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日中合作映画『未完の対局』(中国語題:一盘没有下完的棋)1982年公開は、2000年(平成12年)に発覚したアマチュア考古学研究家の藤村新一による自作自演の捏造事件の話題をモチーフとしているのではないでしょうか?

「映画『未完の対局』は2000年(平成12」の質問画像

A 回答 (1件)

自作自演?全く関係ありません。

ストーリーは日本の名棋士、松波麟作と中国の江南の棋王と謳われた况易山は、一九二四年、北京で運命的な出会いをした。その二人の対局は官憲により中断させられたが、江南の麒麟児といわれる况の息子、阿明は、その天分を伸ばすために、日本の松波のもとに預けられることになった。才能を発揮していく阿明は、松波のひとり娘、巴といつしか愛しあうようになる。しかし、日中戦争の激化のなかで、二人の恋愛関係は複雑な波紋を周囲に投げかけた。天聖位の獲得を契機に、阿明は祖国に帰って銃をとる決意をし、妻の巴を伴って、密行による国外脱出を企てる。しかし、出航を目前に、夜の埠頭で阿明は射殺され、巴は憲兵に逮捕される。戦後、すべての家族を失った况は、息子、阿明の消息を求めて焼跡の東京を訪ねた。だが、彼は阿明が、こともあろうに、松波の謀略で国外脱出の際、憲兵に射殺されたと知らされる。さらに况は、阿明の妻、巴の発狂した姿を見せられ、松波も戦死したと聞かされる。やり場のない怒りと絶望のなかで况は、中国に帰った。だが、実は松波は生きていた。しかし、すでに碁は捨てて酒びたりの自堕落の生活をしている。一九五六年、日中間の民間交流が芽ばえる中で、况のもとに松波の訪中が伝えられた。“松波が生きていた”すべてを忘れようとしてきた况にとって、それは複雑な動揺をもたらした。今や廃墟となった旧况家で、松波と况は再会するや、松波は誰にも言えなかった阿明の射殺の真相を告白した。ただ慟哭するばかりの况。しかし、阿明と巴の遺児、華林は明るく育っていた。その孫娘に促されるように、松波と况は、阿明と巴の遺骨を美しい大湖に沈めた。そしていつしか二人は、虚空の盤の上に、三十年前の打ちかけの碁を打ちはじめるのだった。
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この回答へのお礼

助かりました

ご回答ありがとうございます。そのような物語の展開だったのですね。
主役の一人三國連太郎演じる松波麟作と旧石器捏造事件の犯人藤村新一さんの風体が良く似ていた。この映画の物語のモデルとも思われる呉清源とそのライバル木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の 布石 のスタイル【新布石】は★新布石時代とも称される囲碁の一時代を形成した点。などが映画のモチーフと推測される要因です。
面白いですね。

お礼日時:2021/08/05 12:01

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