僧侶の恋の歌
古今和歌集770
わが宿は道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせし間に
この歌は恋の歌ですが、
僧侶の作なので題詠、女に代わって詠んだもの、
僧侶本人の心情を詠んだものと3通り解釈されています。
「僧侶の作なので」というのは僧侶は恋をしないという事なのでしょうか?
なぜ「女」に代わって詠んだものとされるのでしょうか?
いくつかの本を調べたのですが、どれもさくっとしか書かれていないので、
どうにも納得できません。教えてください。
回答(1件)
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示
- |
- ベストアンサーのみ表示
No.1ベストアンサー20pt
> 「僧侶の作なので」というのは僧侶は恋をしないという事なのでしょうか?
そうだと思います。僧侶には「不淫戒」(女性と交わってはならない)が課せられていましたし、恋愛は修行の邪魔、悟りを開く妨げということで、遠ざけなくてはならないものだったと思います。
> なぜ「女」に代わって詠んだものとされるのでしょうか?
当時は男が女の家に通う「通い婚」が(貴族たちには)普通でしたし、恋愛の段階でも常に逢いに行くのは男性で、女性は自分の家でひたすら待つ立場でしたから、「つれなき人を待つ」というのは、自分になかなか逢いに来てくれない冷たい恋人(もしくは夫)を待っている女性の立場の歌と言うことになります。
したがって、「待つ女性の立場になって歌を詠んでみよう」と試みた題詠か、歌の名人であった僧正遍昭が、誰か女性のために代作したか、ということになるのではないでしょうか。
もちろん、「待つ」のは恋人だけとは限らず、親友とかの訪れを待ってもかまわないわけで、その場合は本人の心情ということになるでしょうが、この歌に関してはともかく恋の歌ととるのが良いと思います。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
親友とも考えられるんですね。謎が解けました。
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示
- |
- ベストアンサーのみ表示











