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創価学会では「南無妙法蓮華経の七字を唱えると、
仏になれる」と説きます。
ここで質問ですが、
私の住んでいる地域には創価信者が比較的多く存在しています。
彼らは年がら年中、南無妙法蓮華経を唱えています。
となると、彼らは既に「仏」になっていることになり、
私の家の周辺は、仏さまだらけとなるわけですよね?

有り難いやら、何と言おうか分かりませんが、
私の質問に対し、解説をお願いします。

A 回答 (5件)

> 創価学会では「南無妙法蓮華経の七字を唱えると、仏になれる」と説きます。



その意味はどのようなものでしょうか。
創価学会というサイトには次の記載もあります。
https://www.sokanet.jp/kyougakunyuumon/isshojoub …
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
法華経では、成仏とは「仏という特別な存在に成る」ことではなく、自身のその身に「仏界の生命境涯を開く」ことであると説いたのです。
大聖人は、あらゆる仏を仏たらしめている根源の法そのものを、南無妙法蓮華経であると明かされました。そして、根源の法と一体となった大聖人御自身の御生命を、南無妙法蓮華経の御本尊として顕されたのです。
私たちは、南無妙法蓮華経の御本尊を信受することで、だれもが自らの生命に仏界を開き顕すことが可能になりました。
日寛上人は次のように述べています。
「我らこの本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(『日寛上人 文段集』)
御本尊を信受し、広宣流布の実践と信心を貫けば、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ仏の生命境涯を開き顕すことができるのです。
なお、凡夫の身のままで成仏できることを即身成仏、一生のうちに成仏できることを一生成仏といいますが、どちらも同じ法理を表現した言葉です。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
この説明は、「凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ仏の生命境涯を開き顕すことができるのです」「凡夫の身のままで成仏できることを即身成仏、一生のうちに成仏できることを一生成仏と」ですから、「変身」という「物理的変化」ではなく、「胸中」に一種の「境地・気分・思考」のような」ものが生まれると言っているだけのようです。 人によっては酒を飲んでとても明るくなり自信のようなものが強くなったりしますが、そのような「一時的気分の変化」のことでしょう。 何かといえば酒を飲んで気分を晴らそうとする人がたまにはいますが、どうも不安になりがちという人が頻繁に7字を唱えることでしっかり生活出来るということもありそうです。

一度あるいは32回唱えたら仏になる(死んじゃう)というようなことは言ってないのでしょう。
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ヒトは誰でも死ねば仏になれるのにご苦労様なことです。



創価学会でも、多分、唱えた途端に仏になれると教えている訳ではないでしょう。私は、死ぬ前に仏になられた学会員に会ったことがありません。
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仏さまになると言うことは、成仏していると言うことです。



死んでも生きて居る人が供養してくれないと成仏できるものではないです。

創価学会の人は毎日南妙法蓮華経を唱えて、供養していますから貴方の周りには浮遊霊がいないと言うことです。
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南無妙法蓮華経を唱えるだけではダメです。


仏になるまで唱え続けないといけません。
あなたの周囲の学会員は、まだ信心が足りません
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>私の家の周辺は、仏さまだらけとなるわけですよね?



理解の方向としては概ね間違っていません。

仏法ではすべての人間に仏性があると説きますので、本来的にはあなたも仏、私も仏、です。

しかしその仏の生命がなかなか出てこないので、日々精進して、仏の命が出るように信仰活動を行っています。

「ハイいまこの瞬間に仏になりました!」みたいなものではないですし、命も磨き続けないと曇ってしまいます。

日々祈り続けることで、自分の命を磨いているといえます。

死んで仏様になる、といった仏のイメージとは違います。
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