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21才で保安官パットギャレットに撃たれ死んだとされ、
ちゃんとお墓もあるようですが1950年にウィリアムロバーツなる老人が以前に約束されていたニューメキシコ州知事の恩赦を願い出たと言う話は実話なのでしょうか?
彼はビリー本人、もしくは全くの別人かというのは何らかの結論が出てるのでしょうか?「ヤングガン」という映画で初めて知って、やはり単なる作り話なのかなとも思うのですが是非教えてください。

A 回答 (3件)

 1800年代の事ですから、正確な事は分からないと思いますが、「ヤングガン」は作り話だと思います。


 現在正しい事として伝えられているのは、親友パットギャレットに潜伏先のメキシコで射殺されています。
 また、ビリーザキットの実物写真では、左利きですが、あれは、写真のネガを裏焼きしたからで、着用しているシャツのボタンが左右逆になってるのがその証拠で、本当は右利きである。
 と言う説と、ビリーは小柄で着ているものは婦人用だからボタンが左右逆であり、写真の通り左利きである。
 と言う説とどちらが本当かいまだ不明です。
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この回答へのお礼

写真は見たことありますが、そんな説があるとはしりませんでした。ありがとうございます。

お礼日時:2005/04/23 13:17

ビリー・ザ・キッド(綽名)は1859年生まれ。

1881年
にパット・ギャレットに射殺されたことになっています。しかし、パットはビリーの友人だったという説があり、風来坊を身代わりに射殺して埋葬したという疑いが生まれたようです。保安官が暗闇で射殺するのは当時の風習に反していたとか、埋葬も早すぎたとか、ビリーを生かしておきたいという庶民の願望があってか、実はビリーは名前を変えてアリゾン州の小さな牧場主として生涯を終えたという説まであるようです。

従って、小説や映画ではいろいろな説があってもおかしくないわけです。
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この回答へのお礼

確かに友人と言う間柄ならそういう見方も可能性としては
ありえますね。(そうあってほしいという願望に近いですが)ともかくありがとうございました。

お礼日時:2005/04/23 13:22

>1950年にウィリアムロバーツなる老人が以前に約束されていたニューメキシコ州知事の恩赦を願い出たと言う話は実話なのでしょうか?



これは実話のようです。
参考URLによると、1950年にオリー・P・ビル・ロバーツ(あだなはブラッシー・ビル)という人が、自分はビリー・ザ・キッドだと名乗って恩赦を願い出たそうです。

ただし、ビリー・ザ・キッドの写真を分析した結果や、記録上の年齢が合わないこと、本人の証言内容が一貫せず事実と違う点があること等から、ブラッシー・ビルはビリー・ザ・キッドではなかったと言うのが定説のようです。

参考URL:http://www.aboutbillythekid.com/billy_vs_brushy. …
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この回答へのお礼

やはり実話だったんですか。映画でもそんな風に終わっていたので気になっていたのです。なるほど定説ではビリー本人ではないとされてるんですね。DNA鑑定したんでしょうかね?(この時代にはまだないかも)
とするとオリー・P・ビル・ロバーツが恩赦を願い出た
真の理由と彼がどのような人生を送ったのかが気になってきました。URLも見てみます。ありがとうです!

お礼日時:2005/04/23 13:30

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