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今更ですがエヴァにハマりました。劇場版の方も観たんですが・・分かりません。
解説を探したんですが検索したらたくさん出てきすぎて見付けられませんでした。
テレビ版は分からなさ過ぎて逆に分かったつもりになれたんですが、映画版が駄目です。

シンジが「ATフィールドを外したまま完全な個体として生きるか」「再びATフィールドで心の壁が出来て傷付け合いながら生きるか」で、後者を選らんだ。
のでまた皆が復活(?)して元の世界に戻る、と思ったらアスカとシンジだけが居て(海には綾波が居ましたがこれは・・?)シンジは何故かアスカの首を絞めて、アスカはシンジを「気持ち悪い」と言って終わり・・・。

この終わり方がよく分かりませんでした。あとこの映画版の終わりにはアニメ版の25話と26話は関わって来るんでしょうか。
なんか考えるほどに分からなくなってしまいまして。どなたか解説お願いします。

A 回答 (10件)

「気持ち悪い」が、声優:宮村優子のアドリブであったことは


了解済みですね?>#4の参考URLにあります。

何が言いたいかというと
ココに至っては、もはやロジカルに解釈は出来ないのではないか?と。
アドリブが採用された、ということですから
感覚的に「エンディングとしてイイかな?」と思った、ぐらいが
真相ではないでしょうか?

とはいえ、脚本の時点では「あんたなんかに殺されるのはまっぴらよ」
だったわけですよね。
つまり、現実の世界で生きていくことを決めたシンジに対し
現実の世界は思い通りにならないことを象徴化したのが
「あんたなんかに殺されるのはまっぴらよ」
という台詞なのでしょう。
シンジにとってアスカは、思い通りにならない現実の
象徴のような存在でしたから。

シンジは、現実の世界で生きていくことを決めたくせに
首を絞めることでしかアスカに対する気持ちの矛先を
収められなかった。
アスカに受け入れてもらいたかった筈なのに
結局、首を絞めることしか出来なかった。
結局、近づこうとすると傷つけてしまう。
ヤマアラシのジレンマ状態のままじゃん!
幻想シーンの中では、受け入れてもらえたのにね。
マスターベーションしてたレベルから、全然、成長してない・・・
で、実は私も「キモチワルイ」と思ったので
何となくあのエンディングは「ああなるのだろうな」といった
変な納得はしました。
面白かったか/満足したか、と聞かれると「?」ですが。

翻れば、あれは「少しは成長しろよ!」という製作者
(というよりは庵野監督)からのメッセージだったんでしょう。
「お前(=庵野)こそ、オタクばっか目を向けて、同族嫌悪
してんじゃねぇよ!」などと、私は思ったりしました。

蛇足ながら
●ATフィールドを外したまま完全な個体として生きるか
●再びATフィールドで心の壁が出来て傷付け合いながら生きるか
ってのは、カバラにおける4つの階層だということは
ご理解されてますか?
ご存知なければ以下あたりを。
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/EVA4.htm
http://www.d3.dion.ne.jp/~fujimido/qabalah.html
コレが分かっていれば、少なくともEVAの骨格は
理解できる筈です。
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この回答へのお礼

詳しい解説とリンク有難うございます。
ATフィールドが宗教に繋がっているとは・・本当に奥が深いですねこの作品。未だに熱狂的なファンがたくさんいる理由が分かりました。しかし、元々宗教に興味があったので益々引きずり込まれそうです。

お礼日時:2004/11/06 02:14

「エヴァ」の解釈について、「答えなんてそもそも作られていなかったのではないか?」という見解もあります。

つまり、監督である庵野氏がメチャメチャやっただけではないかと。

一方「正解」は存在して、ただ公表されていないだけだという立場もあります。各種の「エヴァ解釈本」の多くが「これこそが真実!」と謳っています。

ただ、どちらにせよ「真実」が公的に公表されることはなかったし、これからもそうでしょう。そうであれば「真実」など、あってもなくても同じとも言えます。

以上が前振りです(笑)

弐拾参話をもって「エヴァ」の世界は2つに分断されました。ひとつがTV版で、ひとつが映画版です。2つの世界はパラレルワールドと言えるでしょう(注:ここまでは公式見解)

で、この2つの世界をどう解釈するか、ここからは私的見解なのですが、

TV版は「溶けちゃったシンジ君」だと思っています。本当の自分をさらけだし、そしてその自分をみんなが満面の笑顔で受け入れてくれる世界…。これは「彼の望む世界」そのものではないでしょうか。

映画版は「溶けなかったシンジ君」。他者の存在を受け入れ、ATフィールドの復活した世界。この解釈は、だいたい質問者さまと同じではないでしょうか。
で、「ATフィールドの存在する世界」これは「今までと同じフツーの世界」です。シンジ君一人が復活したからといって、皆(他者)まで復活できるわけはありません。だって他者なんですから。
シンジ君はすごい葛藤をして「自分」と「現実」を手に入れた。でも、その「現実」は、おせじにも美しいと言えないドロドロの世界で、自分とアスカ以外のみ~んなATフィールドの海に還元されちゃっていて、たったひとり残ったアスカにも「気持ち悪~」と拒絶されてしまう。現実はこんなもんです。

「現実はこんなもんだ」これが、映画版エヴァのテーマだと思っています。
(え、じゃあなんでアスカは復活できたかって? それはその…ゴニョゴニョ)
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この回答へのお礼

回答有難うございます。とても解り易かったです。
「答えなんかなかった」という答えも有り得ますね。というか監督が凄すぎる。凡人の脳じゃ付いて行けません(でも気になる)

お礼日時:2004/11/06 02:17

すみません。

No.5.6間違い。

練習するのは、カヲルの死の18ヶ月前でした。

m(__)m
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
カヲルの死の18ヶ月前だったんですねあのシーン。見直してようやく気付きました。このシーンについてはもうどう捉えていいのか・・。どう見てもあのメンバーで、でもこのメンバーでは有り得ない。これも一種のパラレルワールド・・・でもどういう形の世界なんだろう(悩)。

お礼日時:2004/11/06 02:22

#7です。


カバラに関して参考URLを追加しておきます。
コッチの方がエヴァの理解に役立ちますね。
http://f4f4440.s10.xrea.com/pagefile/sinwa/kabal …
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訂正


誤→AIR
正→まごころを、君に
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ついでに



>皆が復活(?)して元の世界に戻る、と思ったらアスカとシンジだけが居て

最近になって気づいたんですが、復活してるんじゃないですか?レイやカヲルも含めて。
劇場版、一作目は講堂で楽器の練習をしながら過去を振り返る内容だったでしょう。

たとえば

・アスカの「おはよう 碇くん」というセリフはシンジを『異性』として意識し始めてますよね。
 呼び捨てもしくは馬鹿シンジだったのが、微妙によそよそしくなってます。
 それはAIRで補完される中、二人の深層意識が触れ合い互いが「好きだ」と知ってしまったからだと思います。

・カヲルは、回想中でシンジに殺されてました。
 でも居ますよね。やはり復活、というか元に戻ったんでしょう。

・シンジやカヲルはともかくとして、アスカやレイが短期間にあれだけ楽器の演奏が上手くなるには
 相当の練習量及び時間が必要な筈です。とてもじゃないが、使徒に備えてる間中そんな余裕があるとは考えられないです。



ま、推測ですけど。
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北村正裕著『エヴァンゲリオン解読 そして夢の続き』が、



私的にはスッキリする内容でした。
(ただ首を絞める理由は、私は若干違うと思うんです。過去に教えてgooにも回答はしましたが)


ちなみに
↓のサイトにも、この方の解説が載ってます。
(本を買うのをお勧めしますが)

参考URL:http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/eva. …
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
この人の解説凄いですね。ここまでくると本が買いたくなってきました・・。首を絞める理由もアスカが残った理由も、謎を突き詰めるとキリがないですね。凄い作品だ・・

お礼日時:2004/11/06 02:09

劇場版とアニメ版は別の終わり方です。


つまり、2種類のエンディングが有るんです。

アニメ版は、主人公・シンジの補完された物語で終わっています。要するに、「エヴァのパイロットでなくても生きていて良いんだ!」とシンジ自身の可能性を見つけて終わりです。
(他に、アスカ、レイ、ミサト等、他の人物の補完された世界も有る)

で、劇場版では、シンジが「神の子」として選ばれ、シンジが望む世界になろうとしました。(「皆死んじゃえばいい」という台詞から)
そもそも、裏で進められていた人類補完計画というものが、「全ての人類がひとつになる」というもので、補完され、ひとつになろうとしていましたね。
しかし、途中でシンジは「それは本当に望んでいる事じゃあない」と気付て、シンジは人類が生き残る道を選択しました。
残されたシンジとアスカは、アダムとイヴを連想させるものだと思います。

終わり方ですが、アレはたぶん謎(印象)を残しているんじゃあないかと思います。今でもアスカの台詞は耳に焼き付いてます。
コレについては自信がないんですけど;ゴメンナサイ。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
アニメと映画が別のエンディングだというのは思い付きませんでした。確かに印象残りまくりです。脳味噌が付いていかない・・

お礼日時:2004/11/06 02:07

こんにちは。


エヴァはおもしろいけど難解ですよね。私も最初は全く理解できませんでした。自信はないんですけど、聞いた話ですと、これはシンジの心の葛藤を描いた話のようです。つまりシンジの他者に対するイメージ、その人々との関わりによる葛藤、自分の心の壁(ATフィールド)、エヴァに載ることによって自分を認めてもらいたい等...だから実際に起こっていることではなく、シンジが心の中で作り出した物語...らしいです。だから最終回の現実の世界ではアスカや綾波や父親が全く違ったキャラであったのもその為のようです。最後は殻を破って自分の居場所を見つけたみたいですね。

これを聞いて見たら大雑把ですが理解できました。ただ細かい描写になると私もまだまだ理解できないとこが多数あります。もっと詳しい方の答えを待ちましょう。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
私の中でシンジ視点と客観的視点の境目がごちゃ混ぜになっちゃってます。奥が深いですね。改めて感嘆。

お礼日時:2004/11/06 02:04

>シンジは何故かアスカの首を絞めて…


下記のURLで様々な見解が出ています。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=540875
個人的な見解は、省いておきます。

>この映画版の終わりにはアニメ版の25話と26話は関わって来るんでしょうか
映画は、庵野監督がどうしようもないくらいアニメオタクに対しての嫌悪を通り越した気持ちを吐露したフィルム。
テレビ版も似たような感じ。
途中からオタク批判アニメだったからね。
物語っていうよりも、庵野監督の愚痴だから…
趣旨は似ているけど、違うとだけは言えるかな。
少なくとも当初予定していたラストと実際に映像となったラストは違うらしいよ。
本当にオタクに幻滅したらしいから

まぁ何にせよ考えるだけ無駄っていうのが、私の結論。
TV版の「男の戦い」までは、面白かったんだけどなぁ。
私は未だにエヴァが好きな人じゃないから、話し半分くらいに受け取ってもらえたらいいかと思っています。
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
エヴァがオタク批判アニメというのは初めて知りました。当初のエヴァのラストがどんなものなのか気になります。

お礼日時:2004/11/06 02:01

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