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よく、「本当にあった恐い話」というものを聞きますが、リアリティーをもたせるために、「本当にあった」をつけているように思います。事実は小説より奇なり、なんてことを言いますが、時に、そんな話に、本当にあったんかい、とつっこみたくなるようなものがあります。

本当に恐いのは「本当にあったから恐い」話ではなく、「本当にあったとしたら恐い」話の方ではないかと、僕は考えました。
でも、待てよ、リアリティーがないけど恐いというものを作るのは非常な労苦を伴うのではなかろうか。

ここで僕の思考は停止しました。
みなさんは「本当にあった恐い話」と「本当にあったら恐い話」と、どっちが恐いと思いますか?
また、「本当にあったら恐い話」があれば教えてください。
(この質問ではどちらかというと後者の方が主眼です。また、他人の「本当にあったら恐い話」が「本当にありました」なら、それも指摘していただけると助かります)

締めきり期限は未定です。

A 回答 (8件)

 あったら怖い話あるいは過去にあった怖い話。


 朝起きたら両腕にびっっっしり歯が生えていた。
 実人生で映画「ギフト」の主人公になってしまう。
 魂だけ不老不死になる。つまり、生まれ変わっても前の記憶がある。自殺したくてもできない。
 気がつくと、真っ黒なつり鐘をひっくり返した暗く冷たいところに閉じ込められている。蓋とつり鐘の間にわずかな隙間があるが、どんなにがんばっても外は見られないし叫んでも外からは何の音も聞こえてこない。(エドガーアランポーみたい)
 無実なのに逮捕される。審判も裁判も弁護士もない途上国で、ただ何十年後に死ぬまで閉じ込められたまま。
 「都市の噂」であったバージョン。ベッドの下に変な男がひっそり隠れている。・・うっ自分で言っておいてベッドの下を見てしまいました(汗)。私のベッド高さが割とあってしかも下が空いていて、部屋側からは見えないようにシースルーのカーテンかけているもので・・・。
 以前の部屋で、机の後ろに鏡を置いていた時。昼間は平気なのに夜、机に向かっていると背中の鏡の中で私がこちらをじっと見つめたり、勝手に動いているんではないかという妄想にとらわれてどうしようもなくなったことが。
 広い湖の上で皆で楽しくボートセイリングしていると、静かにゆっくりと何か巨大な影がせりあがってきてボート群を揺らしながら下を通り過ぎるのを見てしまう。皆とたんにシーンと静まり返る。
 あと、全身全霊を賭けて愛する存在が酷い死に方をする。死ぬより恐ろしいことになる。
 
 うーん、私の「怖い」って生理的にぞっとくるものから不条理な事態に向き合いたくない畏れ、喪失の恐ろしさなどなどすっごく幅広いみたいですね。そう、私は怖がりです。映画を見ているときたとえば「シックス・センス」を見ているときは幽霊への恐ろしさから泣くに泣けず金縛り状態だったし、「バウンド」を見ているときは拷問シーンに人間が恐ろしくてやっぱり金縛り状態で脂汗をかいていました。どんな映画でも暴力シーンがあったりすると私的映倫委員会にはホラー映画指定になります(笑)。そう凍死体が出てくる「タイタニック」もひどいやけどをにっこり笑う子供に負わされる「ホームアローン」も。
 ちなみに水族館に大きな壁面水槽とかあるじゃないですか?ものすごく大きな多種類水槽を横から切り取って見せてくれる・・・。中学生の頃、友達に見せてもらったマンガの影響かあの中に突然ふっと不可抗力で瞬間移動(?なんていうんでしょう?)してしまい、無数の魚につつかれたらどうしよう!
 ・・・という、お前の頭のほうがどうかしているという考えから抜け出せなくなりその場に長くいられなかったことも(笑)。私にとって視界の利かない広い水(海とか)というのは恐怖そのものでしかありません。いやもちろん海は大好きでとても惹かれますが、同時に吸い込まれそうで怖いもの。
 
 怖いという言葉がご質問から大幅にずれたところで。「本当にあったら」と「本当にあった」どっちが怖い?という点ではもちろん#1kimgwaさんと同じく実体験するのはどっちもいやだ~(泣)!というその問い自体が私にとっては怖い質問なのですが。ちょっとだけ分類できます。
 「本当にあった話」とは、その状況に陥っても何とか希望を見出せないかと自分的には頑張れる状況です。政治犯として捕まって出る見込みがないとか。「本当にあったら怖い話」とは、何がどうなってそうなるのかわからない見通しの悪さが怖いものなので、生理的にもうだめな状況です。歯が並んで窮屈そうにびっしり生えてる自分の腕を朝の目覚め後に見つけてしまった日にはどういう希望をもてばええっちゅうねんていう感じ。
 長々と失礼しました。なんか腕がカユクなってきたのでこの辺で。(^^;)
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この回答へのお礼

こ、こわすぎる・・・
妄想が恐さを増幅させるのですね。

>「本当にあった話」とは、その状況に陥っても何とか希望を見出せないかと自分的には頑張れる状況です。「本当にあったら怖い話」とは、何がどうなってそうなるのかわからない見通しの悪さが怖いものなので、生理的にもうだめな状況です。

なるほど、身構えようがないことはもちろんのこと、逃げ道がないから恐いというのはありますね。
創造された映画などでも、本当にあったら確かに恐い、というのはあるかもしれません。実際に起こりうるものが予期しない時に起こったら、パニックになるので恐いなんて感覚も持てない可能性はありますね。
起こり得ないから、かえって恐いというのはあると思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/02 20:39

こんにちは!



以前友人に聞いた話です。
ある人が踏み切りで電車の通過待ちをしていた所、目の前で人が遮断機を越え、飛び込み自殺をしてしまったそうです。愕然としていたら、飛び込んだ人の首がポーンと足元に転がってきて、目が合った瞬間「見るな!」と言ったそうです。

もひとつ聞いた話。
ある線路沿いに住む一家が夏の夜、夕餉の食卓を囲んでいたら飛び込み自殺をはかった人の首が開けておいた窓から飛び込んできて、食卓の真中に落ちたそうです。
一家揃ってフリーズ!

どちらかと言うと、先の話が「本当にあったら恐い話」で後者の方が「本当にあった恐い話」という感じがします。
「本当にあったら」はどんなに現実的な話でも、あくまで例えであり、「本当にあった話」は事実だからです。

以前、テレビであるオカルト映画を見たらそこそこ恐くて、終わってホッとしていた所、後の解説で「この映画の監督は、撮影終了後、上映を待たずに事故死しました」と聞いて映画なんてぶっ飛んでしまう程の恐怖を一瞬にして感じた事があります。
やはり事実は説得力があるのだと思います。

「本当にあったら恐い話」を書かせていただくとしたら、やはりこの時期「核兵器」の行方が恐いですね。旧ソ連などでは、管理がかなりズサンだと色々な情報にありますから。色々な場面を想像しただけでたまらない恐怖を感じるので、考えないようにしています。
・・・急に高尚な雰囲気↑になってしまいました。
イメージアップにと苦労して考えたんですよ、これでも。チョコレートを食べながら・・・。

この回答への補足

結論が出ましたので、締め切らせていただきます。

僕の出した結論は、「本当にあった」か「本当にあったら」かは別として、「本当に恐い話」が一番恐い、というものになりました。

ポイントはごらんの通りになります。
ご回答くださった方々、ありがとうございました。

補足日時:2001/12/06 14:27
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

こんな風に「た」と「たら」で区別していただけるとわかりやすいですね。
確かに、核兵器は恐い・・・
まだ起こってはいない恐い話ですよね。

>イメージアップにと苦労して考えたんですよ、これでも。
そもそもイメージダウンはしておりませんので、大丈夫です。ご安心を。
ありがとうございます。

お礼日時:2001/12/06 14:27

nabayoshさん、こんばんは。

先日は私の質問にご回答頂き、ありがとうございました。

本当にあった「ら」恐い話ですか。

全く個人的な話ですが、夢によく見ることで、歯が全部抜けてしまうとか、髪の毛が全部抜けてしまうとか、就職は決まっているのに実はまだ大学を卒業するための単位が足りていなくて右往左往しているとか(私はダブり君なのでリアルすぎる・・・) 極めつけとして、もう会社に勤めているのにいまだに最後の単位を取るために大学に通っていて、それでも試験に合格しそうもない、なんて夢は、本当に恐いです。(これって嘘くさいけど、本当にそういう夢を見るんです。)

ちょっとご期待とは違う回答かも知れませんが、これはこれで恐いですよ。いまだにガマガエルのように脂汗流しています。(^^;)

これは本当にあった恐い話にはなり得ません。従って、「本当にあった「ら」恐い話の方が恐い」に1票入れさせてください。
(「自信あり」です。)
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この回答へのお礼

夢というのは想像力がもたらすもので、確かにどんなことでもできます。しかしそれは自分の意志で動かせるはずなので、Yoshi-Pさんはもしかすると、自分の意志からしてペシミスティックな一面があるのじゃないでしょうか。歯や髪の毛が抜ける夢というのは、何かを象徴していると聞いたことがあります。なんだったっけ。

いずれにしても、恐い夢は獏に食べてもらいましょう。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/06 09:02

nabayoshさん今日は。



「こわい話」は大きく次の二つに大別できるかと思います。

A 恐喝電話や殺人・暴力など、現実に生きている人間が引き起こす行為。
B いわゆる「幽霊」「霊界」「オカルト」もの。
(勿論、どちらにも属さないものもあるかとは思いますが)

御質問の二つとA・Bを強引に対応させてしまうならば、
Aが「本当にあったこわい話」、Bが「本当にあった‘ら’こわい話」で、
漢字を当てると、Aが「恐い」で、Bが「怖い」でしょうか。(ん? 逆かな?)

「もし実際に、自分の身に起こったとしたら、A・Bどちらがのパターンが‘こわい’か?」
という問い方をしたならば、私の場合は、
実際に起こり得る可能性の低い分だけ、Bの方が恐怖感は強いのではないかと…

何だかまとまらなくて済みません。
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この回答へのお礼

いろいろと考えるところがありまして・・・

例えば、魔女狩り。
現在ではそんなものはありませんが、昔はリアルな話だったかもしれません。「本当にあった恐い話」であると言えます。
しかし、2001年の日本で突然魔女狩り法案が可決されたとしたら・・・
これは「本当にあったら恐い話」です。

要するに、本当にあったら恐い、というのは、真実より毛が3本足りないようなものなのです。

Bのものは確かに真実味がない、つまり現代の科学的社会に反したものであるから「本当にあったら恐い」ということになっているようです。
つまり、起こってはじめて恐い、ということですね。

コンピューターウイルスが実体化してコンピューターから飛び出して地球を占領する、なんてのはナンセンスな話ですが、本当にあったら恐いかもしれません。
起こったら、意外すぎて恐い、ということかもしれません。

ということは、意外性の強い内容のものほど「本当にあったら恐い」のでしょうか。
(逆に「本当にあった恐い話」というのは意外性がないほどリアルであれば恐くなってくるように感じます)

僕もまだまとまってません。
変なことを考え出してしまったものです。
「本当にあった手強い質問」でありましょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/01 21:36

本当にあったら恐い話。


子供会などの夏の夜の定番行事?の肝試しでのお話。

いくつかの班に分け、それぞれに点呼してから、いざ出発。。
一回りして無事帰還してから、再度点呼。一個班だけ人数が増えている??
減っている場合は慌てふためくんでしょうが、増えていたら、どうします??
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この回答へのお礼

そりゃあ恐いや。
どうします、って言われても・・・
もう1度点呼しなおすでしょ・・・

リアリティーはないですよね。でもなんだか恐いと思ってしまう。「本当にあったら恐い話」というのはこの辺なのでしょうかね。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/01 09:19

「本当にあった怖い話」の方が怖いと思います。


なぜかっちうと、「あった」ということは「現実に起こった」ということで
自分の身にも起こりうることだからです。

例えば、家でテレビをみていたら、トラックが家までつっこんできたとか
調べたら自分の部屋に複数の盗聴器が仕掛けられていたとか。
自分の身に起こったらと思うとゾッとしますよ~。

一方、「本当にあったら恐い話」というのはあくまでフィクションで
対岸の火事というか、結局はあるわけないじゃん、ですまされちゃうかなと思うわけです。
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この回答へのお礼

自分の身にも起こりうる、「ひとごとではない恐い話」ということですか。

>家でテレビをみていたら、トラックが家までつっこんできた
そういうCMありましたよね。でも、実際にそういう事故は起こるらしいですね。確かに恐い。人によってはマンションの3Fより上に住んでいて、そういうことが起こるとしたら、「ひとごとなはずなのに本当に起こってしまったら相当恐い話」になるかもしれません。

>調べたら自分の部屋に複数の盗聴器が仕掛けられていたとか。
ひとごとと思ううちは平気なんですけどね。

>結局はあるわけないじゃん、ですまされちゃうかなと思うわけです。
「あったら」の基準をどこにおくか、ですね。「いや、あるわけないとは思っているのに、もしあったら」って感じでしょうか。自分には縁がないと思っていたのに実は、のようなものは、想像の上では恐いんですよね。

朝起きたら虫になっていた、とか。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/01 09:14

本当にあった話は、「あまり」怖くないと思います。


それを、脚色し怖く見せるから怖いのです。

心霊写真は、99.99%偶発の産物で、同じ写真を撮ることは可能です。
でも、その写真をさも霊験あらたかな方が、これは霊です。といえば心霊になってしまいます。
えっ、残りの0.01%ですか?それはわかりません。

私は、霊は信じないのですが、よく見ます。実家ですりガラスの向こう(廊下)を、白い服着た人が通るんですが、家族はみんな台所で食事しているので、誰もいないはずなんです。まあ、実際誰もいないんですが...

庭で、草むしりしてる人影とか...(他人の家でだれも草むしりなんかしないよね)
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この回答へのお礼

確かに、話には尾ひれがつくものですからね。
最初っから、このストーリーはフィクションです、と言っていれば、多少の誇張もあって許されますね。

そうすると、語り方によって恐くなる、ということですね。

>私は、霊は信じないのですが、よく見ます。
見る、ということは、その存在を認めているような気がします。そうすると、霊の存在を信じているような感じで、でも、信じないと言っていて、なのに見ている・・・この言葉、僕にとっては迷宮です。

>庭で、草むしりしてる人影とか...(他人の家でだれも草むしりなんかしないよね)
ああ、「本当にある可能性も少しはあるけれども、現実的ではない、恐い話」ということになるんでしょうかね。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/01 09:04

 う~ん、ご主旨はよく分かります。



 私は残念ながら、霊界の周波数には合わないようでして、どちらの経験もありません。

 しかし、ばーさんやその子供(私にとっておばさん)はそのっ気があって、いろいろと経験談を聞かされます。

 結論から申し上げると、そりゃ本当にあった「ら」の話のほうが怖いですよね。
 いくらでも「作れる」わけですから。

 でもね、本当に「あった」話も怖いもんですよ。
 私は徹底的な無宗教+霊界なんか知るかい! 的な人間ですが、霊感のある叔母の話を聞くと、トイレに行けなくなります。
 
 そんなことはある訳ないじゃん、とは、当然思います。
 でも、実際に目の前で叔母が経験した話を聞くと、どんな暑い夏でも、トイレに行けなくなるほど怖くなります。

 それでも、私は、霊的な話は信じられません。
 でもでも、怖いんです。

 全然説得力がないですね…。すみません。

 叔母は私を脅かそうとしているわけではありません。私だってもう30代ですから。
 それでも、感じる方には感じるようです。
 
 「ら」の話はいくらでも作れるでしょうが、実際の経験談にはかなわないような気がします。
 この辺がいい加減ですね…。

 それでも、無宗教の私には信じられないながらも、心のどこかに「ほんまかいな」という気持ちはあります。

 複雑です。

 とりとめのない話になりましたが、作れる話と、ホントの話、どっちが怖いかとなると、

・ 現実はともかく、怖く作る話
・ 霊感のある人が実際に経験する霊的な話

 との天秤になるのではないかと思います。

 結論が出なくて申し訳ないのですが、私はどちらも嫌です(笑~)。

 霊界を相手にしたいとは思いません。
 
 ご参考までにどうぞ。

この回答への補足

この質問の主旨をあらためて少し説明しておきます。

・「本当にあったら恐い話」とはどういうものか。「本当にないことを前提で聞けば恐くないが、本当にあったとしたら恐い話」の例を挙げて説明してもらえると助かります。

・「本当にあった恐い話」と「本当にあったら恐い話」の差とは何か。どちらが恐いか、と同時にどちらの方がリアリティーのあるものなのか。

なお、霊界に限らない、と書きましたが、「恐喝電話がかかってくる」とかも僕にとっては「本当にあったら恐い話」であり、それが「本当にあった恐い話」である人もいるかと思います。その辺も一切合切含めて「恐い話」とさせていただきました。

補足日時:2001/11/30 22:42
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この回答へのお礼

別に霊界話に限ったつもりはないのですが、興味深く読ませていただきました。

霊界のことは現実的な現象なのか決められないところがあるので、またまた難しいテーマを1番目の回答からいただいてしまったような感じです。

どちらも嫌、そうですよね。だって結局どっちも恐いんですから(笑)

どうもありがとうございます。

お礼日時:2001/11/30 22:42

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