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浄土真宗の方に質問です
本願寺派と大谷派の違いを出来るだけいっぱい書いてください

A 回答 (3件)

深川宣暢 龍谷大学助教授・山口俵山西念寺住職は、次のように書いています。

  

深川宣暢 龍谷大学助教授・山口俵山西念寺住職 

この両本願寺は宗祖を親鴬聖人と仰ぎ、第十一代顕如宗主の時代まではその歴史を同じくするわけですから、両派に根本的な違いは無いはずです。ところが実際には種々の方面にその違いを見ることができるのです。

わかりやすいところで言えば、お仏壇の柱(西が金箔張りなのに対して東が漆塗り)などをはじめとする荘厳や仏具、僧侶の袈裟・衣や付される紋、勤行(おつとめ)のフシや作法など、ワザとではないかと思えるほどに違うところもあります。

また教義解釈(教学)の表現においても両本願寺の宗風の違いがあると感じられます。
真宗の教えにおいて、阿弥陀仏の救いは阿弥陀仏と人間衆生との関係の中で表現されるわけですが、たとえばわれわれが同じように雨を経験したときに、「雨がふった」と表現することもあれば「雨にふられた」と言うこともできるように、同じ救いを表現するについても、
「仏はかくして我を救いたもう」(真宗学ではこの仏の側からの表現を「約仏」とか「約本」等といいます)という立場で表現することもできれば、
「我はかくして仏に救われり」(この人間衆生の側からの表現を「約生」とか「約末」等といいます)という立場から表現することもできるわけです。

東西本願寺の傾向の違いでいえば、
西本願寺系統の教学は前者である仏(法)の側からの表現の傾向が強く、
逆に東本願寺系統の傾向は後者の衆生(機)の側からの表現傾向が強いといえるかと思われます。
別の言い方でいうならば、親鶯聖人は「信」の内容について『教行信証』の「信巻」および「化身土巻」に『涅槃教』を引用して、
  信にまた二種あり。
   ……一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。
と述べて、「道あり」と信じるとともに「得道の人あり」と信じてはじめて「信心は具足する」ということを示されています。
この「道ありと信じる」という側面にアクセントがあるのが西本願寺の教学で、
逆に「得道の人ありと信じる」方にアクセントが置かれているのが東本願寺の教学であると言えましょうか。

これらの違いは、一向一摸などの歴史をふまえて、東本願寺に寺地を提供して真宗の勢力を二分しようと企図した徳川の政策に由来するものもありましょうが、同時に両本願寺に所属する寺や門信徒の文化・風土に由来するとも考えられます。すなわち西本願寺に所属する寺院が西日本を中心に存在するのに対して、東本願寺のそれは東日本を中心に存在しているという背景があるということです。
また教学の上では『教行信証』の研究法などをはじめとする両本願寺の教学の方法論の伝統に由来することも考えられます
「浄土真宗の方に質問です 本願寺派と大谷派」の回答画像3
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2022/04/08 08:11

仏壇の仕様が違いますね。

本願寺派は内側が壁も柱も下げものも金ピカで前のお道具は地味、大谷派は内側が地味でお道具が金ピカ。
南無阿弥陀仏は、本願寺はなもあみだぶつ、大谷はなむあみだぶつと読みます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2022/04/08 08:14

親鸞会は如何ですか?


高田派も取り揃えてますが……。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2022/04/08 08:14

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