プロが教えるわが家の防犯対策術!

日本史で◯◯如来像や◯◯観音像などがでてきますが、これらは全て仏様ですか?神様ですか?

A 回答 (6件)

如来は仏 観音は菩薩です 人々を救済します



仏教での神は キリスト教などの神と違い
働きと捕らえ いっぱいいますが
目的でも 拝む対象でもありません

日本古来の神は八百万神(やおよらず)でいっぱいいます 
太陽の神’(天照) 農耕の神(八幡)等など
やはり働きですが 拝む対象です
死んで 神に祭られる人います

キリスト教やイスラムの全知全能の神と違います

仏 菩薩 ちょい詳しく
仏 菩薩はいっぱいいます 
自分の特技を活かします 
  知恵を働かせ人々を救う人を(文殊菩薩)
  慈悲の力で救う(弥勒菩薩)
  音楽の力で(妙音菩薩) 
  医療で(薬王菩薩)
  学理で(普賢菩薩) 
  政治経済で(観音菩薩)・・・これご質問の菩薩

菩薩の命は歓喜なのです
菩薩の活動のなかに仏があり 誰でも悟れば仏になれます

仏 菩薩の特徴の幾つかを
  皆と一緒に生活をするのです
  この人は 周囲の評価 状況に一喜一憂する事はありません
  地位や立場 経済力 容姿等で一喜一憂する事もありません
  人を恨む事も憎む事もありません 
  関心を得ようと策に走る事もありませんん

座禅を組んで じっとしている菩薩などいません
滝に打たれて 修行している菩薩などいません
のんきに 札所参りなどしている菩薩などいません
冠婚葬祭に明け暮れる 菩薩などいません
時を最大に生かしてこそ 菩薩の命は輝くのです

 菩薩は 多くの人の中に みずから出向き 言葉巧みに語るのです
語らなければ 何も始まらないのです
人を救うのも言です 邪悪を砕くのも言です 時代を動かすのも言です
 人々の苦しみを 我が苦しみとして 語るのです慈悲の表れです 
 慈とは いつくしむ 悲とは 共に悲しむと言う事です
慈悲とは励ましの事です
 自分の仕事をしながら 家族を養いながら 
そしてみずからの病と闘う事もあるのです

 飢えた人に食を恵んであげるのは 小さな善です
飢えた人に仕事を教え みずから食を得る方法を教えるのは  中の善です
正しい思想を教え 人生の転換を促し 蘇生させるのは 大きな善です 
 その影響は他にも及ぼすからです 菩薩はこれをやっているのです
そして 世の不正に怒り 誰よりも行動しています






参考
仏教 キリスト
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage31.htm

仏 菩薩 更に詳しく
http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
    • good
    • 0

仏教的な要素が強いですが、日本だと「神様と仏様は同じ」ということになっています。



これを「本地垂迹説:ほんちすいじゃくせつ」と呼びます。

日本の神道の神様、と言うのは歴史以前から存在しますが、大和朝廷が成立すると、一応アマテラスオオミカミを頂点とする神様の体系ができるようになりました。

大化の改新の時期になると朝廷は「仏教を国教として取り入れる」ということをします。今までの日本の神様は一応の体系はあるものの、地方の豪族の神様たちや、各地の山や川などの神など土俗的な神がほとんどで、国家運営の役には立たなかったからです。

そのため朝廷は仏教と律令制度を輸入し、国分寺という宗教施設を役所として使うようにして地方まで朝廷の政治が行き渡るようにしたのです。

しかし、時代が下ってくると、日本人は、神様と仏様の違いをどんどんなくしていきます。鎌倉時代にはすでに始まっていたのですが、明治以前にはお寺に神社があったり、逆に神社に仏像があったりすることも珍しくなかったのです。

そのため、江戸時代になるとこれを認める考え方が出てきました。つまり「日本の神様もインドの仏様も元は同じもので、たとえば日本ではアマテラスとしてインドでは大日如来として現れたのである」というものです。これを神仏習合といい、その論拠を本地垂迹説といいます。

ですから、日本においては本来は仏=神なのですが、明治以降国家神道を作ったため、寺と神社が分離され、またキリスト教などの一神教的な価値観も入ってきたため、現代の日本人は仏様と神様(一神教の神ではなく日本の神々)を別のものとして扱うようになっているのです。

現代ならそれでいいですが、日本史の場合は神仏習合を知らないと思わぬ間違いをすることがあります。
    • good
    • 0

大乗仏教の場合、仏がいちばん上位なのです。

その次が菩薩です。

菩薩は、上求菩提 下化衆生ということで仏になるために修行するとともに、衆生を救うことを行っているという位置づけなんですね。
ですから菩薩はまだ悟りを開いていない、だからいろいろな飾りを身につけているのです。悟りをひらいたら飾りなんか不要なのです。

大乗仏教の発展の中ではむしろ「悟りを開いた仏」よりも「悟りを開くために修行し、衆生を救うために努力している菩薩」の方が親しみをもてますよね。飾りも華やかですし身近に感じられるし。でそのうち観世音菩薩(観自在菩薩)などはほとんど仏と同格になっていきます。有名な般若心経は釈迦ではなく観自在菩薩が般若を説くという形式になっています。

さて、ご質問の「仏様ですか?神様ですか?」という言い方でくくれば「仏像」になりますね。阿修羅像や十二神将像などが神像になります。
なにかご質問があれば、私の知っている範囲でお答えしますよ。
    • good
    • 0

ちょっと複雑なんですが


まず前提として
「如来」と「観音」は階級だと思ってください
如来のほうが偉くてその次が観音です

そしてその「如来」というものの別称が「仏様」となります

仏教において神様という考えは無いので
また別の話しです
    • good
    • 0
    • good
    • 0

如来=仏様


観音様=菩薩
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!