(異質なもの)ほど(程度の差はあれ)恐怖を感じるのですが ウジとかゴキブリとか「腐敗」を感じるものや 予測不可能な動きをするものを 特に気持ち悪いと感じるのも当然だと思います。

子どもたち 特に男との子に虫好きが多いのは そういう本能の前に 好奇心(未知のものを知りたい気持ち)が強いのもあると思います。その好奇心が知識につながると虫博士のような(笑)虫好きな大人になる可能性があります。

だから 気持ち悪いと言う気持ちも 虫に興味を抱くのも どちらもあって当然だと思います。
知ること(勉強)と 感覚的に気持ち悪いというのを混同しないで欲しい と言う気持ちはよく分かります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/14 09:47

一番やっかいなのはモンペでしょうね。


あんなのと関わるくらいなら、って感じじゃないでしょうか。

思い出があるから少し寂しいですけど、図解なら理科に任せればいいですしね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/14 09:47

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