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エヴァンゲリオン旧劇版26話「まごころを君に」を先日観賞しました。

最後のシーンで
シンジがアスカの首を絞めます。
アスカはシンジの頬を撫でます。
シンジは首を絞めるのをやめて大粒の涙を流します。
アスカ「気持ち悪い」

アスカは「あんたが全部私のものにならないなら私何もいらない」という強い好意をシンジに抱きながら、「他人に捨てられたくない」というコンプレックスなしでは自分を見てくれないシンジに許せない気持ちを抱いていたと思います。

シンジはアスカを大切に想いながら、「再び他人に捨てられる恐怖」に支配されて、アスカの首を絞めようとします。

アスカは「あなたのことは捨てないから大丈夫」との思いでシンジの頬を優しく撫でます。

シンジはアスカの想いを受け止め、「他人に捨てられる恐怖」が払拭されていき、嬉し涙を流します。

このシーンでシンジとアスカの間のわだかまりが1つ消え、2人で新世紀を生きていくというハッピーエンドだと私は解釈しています。

また、旧約聖書のアダム→シンジ、イブ→アスカと捉えることもできると思います。

皆さんはどう思われますか?

A 回答 (5件)

最後のクビを締めるシーンについて少し異なる見解ですがお願いします



人類補完計画はシンジの精神をキーであり門として使っています

しかし、人類補完計画に必ずしもシンジの精神を使わなければならなかった訳ではありません
現に戦自はシンジ発見後即射殺しようとしています。
つまり、シンジ以外の適格者であっても容易に人類融合を果たせる要素は揃っていたのです

ゼーレの人類補完計画が完全なら誰一人として形を留めることは無かったでしょう
ここに庵野監督の妙、といいますか絶妙な配役があるのです。

レイの中にあったアダムの魂→ゲンドウと融合していたアダムの肉体をとりあげる
アダム完全体→リリスと融合

ここまでのプロセスが進んでいる事が条件で、後は初号機内のチルドレンの精神を使って人類補完計画の扉を開くわけです
ゲンドウはレイの中にあるアダムの魂と自分の中にあるアダムの肉体を使って自分の望む補完をしようとしたのです
しかしレイがシンジを選んだことにより人類補完の鍵はシンジに移りました

つまりアダムの魂と肉体、リリンと初号機を力ずくで手に入れればチルドレンにそれほどの重要性は無かったわけです
ゼーレはアダムの肉体はゲンドウを殺して回収、アダムの魂はいくらでもサルベージできる
よって彼らにとっての最重要はアダムの肉体とリリン
チルドレンは本当に誰でもよかったのでしょう

なぜならアンチATフィールドが発現すると一体化を促すデストルドーが高まるからです
これはシンジだからデストルドーが高まったワケではなくて人間なら誰でも持つ心の弱みにダイレクトで侵食する作用があるから強烈な誘惑があります

シンジの場合は自分に優しくしてくれる人間がいない(もしくはいないと思い込んでる)現実が嫌いです
だからアンチATフィールドはそれらの不安が無い世界へと誘導するし実際に不安はなくなるのでしょう

ここで大事なのはアンチATフィールドが肉体を捨てさせるということです
肉体を捨てた補完状態の精神に不可能はありません
思考だけの存在だから当然です、今まで経験してきた煩わしさから開放され全てが望みどうりになる世界があるとなれば誰がそれを拒否できるのでしょう

しかも融合することによって恐怖や孤独とは無縁になります、シンジでなくても用意にアンチATフィールドに飲まれるでしょう。

で、ここで何故アスカとシンジだけが人間として残れたのか書きます
単純です
アスカだけがシンジを完全に拒否したから

アスカはシンジのことが好きで補完のされる頃には自分でも気付いていたのでしょう
それが例の「アンタが全部私のものにならないなら私何も要らない」という発言に行き着きます

しかしアスカのそれはシンジの望むダラダラのもたれあい、個人すらない甘え合いの延長ではなくて
自分の体と心を理解して愛して欲しい、別々の人として愛したいからです

補完された世界ではそれはありえません、なぜなら人は巨大な一つの思念に統合されて
全ての自意識の放棄がなされるからです
それは個人を捨てて得られる圧倒的自由です

しかし其処に人の意志はありません、取捨選択はないのです、不可能が無い世界なので意志はいりません
其処では全ての人間は並列化されて無意味になります、シンジがアスカを選ぶことも永遠に無い
見方によればアスカはそれほどシンジという人間から認められて愛され存在を容認されたかったのでしょう。

補完された中にシンジは居ません、みんなのシンジでみんながシンジを理解してそこに優位性は無い
アスカはそれえが堪らなく嫌だったのでしょう
文字通りシンジは自分のものにならずアスカは何も要らないと宣言したとおりに一人で取り残されました

しかしシンジにも個人を取り戻す切っ掛けが残っていました、それはエヴァの中に残っていたユイです
補完された世界に死人の魂まであるかはわかりませんが
ユイの魂はエヴァの中に入っていてシンジを現実の世界に呼び戻させます

シンジが現実に帰る安全装置になったのでしょう
そしてついに海の中でレイの手を取って人同士の理解を一旦わかりかけました
(あくまでも一旦です、後でひっくり返します)

安全装置が起動しなかった人々はシンジの一緒になりたいという強いデストルドーに反応して補完されました
何故補完に恐怖を抱いた人間でも取り込まれたかというと(青葉など)
鍵の人間、シンジ個人にに対する強烈な拒否が無かったからです
他の人間は一時的にシンジのデストルドーに飲まれただけでとばっちりです、門の前から拒否してたアスカだけは生き残りました

つまりここで前記の庵野監督配役の妙、シンジとアスカだからこそあの拒否反応が出て二人が残った
エヴァの残り二人のヒロイン、ミサトとレイではシンジのデストルドーを拒否できませんでした
実際に二人はシンジを甘やかしています、特にミサト

レイはシンジが積極的に甘えてきたらなあなあに許したでしょうし
ミサトは加持と甘えあう生活をしていたことなどからそういうシンジの甘ったれ精神を許容してしまう下地があります。
以前自分がしていたことをシンジがするだけで加持の役を今度は自分がするだけです。

ユイに助けられたシンジは現実に帰ってきます
ここから庵野監督はエヴァファンのオタクと視聴者、はては自分自身を投影した仕上げを行います
えー、庵野監督はアニメ作品であるエヴァに心酔するファンに現実に帰れと諭しました
そして監督自身はあのラストで答えを一つ出したのだと思います。

この方法は今までのアニメ、いや、創作物に無い独特な方法で彼らと自分に一つ区切りをつけさせたかったのです

普通の作品で視聴者を切り捨てるような表現を好んでする監督はいません、特に人気を博したものなら当然です。
しかし庵野監督はやりました、インパクトだけではない、エヴァに本物の嫌悪感を持って欲しかったのだと思います。
それがラストのあのシーンにつながります。

ここからかなり私見が入っています、ホントにシンジとアスカの心境がそうだったかはわかりませんが心情的にアスカとシンジが行き着くのは此処しかないのかな…とも思います

シンジは現実に帰ります、浜辺で寝転んでいます、一度は現実で人同士で認め合う事を選びましたが
補完の強烈な残滓、あの一体感と安堵感はまだ残っている
シンジは不意に悟りました、もうあの補完された世界には返れない僕は一人ぼっちの世界に帰されたんだ

そこから強烈な自己陶酔と自己憐憫「自分はなんて不幸なんだ」、と、形を変えた独りよがりのナルシズムです
かわいそうな自分に酔っている状態
すると強烈な怒り、ユートピアから追放されたのを理解したシンジはその矛先をアスカに向けます

それがあの首絞めに向かいました
シンジのクビを締めている時のあの表情からは怒りを感じません
実際にはもっとボケッとしたまま、ただ感性的にもう戻れないことを感じただけかもしれません

首を絞められたまま、アスカはシンジの頬に触れます。
ここでシンジは首を絞めるのを止めます、そして泣き始めます
アスカはこの時点で自己完結しているシンジの思考に気付いていました

最後の「気持悪い」だけを聞くと理解しにくいですが
後日アスカ役の宮村さんが言うはずだった最後のセリフは「あんたなんかに殺されるのはまっぴらよ」だったそうです
このことから監督はシンジの自己完結気質と自己憐憫をアスカが感じ取っていたことを明確にしています

アスカがシンジのユートピアから追放された心情を具体的に認識したわけではありません
ただいつもの自己納得だろうなと感じただけです
アスカはシンジが自分勝手な人間なことを理解しています、ああ見えて一番鈍感なのよとヒカリにも話していますし。

シンジは自己中です、しかも解り易い功利主義の自己中ではなくて自分の中で思想が完結してるタイプの自己中です
シンジにはよく、「~なんだ」「~かもしれない」という心中独白があります
これは人間や物事を理解してるからつぶやいてるのではなくて、自分と隔絶するための行為です、あくまでも他人事です、他人事として整理しないと自分を守れないからです。

他人事だから言われなければ気付かない、アスカの孤独な心はシンジにはまったく通じません、他人事だからです
シンジはアスカに向き合おうなんてしませんそれよりも自分の不安を消して欲しいからです
だからベタベタな甘えをと優しさを要求します、

監督は宮村さんに自分の部屋に押し入って目の前でオナニーしている男がいたらどう思う?と聞きました
答えは「気持悪い」です

つまり監督の中でシンジの行為は明確に自己完結したオナニー行為、もしくはそれに近いものだったのでしょう
アスカはそのシンジの卑怯な態度に嫌悪感を抱いています、自分に向き合おうとせずに勝手に自己納得しているからです。
こんな所でも自分のことしか考えていません、アスカは傷つけあってでも自分の本心を出したいのです。
でも目の前のシンジはあいも変わらず自分のことばかりです。

監督はあの「気持悪い」という言葉に全ての自分勝手な妄想を切り捨てさせようとしたのかもしれません
結局は自分の中でしか答えを出さないシンジはアスカをまったく見ていません

ここら辺のシンジの行動の迷走、アスカの言動はエヴァは純文学とまで言われる理由のひとつだと思います

長々と長文失礼しました
あ、ユートピアから追放されたという意味でアダムとイブ説は狙ってると思います、同感です。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。

本格的な別論を提示していただきありがとうございます。

いただいた評論を参考にしながら、オタクとしてではなく、客観的な立場でもう一度見てみたいと思います。

>エヴァは純文学とまで言われる理由のひとつ

大ヒットアニメなら普通は万人受けする終わりをつくりますよね。
そこを難解かつ、ある意味主人公やヒロインが幸せになったとも言えない結末を作った庵野監督の手腕を感じます。

ただ、美少女キャラやメカにばかり目を奪われがちな視聴者やオタク層のエヴァに対する接し方を一刀両断して、作品性を堅持したことは素晴らしいですね。(すっかり私もアスカ好きになってしまいましたが…)

真面目に客観的に分析しようと思えるアニメ、映画はエヴァが初めてです。

長文失礼いたしました。

お礼日時:2012/02/21 08:16

MADでいろいろ出たね



「ジレンマ」って曲に合わせられたり・・・

人それぞれじゃない
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この回答へのお礼

>MADでいろいろ出たね

「ジレンマ」って曲に合わせられたり・・・


「ジレンマ アスカ×シンジ」というMAD動画は本当に考えさせられました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/21 07:56

はっきり言って、色々と出てしまい、どれが本当の最後なのか今となっては興味が薄れてしまっています。


それが、世の流れなんでしょうね。
ブームが去る時のさびしさみたいなものを、今は感じています。
ただ、マンネリ化していたアニメ界に、新聞を吹き込んだとこは確かだと思います。

今更ですが、終わりをどうとらえるかは、人それぞれだと思います。
かつて洋画で、「2001年・宇宙への旅」のラストについて色々と当時うわさが流れました。
あれと同じで、人それぞれ感じたことが、自分としてのエバーの最後。
そう、受け止めてほしいのではないかと、制作した人は思っているのでは。

だからこそ、さまざまな形の、色々な作品が生まれ、ほんの少しだけ、ストーリーが違う。

そして、ラストが違う。

いいじゃないですか。色々な形のラストがあっても。
別に、一つにこだわらなくても、みんながみんな、それぞれのラストを持っていても。

自分は、そういう終わり方。とても好きですね。
なぜって、この世は自分一人ではないってことでしょ。
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この回答へのお礼

>色々と出てしまい、どれが本当の最後なのか今となっては興味が薄れてしまっています。

TVアニメ、旧劇、漫画、新劇と出現してきましたね。ただ、エヴァンゲリオンはやはりTVアニメ(最後の2話除く)+旧劇場版で完結というのが本来のかたちだと思います。新劇版も続けて観賞しましたが、Qが待ち遠しく感じます。

>ブームが去る時のさびしさみたいなもの
>アニメ界に、新風を吹き込んだことは確かだと思います。

私は今更ながらにエヴァのファンになりました。
まさかアニメ作品で旧約聖書や評論を参考にしながら真面目に解釈をするとは全く予想しておりませんでした。傑作であることは間違いないですね。


>いいじゃないですか。色々な形のラストがあっても。
別に、一つにこだわらなくても、みんながみんな、それぞれのラストを持っていても。自分は、そういう終わり方。とても好きですね。

私も今までは洋画にありがちな「ここで終わり?」というような結末は嫌いでした。でも、その分自分なりにその作品を受容できる、そんな終わり方を受け入れたいと思うようになりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/21 07:53

10年以上前に見たきりなのでうろ覚えですが…



他者とつながることを拒絶してきたシンジは、最後に唯一残った自分以外の他者アスカを、やはり排除しようとするが、
他者とのつながりを拒む一方、心の奥底では他者とのつながりを切望していた自分…そのジレンマが、アスカの手の温もりを頬に感じた瞬間どうしようもなく溢れ出し、大粒の涙を流した。。。

当時は「なんじゃこりゃ」と思って終わりでしたが、
今思えばこんな感じだったのかなと…。

アスカの「気持ち悪い」は、
涙と鼻水でグシャグシャのシンジを見たアスカの率直な反応とも取れるし、
それ以上のもっと深い意味を持っていたようにも取れますが…
ただ、個人的にはアスカの言葉にそれほど深い意味はなくても良いのかな、とは思いました。

まぁNo.1の方もおっしゃるように、受け取り方は人それぞれで良いと思います。
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この回答へのお礼

遅くなり申し訳ありません。

シンジ
>他者とのつながりを拒む一方、心の奥底では他者とのつながりを切望していた自分…そのジレンマが、アスカの手の温もりを頬に感じた瞬間どうしようもなく溢れ出し、大粒の涙を流した。。。

この部分にとても共感いたします。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/21 07:40

完結していないアニメなんで、人によって評価とか分析とか分かれるとおもいます。


「こうだ!」っていう明確な終わり方していませんので。
このコンテンツ自体も、もう迷走してただの角川でしたっけ?の看板としてだけ機能しているだけですので。
作品そのものに何か終わりみたいなものを求めるのは、無理なコンテンツです。
あなたがそう分析するのならば、それはそれで一つの考えでいいと思います。
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この回答へのお礼

遅れまして申し訳ありません

>「こうだ!」っていう明確な終わり方していませんので。

いろいろ話題になったTVアニメの最後の2話、旧劇、進行中の新劇…とありますからね。明確な完結は求めがたい作品のようですね。

>作品そのものに何か終わりみたいなものを求めるのは、無理なコンテンツです。

エヴァの深い世界観に魅力がある分、その視聴者が感じた世界観とラストシーンのギャップが生じやすいですね。確かに多様なバージョンが出現してわかりにくくなっていると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/21 07:36

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