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エッジボールになってしまった後わざわざ謝ったりするぐらいなら、
いっそのことエッジボールは加点なしで、もう一度サーブから仕切り直すというのは駄目なんですか?

それともそう出来ない理由でもあるのでしょうか?
また、これは卓球が出来た初期のころからあるルールなのでしょうか?

今日の卓球女子団体のドイツ戦を見ていて、凄く悔しかったです。
前々からエッジボールはナシでもいいんじゃないの?と思っていたのですが、なおさらその気持ちが強くなりました。
正直、勝った方も負けた方も、エッジボールで勝敗が決まってしまうというのは気分が良いものではないと思うんです。
実際、試合後に日本側が審判に異議を唱えて、ドイツ側が怒っているような場面もありましたよね。
愛ちゃんも試合後、ドイツの選手から握手を求められた時、なんとも言えないような感じでしたし…。
こういうのは、次この二人が戦う時にも影響してくると思うんです。

私はスポーツを見るのが好きなのですが、その最も大きな理由は、選手たちのスポーツマンシップが見ていて気持ちがいいし、かっこいいなぁと思うからです。もちろんスポーツマンシップにのっとってない人達も少なからずいるとは思いますが、たいていは、試合中にどんな死闘を繰り広げようとも、試合後に一礼や握手、ハグをしてお互いを認め合って、尊敬し合っている場面があり、それを見ると素直に感動します。

例えば、体操の内村航平選手が金メダルを取った後のインタビューで外国人記者から「あなたは審判に気にいられているんじゃないですか?」という意地の悪い質問をされ困っていたとき、銀と銅メダルの選手が「それは無駄な質問だ。」と彼を擁護しましたよね。こういうところがとても好きなんです。

少し話ががズレてしまいましたが、今回の愛ちゃんの試合の場合も、最後のエッジボールをナシとして、もう一度サーブから仕切り直していたとしたら、結果的に負けたとしても、愛ちゃんも正々堂々と負けを認めて、両者とももっと潔く、気持ちよく終われたと思うんです。

全エッジボールをサーブからやり直すというのが時間的に厳しいというならば、試合の勝ち負けが決まるような最後の点数だけでも、サーブからやり直すということは出来ないんでしょうか?

こう言っていると「運も実力の内」と言われてしまうかもしれませんが、
これもまた違うような気がするんです。
例えばたまたま、相手や、天気、試合会場などのコンディションの良し悪しのおかげで試合に勝つことが出来た、というならば、それは私も「運も実力の内」だから良かったね、と思います。相手の体調不良はその人がきちんと調整出来なかっただけですし、天気や試合会場の状況というのもコントロールが不可能ですからね。

しかしながらルールによってフェアに近づける条件があるのであれば、それは限りなくフェアにするべきだと思うんです。だってスポーツがフェアじゃなかったらつまらなくないですか?

私はエッジボールもルールでフェアに出来るものの内の一つではないかと思います。
卓球やテニスでは最初のサーブがネットに掛かったらやり直しをさせてくれますよね。
ではなぜエッジボールは駄目なんでしょうか?
これが駄目だというならば、サーブの失敗も、本人のコントロールが悪いだけなのですから、相手側の点数にするのが妥当ではないでしょうか?
そこらへんの矛盾がなんだか納得がいかないです。

長々と話してしまいましたが、皆さんはどう思いますか?
私が一人でここで愚痴ったってルールはルールなのでどうにもならないということが分かっていますが、私と同じことを考えている人はいないでしょうか?
ちょっと気になったので質問させていただきました。

A 回答 (6件)

線をかすめたボールと同じ扱いで、ただエッジなので思わぬ方向へ行くからです!線上ならIN扱いだと!ただ謝るのは個人的には解せないです

!そこ狙っても良いわけですから!またネットもそうです!
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難しいでしょうね。


他の回答にもあるように、エッジボールをナシにするなら、ネットインのボールはどうするんだ?という話になっちゃいますし。

白線をエッジの内側にひくのも非現実的。
人間の目で正確にジャッジするのは不可能に近いし、卓球でいちいちコンピュータ判定なんてやってられません。

まあ、愛ちゃんの気持ちは分かりますけどね。
「そりゃねーだろ」って、私も叫びましたよ。
こんなツイてないことが、個人戦に続いて2回も起こるなんて。

しかし、運は不公平でも、ルールは公平ですから。
悔しいですが、割り切るしかないでしょう。

また、ドイツ相手にギリギリの戦いをしているようでは、中国にあたってもケチョンケチョンにボロ負けです。
愛ちゃんがリギョウカ相手に、4セット合計で10点もとれずにケチョンケチョンだったように。

ドイツに勝っても、次の悲惨な結果が分かり切っているなら、3位決定戦で盛り上がってもらった方が、見てる方としては楽しみが増します。

と、私はそういうヒネた見方をして、悔しさをまぎらしてます。
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この回答へのお礼

ネットインもエッジと同じく、点数なしにしほしいものの内の一つです(笑)。
確かにいちいちコンピュータ判定は厳しいですが、今回の試合で、エッジであるか、サイドであるか、というのは映像をスローモーションしたものでも十分分かったので、映像判定では不可能なんでしょうかね…?
テニスにはあんなCGを使ってまで、入ったか入ってないかを1ミリ単位におけるまで判定をするのに、卓球はナシをいうのが納得いかないです…。

確かにそれはそうですね。
どっちにしろ、勝っても決勝では負けるだろうな、と思っていたので、
負けではなく、勝ちで終われる3位決定戦の方がいいかもしれませんが、
本人たちにとっては、やっぱり前回と同じ銀、もしくはそれ以上を取りたかっただろうな、
と思うから悔しいです。

またドイツとは本当に実力が拮抗していたと思うので、それが運要素で決まってしまうのが悲しいです…。

お礼日時:2016/08/19 22:37

日本の空手をIOC競技ルールの三本柱である「明確性」「公平性」「安全性」を更に進めてオリンピックでも輝いて生き残っていけるような、誰が見ても納得がいくようなより良い「KARATE」競技ルールに向かっていかなければならないとIOC、NOCやスポーツ関係者の皆様とオランダで考えている者です。



テニスのようにエッジボールによって球の流れが変わらない限り表面に含まれるとするか、卓球のエッジボールのように球の流れが変わった場合には表面に含まれないという新たな競技ルールを加えるということも将来的には可能かもしれません。

「2020ーTOKYO」で使われる予定の空手競技ルールは俗に言う「寸止め」というルールです。顔面に技が当たってケガ、鼻血、KOしたりした場合には、止めなければいけないという競技ルールですから、止めずに相手に当てた競技者に反則や失格を与えます。逆に達人であれば、最小限の鼻血を出させるように相手の技を自らの間合い作りなどでコントロールして勝てるということも否定できません。また「実戦空手」系という競技者は当てられることに慣れていますから、同じ攻撃力を受けたとしてもケガや出血も少なくKOもなく、逆に何もなかったように普通に試合続行が可能なために、本来当てたのだから反則や失格が与えられる競技者に「技あり」や「1本」を与える可能性も生まれてくる訳です。もちろん、競技者は同じ競技ルール、審判員、試合時間、会場で試合を行なっている訳ですから、競技ルールをより良く理解して、勝つ要素の積み重ねの結果によって、試合の勝ち負けが決定されます。

私見ですが、ロンドン・パラリンピック柔道を見て、オリンピック柔道もあのやり方を見習った方が良いと考えさせられることがありました。それは、目が不自由なために競技者同士がお互いに同じところを同じように持ち始めてから「はじめ!」となる競技ルールです。空手は相手に触れた時に勝敗の流れが決まっていくものですが、柔道は相手の道衣を持ってから柔道の技を互いに掛け合うのが現在の試合です。ならば最初から公平に同じところを持ち合って競技をはじめた方が、組み手争いの時間やケガも減り、観戦する側にとっても、明確さが増すと思います。

競技者間同士やその競技を深く知る関係者の間では「勝者・敗者」「運・不運」「悪法・良法」「達人・素人」等に分かれたりする訳ですが、第三者が見て「?」という部分を少しでも少なくしていくことが競技ルールの発展にもつながり、観戦者をより楽しませることにもなって、結果として、その競技人口も増えていく流れになるのが、どのスポーツ競技にとっても理想的なのではないでしょうか。

世界の各競技スポーツ連盟が、第三者的な目を今以上に取り入れていって、IOC競技ルールの三本柱である「明確性」「公平性」「安全性」を更に建設的に具体的に検討していくことが、今後は益々大切になっていくのではないでしょうか。
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卓球をしているものです。


それはさておき。

悪法も法なり、なのです。
スポーツに限らず、法律でも条例でも憲法でも、今、決まっている物は守らなければいけない。
悪法をそのままにしているのが嫌なら、世論を高めてルールを作る人たちを動かすか、
イヤだと思う人がルールを作る側の人間となり、発言を繰り返し、仲間を集め、ルール変更の手続きにのっとって行動し続ける。

書かれた内容・お気持ちは分かりますが、どんな気持ちになろうとも、
今のルールで勝負も気持ちも決着をつけるしかない。

いつだれが決めたルールかは分かりませんが、エッジボールは表面に含まれているということですね。
実際含まれていると思います。

以前、スキージャンプで日本人が上位を独占し続けたとき、直後にルールが変わり、板の長さが日本人に不利なものに突如変わりました。
言いたい文句も沢山あったでしょうが、そのルールに合わせて、
ふたたび鍛錬に鍛錬を重ねて結果を出している葛西選手などもいます。
ルールを守るのも、フェアプレー精神だと思います。

質問者様は、まだお若い方でしょうか。
純粋なのだと思います。
私のようなシニアになると、悪法も法なり、が分かってくるようになるのかと。
私も、どうしても我慢できなくて、でも政治家にも慣れないから、時々は当該団体に手紙や電話をしたり、新聞投稿して意見を表しています。
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この回答へのお礼

私一人の力では、ルールを変えるのは不可能と分かっているので、もし同じ気持ちの人がいたらうれしいな、と思って、質問を投稿させていただきました。

葛西選手は素晴らしいと思いますが、私はそのオリンピック側が、ある国がメダルを独占している、というだけでルール変更をして、その国に不利にする、というのも納得がいかないのです。
その国が最強なら、打倒その国の精神で、他の国も精進すればいいだけのことだと思うんです
ルール変更によって勝ち取った勝利などうれしいでしょうか…。

卓球は現在、中国の独壇場ですが、日本の選手も頑張り、男子団体に関してはもしかしたらもう少しで金というところまで頑張りましたよね。それって中国側の研究、そして彼らに負けないぐらいの努力があるからだと思うんです。

そのような必死の4年間がエッジボールという運要素のみで決まってしまう、というのが凄く悲しいな、と思うんです。ドイツの選手たちとは実力が拮抗していたと思うから尚更、きちんと実力で勝敗を決めてほしかったです…。

お礼日時:2016/08/19 22:28

数十年前の頃はテレビなどで試合見ていると露骨に「ラッキー!」って叫んでいましたね。


(オリンピックでなくて国内の試合だと記憶しています)

卓球をやっている訳ではないので,いつからそうなったのかは知りませんが,
最近テレビで見て,今は「ラッキー!」って言わないで手を上げるのかと思いました。

ルール上問題なくても,ラッキーはラッキーなので,
露骨に叫ぶのはマナー面で問題ありとして,手をあげる事が根付いたのでは?

今回の女子団体は,それこそ5ゲームまで持ち込み,5ゲーム目もフルセット
9-10で極めて僅差のゲームがエッジボールで決まってしまっては,
あまりに悔しいのは同感です。私もテレビ見ていて唖然としました。

悔しいのは解りますが,そこでルールの話を出すのは如何なものか。
立場逆なら,エッジボール云々を考えないのではないのではないでしょうか?

もし究極のコントロールが可能ならば,毎回エッジボール狙ってもありだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私はこの試合を見る以前から、自分が応援している方の勝ち負けに関係なく、エッジボールやネットボール点数ってアリ?って思っていました。

ルールはルールなので、と言われたしまえばお終いですが、でもルールってよりフェアになるよう改善されていくものだと私は思うんです。実際そのようにスポーツって変遷を遂げてきましたよね。
オリンピックなんて得に、一国がメダルを独占する競技などがあれば、すぐその国に不利なようルールを改変したりしますよね(笑)。

>>もし究極のコントロールが可能ならば,毎回エッジボール狙ってもありだと思います。
これも、もし出来たとしても誰もやらないような気がします。だって、謝っている、とうことは罪悪感、申し訳なさが少なからずあるわけですよね。それにそんな試合をしてしまったら、観客から大ブーイングの嵐だと思うんです。

少しでも運で勝敗を分けるのではなく、実力で分けるように出来ないものなんですかね…。

お礼日時:2016/08/19 22:19

誤っている訳ではなく、ラッキーで加点させて貰って有難う、を態度で表しているだけです。

エッジとは言え、入っている事には違いないし、何処からエッジがという不毛の領域に入りかねないので一律で「イン」です。テニスでもネットイン等の時にはラケットを上げて「悪いな」を意思表示します。
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この回答へのお礼

私の中で、エッジと言うのは、当たった後、どんな風に球が飛んでいくかで定義できると思うんです。
エッジに当たった瞬間、ピュンッっと球のスピードが急に速くなりますよね。これがエッジ、つまり角ではなく、
ギリッギリの板の部分に当たっていたとしたらこうはならないと思うんです。

でも、なるほど。「ごめんね」ではなく、「ありがとう」という考え方もあるんですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/19 22:11

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