大戦後期になると紫電や屠龍や呑龍、彗星やら新型機が出てきます。

それらは、アメリカの軍用機、例えばグラマンやヘルキャトに対して対抗できたのでしょうか?

後期になると映像の世紀をみていると零戦が火を吹いて墜落するシーンが目に付くのですが。相変わらず零戦で戦っていたのですか?

A 回答 (9件)

#4です


追加ですが、変り種で海軍の艦上偵察機「彩雲」も挙げておきます。
特に高速性能が優れており、サイパン偵察の際、迎撃に上がったF6Fの追撃を悠々とふりきった時に発した電文「ワレニ追イツク敵機ナシ」はあまりに有名です。
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この回答へのお礼

ホントですか。ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/26 17:46

第二次大戦後期に実戦参加した旧日本軍用機の中で、グラマンF6F「ヘルキャット」やF4U「コルセア」等に辛うじて対抗できたのは「紫電」のみと言えるでしょう。

「屠龍」は対爆撃戦用の戦闘機であり、また「呑龍」は重爆撃機であり速度は遅く、そして「彗星」は艦上爆撃機でこれも速度は遅く、とてもF6FやF4Uにまともに対抗できませんでした。また零戦については1945年8月の終戦まで旧日本海軍の戦闘機として使用されていました。もっとも零戦については1944年以降は戦闘爆撃機として使用される事が多く、大戦末期には特攻機として多用されました。F6F、F4U、に対抗できた戦闘機としては、「紫電改」、「疾風」、五式戦、位しかなかったと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。米軍にはやはり負けてなかったのですね。日本人でよかったなあと思います。

お礼日時:2006/05/26 17:50

えっと・・・厳密に言うと、戦争前期ですら最高性能機を比べた際のスペックでは下です。


日本軍機が緒戦で勝利を得られたのは奇襲と徹底的な練習による世界最高の錬度によるところが大きいです。実際に、戦法が編み出された42年後半にはF4F相手ですらかなりつらい戦いを強いられています(それどころかP-40にも敗北例がいくつかある)。

零戦は戦争が終わるまで使われていましたが、そのころには空戦では使い物にはなりませんでした(隼のほうがまだ強かったと伝わっています)ので、特攻機に相当数が回されています。もともと零戦の航空機動に弱点がかなりあったので、そのせいでもあるのですが・・・
長く使われていたのは代替機がなかったため。
さらにいうと烈風は巴式の空戦能力を無理やり上げるために相当巨大化しているので、F6F程度ならばともかく、それ以上にはとても対抗できなかったと考えられています。烈風さえあれば、というのは結構聞きますけど、それは後世の「誇大妄想」です。

日本軍機の根本的問題としては
・液体冷却式エンジンを使いこなせなかったため、陸上機ですら空冷がほとんどという問題点がありました。例外的に液冷式はありますが、稼働率が非常に低かったと伝わっています。さらに例外的に液冷式であっても稼働率を高く保っていた部隊もあったため、整備員の能力が問題であったようです。

・燃料の問題が次にあります。これも工業力に起因しているのですが、アメリカのものと比べて相当ひどい品です。有名なのは疾風なのですが、これは日本のスペックでは最高624km/hとされていますが、戦後アメリカに持っていかれた機体に向こうの燃料で飛ばしたところ、689km/hでたとされています。つまり、燃料の違いだけで60キロも変わるのです。

・後続機の出現がおくれたことがさらに問題です。零戦をずっと使い続けていた理由は先ほども書いたように後続機がなかったことですが、実際に紫電や雷電、疾風や飛燕が現れても、陸軍は隼、海軍はゼロを使い続けるしかなかったのです。工業力の問題から更新できないのですね(新たな機体をレールに乗せるとなれば、いろいろと型やら生産工程を変えなければならないため、変更の前後でかなりの時間生産が滞る)。零戦だって、会戦時にはまだ数が揃いきっていなかったというあまり知られていない事実があります。つまり日本軍の場合すべての部隊で更新するのはおよそ2年以上もかかるのです。かたやアメリカは、F4FからF6Fへの更新は配備開始から1年もかかっていないのです。さらにすぐに後継機の開発を始め、終戦間近にはF8Fの準備中でした。

・錬度の問題もあります。アメリカの場合、数ヶ月前線で戦うと同じくらい後方に下げて新米育成に当たります。つまり、実戦経験豊富なパイロットをたくさん訓練に使うことができたのです。2倍もある人口差も大きいです。

・さらには工業力。当時日本の工業力は「小銃ですらカスタムメイド」です。つまり同じ銃であっても互換性を持たせられなかったのです。部品数が多くて数十の小銃ですらその状態なのに、数百は軽い航空機で互換性を持たせられると思いますか?実際に機体ごとの互換性は後期にはほぼなかったようです。
画用紙工作している子供にいきなり半田付けをやらせるようなものです。日本の工業力はその程度だったのです。
工業的遅れの代表例としては、後期の航空機では、「この部品は金型で~」となっていても実際には金型が作れず、削りだしで制作してたというのが多々あったと伝わっています。それと空技廠製の機体はバカみたいにリベットを使うために非常に生産性がわるかったとも伝わっていますね。これは設計の問題でもありますが、世界水準をもとめると、日本の技術では背伸びしなければならなかったということでしょうね。設計は優秀なものは結構あったのですが・・・これは「個人の才能」ですからね。

結論的にはどうあがいても対抗できなかったでしょう。数も違えば腕も違う、工業力も違うしソフト面でも悲惨。それが日本軍機です
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この回答へのお礼

大変、詳細にありがとうございます。数も大事だと言うことがわかりました。
もっとも、私はこれほど詳しい方がいることにびっくりしました。

お礼日時:2006/05/26 17:53

結論から申しますと、対抗できていません。

というのも、疾風や紫電改はスペック上ヘルキャットを上回りますが、数も平均的な乗員の腕も機械的信頼性も整備能力も作戦でも劣るため、キルレシオ(損害と戦果の比率)では結局負けているからです。局地的に勝利した場合もありますが、中には日本側の一方的な戦果発表での勝利で、戦後に米軍の実際の損害と照らし合わせてみると、むしろ日本側が負けていた、などというケースはザラにあります。(グラマンのあげたと主張する戦果も実際の3倍はありますが、日本の戦果誤認も相当なもので、例えばノモンハン事件での空戦での戦果報告は、現実の6倍もありました。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。乗組員の技術まで頭に入れてませんでした。

お礼日時:2006/05/26 17:49

http://homepage3.nifty.com/Defense/
大戦後半の新型機の多くは無理難題を押し付ける軍部の数値をクリアする為に作られていて 実際には改悪に近いものが多く例え歴戦の勇者たちが生き残っていたとしても まともに闘える物では無かったと思います。

 確かに 設計上は良い機体も有ったのでしょうが 実際には資源不足や工業力不足から稼働率も悪く実戦には苦しかったと思われます。
 加えて20mm機関砲の弾数少なさ僅か数秒で全弾打ちつくし しかも防御の弱い機体ではベテラン兵の居ない末期に戦いようも有りません。

 相変わらず零戦で戦っていたのですか?>稼働率の悪い新型機を作るより零戦の方が故障したとしても機体数が多いので部品を付け替えたりすることにより とにかく一機でも多く飛ばす事が出来る!そこまで追い詰められていた証拠です。

 ご紹介のURLに色々乗っていますので じっくりと読んで見て下さい。あとは御自分で判断してみて下さい。

参考URL:http://www1.mahoroba.ne.jp/~ple/un.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。哀しき零戦哉といったことですね。つらいです。

お礼日時:2006/05/26 17:48

F6Fヘルキャットにまともに対抗できたのは、海軍の紫電改と陸軍の五式戦、四式戦疾風あたりが挙げられるかと思います。


しかし米陸軍のP51ムスタングに対抗できる機体は無かったと思います。硫黄島陥落後に本土に来襲するようになりましたが、増槽付きで動きの鈍くなったP51にもかなわないくらいの空戦能力の差がありました。戦争末期は搭乗員の技量が落ちていたということもありますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。日本も負けてないのですね。戦争は負けても技術は負けなかった。

お礼日時:2006/05/22 22:52

零戦32型は、出力アップ、翼端をつめ、高速型に変更されました。


翼端の切り詰めは、乱流を生じ、航続距離が極端に低下します。

技術陣はこの点を指摘しますが却下されます。

ラバウルに集中配備中にガダルカナル線が開始されます。
この為、航続距離の長い旧式の21型をかき集めました。

32型は、翼端を丸型に変更し、22型とされます。

海軍は、武装増設の為、胴内タンクを減らします。
技術陣は、胴内タンクの代わりに翼内タンクを減らす要請をしますが却下されます。

エンジンの開発が思うように進まず、
開発したエンジンも、理想の出力が発揮しない状態だったので、
要求通り、設計通りの性能を発揮出来ませんでした。

使用出来なかったのです。

フローとを取り外すだけの紫電は承認されました。

しかし、中胴翼は、見張りが悪く、足が長いので事故が続出。
下胴翼、大幅な胴体の再設計を提案します。

これを改良する案に海軍は難色をしめしますが、
烈風の開発の遅れや、エンジンの開発の遅れから
しぶしぶ承認します。

紫電改の開発中、発動機の開発が間に合い、
本来の性能が発揮されました。
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この回答へのお礼

大変詳細なご回答ありがとうございます。エンジンが実は重要だったのですね。気づきませんでした。

お礼日時:2006/05/22 22:50

 海軍は最後まで零戦に期待して採用を続けた感じですね。


 紫電(改)は局地戦闘機ですし、屠龍や呑龍は爆撃機でしたか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/22 22:48

>例えばグラマンやヘルキャトに対して対抗できたのでしょうか?


実戦投入されない限り特にコンピュータ解析が無い当時、机上の設計図では分析できませんし、いずれにせよ搭乗員を守る思想が無い戦闘機では搭乗員の質が時間と共に劣化していますので勝てませんね。

ゼロ戦ですが、様々な改良(というか殆どが改悪)を経て使われ続けました。
これには軍部の判断ミスがかなり関与した様です。
後期のゼロ戦では材質や翼端の加工などの問題から相当性能が落ちた様です。
最後まで燃料タンクと操縦席の防護をしなかったため、羽を狙い撃ちされ、炎上する映像が多く残っている様です。
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この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。零戦についてよくわかりました。

お礼日時:2006/05/22 22:47

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