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非常にばかばかしい悩みかもしれませんが真剣に悩んでいます。
人間は誰でも死にますがそれが怖いんです。
死ぬまでの過程やら痛みやらは医療とか雰囲気に任せておけばいいものとして、怖いのは死んだ後です。死んだ後、私はどうなるんだろう・・・。
眠ったままのような真っ暗闇が永遠と続くのですか?もちろん眠っている間は意識なんてないけど毎朝目覚めることができます。死ぬとそれが永遠に目覚めないで、二度と私として存在することはなくなる、そしてそのときは必ず訪れる・・・考えるだけでぞっとしてしまいます。(もちろん永遠に生きていたらそれはそれで怖いけれど、)それとも、輪廻転生はあるのでしょうか。その場合、どれくらいで生まれ変われる?怖くて仕方ありません。生まれる前も無だったのは確かだけど、もう一度あの状態になって今度は目覚めることがないなんて。
この考え自体は小学生のころに起こりました。今までも何度か起きた気がしますが、考えないようにしようと思って忘れてきました。
しかし今回はどうしてもおさまらないんです。暇さえあれば・・・いや、暇なんかなくても頭の中の大半がそのことでいっぱいになってしまうんです。
今高3です。去年はこんなにも死について考えることはなかったのですが一ヶ月くらい前から突然こんな考えが頭から離れなくなりました。これはだんだん年齢を重ねて死に近づいているからなのでしょうか。中学生くらいのころはまだまだ先だと思えていたのにもういよいよ大人になってしまって、そのときがだんだん・・・と考えて、得体の知れない恐怖に襲われる今日この頃。
ほかのサイトでは年を重ねると死ぬことが怖くなくなるという方が多いですが・・・。ここ数日、死後の世界や死生観、解決方法を探ろうとしていろいろなサイトを検索しましたが解決できずむしろ悪化気味。一日学校を休んで、寝すぎだってほどに寝込んで、食事ものどを通らなくなりました。(丸一日食べなくてもあんまり食欲がない状態に・・・)。 
だけどこんな悩み馬鹿らしくて親などに相談することもできないのでここで相談しています。

この死が怖いループをなんとかしたいんです。
もしも同じような経験があった方やオカルトに詳しい方、それ以外でも興味を持ってくださった方、どうかたくさんの回答をお願いします。
いつか死ぬから今を悔いなく生きましょう、みたいな回答はほかの方の質問でも見ましたが、それを理解した上での恐怖なんです・・・。
ちなみに死後の世界あると思う?と聞かれると分からない、としか答えられません。うちはたぶん無宗教です(お正月もハロウィンもクリスマスもやってるような家庭だし)。
いろいろ調べたけど死後は生まれ変わるという人も居れば何もないという人も、あの世があるという人も居ますが今の時点で私にはどれが正しいのかは分かりません。分かる人が居るわけがない、が正解かもしれませんが、

A 回答 (21件中1~10件)

死んだらそれですべてが終わり、ではありません。

しかし、輪廻転生というものはありません。霊界は通過点ではなくゴール地点なので、そこで終点です。私達は、この世が一番メインだと考えますが、実は、霊界がメインなのです。今は、その準備期間なのです。お腹の中で地上に出る準備をして、地上で霊界の準備をして、メインの霊界に行くわけです。だから準備が整ってないと、なかなか辛いのです。どんな準備をするんでしょうね。
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あなたの想いは概ね正しい



恐怖とは相手が判らないから底なしに怖くなる
先ずは知識を身につけること、相手を知ること

君はまだ若い、あと数年我慢すれば
酒が解決してくれる!かもしれない
バラ色の人生が待っている!と思う
時が来たら死ぬほど飲め!自重しないと死ぬぞ

寝るのも楽しい
よく寝てスッキリとした気持ちで
浴びる朝日は最高だぁ!
そんなある日が輪廻だったらなお嬉し

よく学び、よく遊び、よく食べ
よく飲み、よく笑い、よく語れ
スカッと目覚めるその日のために
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私も死後について考えたことがあります。



やっと辿り着き確信を持てたのは、聖書やこの世の裏を知ってからです。

以前は、無神論者でしたがスピリチュアルやオカルトを調べ検証しました。
怪奇現象が起きた経験や、悪霊を見た経験もあります。
ですが、スピリチュアルは全然わからなかったです。

しかし、自殺を考えたことがありクリスチャンの動画を見て、イエス・キリストや聖書について調べたくなり沢山の情報があるサイトからブログや動画を見つけました。

それを見て、死後について確信を持てるようになりました。


輪廻転成はあるのか。または「肉体」と「霊体」の仕組みについて。

http://rapt-neo.com/?p=26125

「輪廻転生」の概念が悪魔から生まれた可能性について。または真に悟りを開いた人とはどんな人なのかについて。

http://rapt-neo.com/?p=26167

「前世」はない。「輪廻転生」もない。その確固たる証拠。

http://rapt-neo.com/?p=26215

天国と地獄の情報

http://www.tengokujigoku.info/

本当にある天国と地獄の証



本当にある天国と地獄の証Part.2

https://youtu.be/pMD8r81OhT4

地獄は本当にあった!

https://youtu.be/xJFgJwg_Y-c


この世の裏については、Eden MediaというYouTubeチャンネルを見てください。

そして、聖書を読んでください。無料のアプリでもあります。無料で聖書を配っているところもあります。
理解ができない場合は、サンライズミニストリーというYouTubeチャンネルを見てください。

人間の身体は、肉と霊と魂によって成り立っています。
真理を知りたいという貴方の霊か魂の働きだと思います。
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医学的な死は本当の死ではありません。

 医者がご臨終ですと言われた時から、別の世界の住人になります。  死んでも、見えるし、聞こえるし、感じます。
ですから、臓器を移植などしたら大変なことになります。
そのうちに、仏教的な人なら、お坊さんの様な人とか、クリスチャンの人なら神父さんらしき人がきて、あなたは死にましたよ、さー行きましょうと導きます。
頭のほうからせみが殻をぬぐように、自分の身体から離れます。 まる一日かかるでしょう。 自分が二人いるような感じで、自分の体を見下ろします。気が付くと、銀色の線が見えます。 それがプツンと切れた時が本当の死です 焼かれても痛くありません。

それから、日本人であれば、三途の川というものが現れます、 民族によって変わります。    いわゆる、この世とあの世を隔てるという意味があります。
なぜか渡らねばならないと思いますが、これを渡ると後にもどれません。
向こうには、花が咲き乱れていますが、それは天国ではありません。川を見ると、その人によって、澄んで美しい川見える人、 濁流の濁った川に見えるひと、 血のような川に見える人それぞれです。
その川を溺れかかりながら渡る人、危ないですよ! やっと渡って、歩いて行くと、建物があり、そこで自分の一生の映画を見せられ、自分がどこが悪かったのか、自分で行く先を決めます。
すべての人が同じコースではありませんが、その人の心にふさわしい世界に帰ります。
ですから、善なる生き方をしましょう。人に見られてまずいような生き方をしていますと
あの世ではごまかせません。  暗い世界が待っています。
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まず「死後の世界」云々は置いておきましょう。



仏教では座禅や瞑想をするときに「呼吸を観る」というのが基本になります。
なぜ呼吸なのでしょう?
呼吸というのは過去でも未来でもなく「今」でしかないからです。
人間の苦しみというのは過去と未来にしかありません。

(あのときあいつがみんなの前で恥をかかせやがった)
(なんであの時あんなことを言ってしまったんだろう)
(あの時あんなことをしなければよかった)と過去を悔い、

(今の収入だと結婚も出来ないんじゃないだろうか)
(息子の暴力がひどい、そのうち殺人でも犯すのでは.......)
(死ぬのが怖い、死んだらどうなるんだろう)と未来を不安視する。

「すでに過ぎ去って無い」と書くのが過去、「未だ来らずに無い」と書くのが未来です。
つまり過去も未来も「無い」のです。
試しに過去を今この場に持ってこられますか?
未来も同じことです。
「ある」と思っているのは人間が言語によって「概念」を作ってしまったからです。

仏教というのは「今に気づき続ける」ことを修業しているのです。
(死ぬのが怖い)というのは、あなたが概念によって作り出している
恐怖なのです。
概念は恐怖を増幅していきます。
ただのススキが幽霊になってしまうのです。

今に気づいていれば恐怖は起こりません。
そのためには脳を書き換える修行が必要です。
ぜひ座禅や瞑想をやって見てください。
三年もやれば今の恐怖は消えてしまうでしょう。
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機会があればですが、全身麻酔すると、死後の世界が想像出来ると思いますが、私の経験上では全く意識がありませんでした。

多分死後と同じではないかと思いました。
体も心も無になるだけだと思います。
怖いも何も無い無です。
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特別に宗教に傾倒してる訳でもないし、オカルトや霊的な体験もない人間ですが、最近、霊的?やスピリチュアルな事に詳しい友人の話を聞いたり、


とある本を数冊読んでから死後の世界というものが存在するかもしれないなあ? と思うようになりました

科学的な解明は現段階ではできてませんが、もしかしたら100年先・1000年先には解明されるかもしれない

人は、亡くなると どうやら意識というか思念というか…そういう存在になるようです
これを霊とか魂と言うようです
多くの魂は『あの世』と言われる世界に行くようです
行けない魂もいくらかあるようで それは『現世に執着を強く残した者』

例えば誰かを非常に強く想って心配して離れられなかったり 誰かを非常に強く怨んだり憎しみをもったり妬んだり…そういうのはあの世に行けないようです

あなたはそういう執着は無いでしょうから きっと魂の世界に行けると思います
魂の世界には色々あるようですが どこに属するかは生前の生き方が関わるょうです
(いくつかの階層というかグループみたいなものがあるらしい)

あまり心配しなくても極悪非道な生き方をしなければ死後 幸せな世界に行けるようです
心配しなくて大丈夫です

あと、生まれ変わりですが すべての人がこの世に転生するとも限らないょうです
前世の記憶を持っ人もいるし、持たない人もいる
前世の記憶を持っていても成長と共に消えることもある
転生までの期間もまちまちのようです

ただ、転生したならば、それは生前クリアできなかった課題を再びクリアして魂を
よりいっそう向上させる為に現世を生きるのが目的のようです

つまり あなたが今、悩んだり苦しんでいる事柄は前世でクリアできなかった課題を再び味わっている。ということのようです

ですので悩みも苦しみも受け止めながら学びだと思い 人に対して意地悪せず ただ、ひたすらに真摯に生きるのが大切なようです

ここからは私の個人的な見解ですが ーっーっの魂?が向上すれば
世界は少しずつ優しく美しい世界に近づきますよね
見えざる大きなカがそういった世界へ導くために 今を生きてる人に一人一人より良い生き方をするように学ばせてるのかもしれない

ある本には『現世を生きる意味は魂の修行』だと書かれていました
課題をクリアできなければ 死後、多分生まれかわってまた別の形でクリアするょうに仕向けられるのでしょう

私も以前は死んだら無になる?と思ってましたが 今は上記の様に思うようになったので
今の人生でクリァできない悩みや苦しみは、もう一回味わうのかなぁ?なんて思いながら生きてます

今、不安で押し潰されそうなあなたに与えられた課題はГその悩みを抱えながらも周囲の人に感謝し 優しく懸命に生きる」事のような気がします

悩んだ分学びもあるし、寛容になれる
同じような経験を持っ人に対し理解も芽生える

それがあなたの生きる意味だと思います

とりあえず深呼吸して
 ゆっくりでいいです
親ゃ友人 身近な人に感謝して 
その人たちを大切に
不安や悩みを乗り越えなくても日々抱えて生きるだけでも意味があるのではないですか


あしたは 明るい日と書く
決して暗いものばかりではないからですょ

ちゃんと食事して 
お互いに、与えられた生〔命?〕を丁寧に生きましょうね(^_^)
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すばらしい事です



現在の社会の多くの解決が困難な問題は、
この死の問題を無視しているから起こる、と言っても良いのです

どんなに名声を博し、有名になり、財産を蓄えても
死を前にした時、すべてが空しくなるのです

どんな幸福論を示しても、死と言う問題を無視しては成立しないのです

科学的に言えば、有る物が無になる事はありません、
変化するのです
量子論的に言えば、肉体は土に変化しても、その人の情報は残るのです
すなわち、情報があれば再生する(生まれ変わる)と言う事になります

死を理解するには、その対極にある生を知らねばなりません
すなわち生死は一対であり、すべてに、例外なく当てはまる法則なのです

生死、すなわち生命のメカニズムを解明する事が入口です
すなわち
ソクラテスの(汝自身を知れ)が結論であり、出発なのです

その汝自身を解明したのが仏教です

仏教の生命論は深く    
生命活動を 立体的 流動的にとらえた十界互具論
生命の機能 本体 可能性 を説いた十如是論
個性化の原理を説いた  五陰世間
深層を解明した 九識論
差別化の原理、十界論 があります

これらを学ぶと、現代科学や量子論、更に天文学、
ユングやフロイトの深層心理学等、全く矛盾することなく
仏教理解の入門書と言えます

http://rokusann.sakura.ne.jp/access.html
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たぶん、この話は、ちゃんと解決しないような気がします。


この中で完結するものでもありませんが。

若い人の一種の通過儀礼かもしれません。私もありましたから。この時、どんな選択を取るかによって、今後の人生が変わるものだと思います。自分自身で考えなくては、解決はできなくても、自分自身を深めることになるだろうと思います。

人の死は、永遠の命を得られる、無に帰してしまう、霊界に入っていくなどその選択は人の心の問題でしょうから、人の打ち立てたものにとやかく言ってもしょうがないけれども、それゆえに、古代の人々が言った言葉や歴史史上の偉人の言葉などが、私たちの心に残ることもあります。
100%の安らぎは、生きている限りは永遠に訪れない、しかし、「信仰とは1%の希望と、99%の疑いである(Georges Bernanos)」という言葉があるように、多くの偉人は、同じようなことを言っているものです。1%の希望は、人に宿す種のようなものなのです。それが私たちには残されているわけです。

私は、高校生の時に『歎異鈔』を読みました。ちょっと表現がおかしいかもしれませんが、神様・仏様って、唱えても、どこかで疑っている自分がいます。それはそれで仕方がありません。歎異鈔の中では、それを「業」と呼んでいます。私は、あなたよりもずっと年上で、また、自分が死ぬことを受け入れなくてはならない時期に来てます。死は、永遠の孤独が待っているだけでしかないにしても、それでも、今生でジタバタしているわけです。

書を捨てて、街に出てみて人とお話をしてみるのもよいかもしれません。
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閻魔堂に行くと死後の世界の内容をビデオにして教えてくれます。


閻魔様が死者を裁判して鬼による罪人の苦しめ方の方法を決めるわけです。
一度見てみてはいかがでしょう。面白いですよ。
死は必ず来ますが、いつ来るかはわかりません。
死を恐れては何もできません。生まれた以上は死ぬまで人生を生きるしかないのが人間の宿命。怖がっても何も始まらず。そんなものを怖がるよりももっと恐ろしいのが生きている人間だと思いませんか。要は悪事をせず、善事だけをすればいい話ですよね。
一つ提案ですが、どうせ生きるなら歴史上の人物になる気はありませんか。
歴史書に自分の名が載る。これはものすごいことですよね。
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