新しく質問する

僧侶の恋の歌

役に立った:0件
  • 質問者:konatsu
  • 投稿日時:2001/12/10 10:29
  • 困り度:すぐに回答が欲しいです
  • 友達に紹介
  • ブログに書く
  • 教えて!gooお気に入り

古今和歌集770
わが宿は道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせし間に

この歌は恋の歌ですが、
僧侶の作なので題詠、女に代わって詠んだもの、
僧侶本人の心情を詠んだものと3通り解釈されています。

「僧侶の作なので」というのは僧侶は恋をしないという事なのでしょうか?
なぜ「女」に代わって詠んだものとされるのでしょうか?

いくつかの本を調べたのですが、どれもさくっとしか書かれていないので、
どうにも納得できません。教えてください。

この質問への回答は締め切られました。
このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:0件)
  • 参考になった:0件

No.1ベストアンサー20pt

  • 回答者:usagisan
  • 回答日時:2001/12/10 11:28

> 「僧侶の作なので」というのは僧侶は恋をしないという事なのでしょうか?

 そうだと思います。僧侶には「不淫戒」(女性と交わってはならない)が課せられていましたし、恋愛は修行の邪魔、悟りを開く妨げということで、遠ざけなくてはならないものだったと思います。

> なぜ「女」に代わって詠んだものとされるのでしょうか?

 当時は男が女の家に通う「通い婚」が(貴族たちには)普通でしたし、恋愛の段階でも常に逢いに行くのは男性で、女性は自分の家でひたすら待つ立場でしたから、「つれなき人を待つ」というのは、自分になかなか逢いに来てくれない冷たい恋人(もしくは夫)を待っている女性の立場の歌と言うことになります。

 したがって、「待つ女性の立場になって歌を詠んでみよう」と試みた題詠か、歌の名人であった僧正遍昭が、誰か女性のために代作したか、ということになるのではないでしょうか。

 もちろん、「待つ」のは恋人だけとは限らず、親友とかの訪れを待ってもかまわないわけで、その場合は本人の心情ということになるでしょうが、この歌に関してはともかく恋の歌ととるのが良いと思います。
 

通報する

この回答へのお礼

ありがとうございます。
親友とも考えられるんですね。謎が解けました。

  
このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:0件)

このページのトップへ

Facebook公式ページ

公式Twitter