河野洋平議員が総理になれなかったのはなぜ?
歴代の自民党総裁の中で、河野さんだけが総理大臣になれなかったと聞きました。どういう政治的事情があってそうなったのですか? 幼かったため、当時の記憶はほとんどありません。できるだけ詳しくお願いします。
回答(5件)
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No.5ベストアンサー20pt
宮澤内閣不信任案が,自民党の一部の議員が造反したことにより可決し,衆議院が解散されました。
そして総選挙で,自民党は過半数割れし,宮澤総裁が退陣し,河野洋平氏が自民党総裁となりました。
しかし,首班指名で,自民党総裁の河野洋平氏は,日本社会党・新生党・公明党・日本新党・民社党・新党さきがけが担いだ日本新党代表の細川護煕氏に敗れ,総理大臣にはなれませんでした。
その細川総理が辞任した際の首班指名でも,新生党党首の羽田孜氏に敗れました。
次に,羽田総理が辞任した際,自民党は,社会党・新党さきがけとともに,社会党委員長の村山富市氏を担ぎ,与党に復帰し,河野洋平氏は副総理兼外務大臣として入閣しました。
その後,自民党総裁選挙で,形勢不利と悟った河野洋平氏は立候補せず,橋本龍太郎氏が自民党総裁となりました。
嘗て自民党は国会において単独過半数を占め、その内の最大派閥が田中角栄氏の田中派でした。
そして田中派の中で竹下登氏が角栄氏に反乱を起こして独立、竹下派を作り首相になります。
89年、リクルート事件で退陣すると、宇野宗佑が引き継ぎますが、器では無く早々に愛人問題で退陣、クリーンイメージの海部俊樹を経て、宮澤喜一が首相になります。
この時点で竹下派は影の実力者、金丸が仕切りますが、金丸も失脚、羽田と小渕に分裂し、羽田は宮澤内閣の不信任案に賛成し、小沢一郎などと共に自民党を飛び出し、過半数を割ります。
宮澤が退陣した後、河野洋平が宮澤派を受け継ぎ、総理を目指しますが、過半数割れした自民では指名選挙に破れ、総理にはなれませんでした。
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