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どこかで読んだのですが、水平線に船が隠れてしまう距離って、意外に短かったようで、射程20キロ以上もの性能を持つ近代砲同士の戦いでは、視認できなかったのではないでしょうか。観測員は高所にいたから見えたのでしょうか。あるいは敵影は見えずとも林立する水中は見えたのでしょうか。今までは直接見ていたと思っていたのが違うとなると、なかなか想像がつきません。

A 回答 (8件)

1940年代後半からはレーダーが使われてますが、それ以前は例えば戦艦大和の場合、最大射程距離は42km、ところが20mの高さから20mのものを見る場合34kmの視界。



http://www.kaisho.com/nki_data/cul/gankou/nav2.h …

当然当たったかどうかなど分かりません。
ただ艦砲射撃の場合、複数の玉を打って、敵艦がその分布内に納まればよく、敵艦の移動速度と位置関係を計算して砲塔の仰角を決めて打ち出します。
風の影響や砲弾の回転による慣性など複雑な計算を瞬時にやらなくてはならず、第二次大戦期になると日本、イギリス、アメリカ、ドイツなど一部の国以外戦艦の建造は出来ず、現在の核保有国より少ないと思います。
想像ですが、飛行機などで大体の距離を測って、後は計算により打ち、飛行機で着弾補正をしたと考えます。

http://ww1.m78.com/topix-2/gunnery.html
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この回答へのお礼

監視塔の高さですが、戦艦級なら40メートルはあったのではないでしょうか。艦隊長と比率を拾ってみると大体2割弱の高さがあります。250mあれば少なくとも40メートルありそうです。そうするとご紹介にあった視認可能範囲は相手の20メートルの高さを見るのは40キロです。上部構造物は見えたのではないでしょうか。

お礼日時:2005/04/01 09:50

大正時代に相手が見えない海戦の可能性が生じます。

ユトランド沖海戦あたりからでしょうが、射程距離が伸びて水平線の向こう側を射撃するようになりました。

こうなると低い位置の砲側での照準は不可能になりますので、方位盤射撃が主流になります。さらに観測気球を揚げたり、観測機を飛ばすようになります。

観測機は、両艦隊の中央に飛ばし、両方の俯角が同じになる位置に飛ばします。それを目標に照準し、計算で敵の艦隊に命中させるよう砲側に指示します。

砲の引き金は方位盤にあります。砲を指示どうり位置させると発射回路が形成され、引き金をひくと発射します。
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この回答へのお礼

観測機自体が目標となるとは知りませんでした。砲弾が至近を通過するときはどんな風に見えるのでしょう。

お礼日時:2005/04/02 08:42

訂正:世界の艦船731号 147頁と記しましたが、431号の誤りでした。

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 まず最初にAns No.3で98Kinさんが載せてくれたサイトの目視距離の測定計算ですが、別の資料(世界の艦船731号 147頁)に、『レーダー目標探知距離』に関する記述があり、そのなかで R=1.23(√h1+√h2) と言う式が紹介されています。



 上記式で高さ30mのレーダーから見渡せる水平線までの距離は凡そ12カイリ(nm)しかないことが判ります。となれば、目視による距離が上記式よりさらに短くなることは言うまでもありません。

 個人的には“目視による目標探知距離”の算出に1.23に替え[ 0.922 ]と言う変数を用いており、これによりかなり実質値と近い値を得ることができています。

※以下この0.922を用いた結果を踏まえて説明しますので、疑問に思われる方は無視するか自分で調べてみてください。

 20キロと言えば、東京駅から南だと「川崎市」に、西なら「調布市」あたりまでの距離に相当します。障害物の無い洋上であっても、20キロの遠方を見わたすのは容易ではありません。海水温度が高ければ洋上の大気が揺らぎ、湿気が多ければ薄い霧状の水蒸気がひろく視界を遮るためです。

 大砲の射程がどれほどあっても、艦船による射撃は船の動揺により、遠くなればなるほど著しく低下し、まして水平線以遠の目標に発砲したところで命中する確立は極めてゼロに近いものでした。それゆえ戦艦や偵察を行なう巡洋艦には偵察および観測用の水上機が搭載されており、上空から着弾した砲弾の誤差を母艦へと無線で報告して射撃修正をおこなうことが通例とされていました。

 WWII中、最大射程での戦闘艦同士による海戦を行なった事例は意外と少なく、行なわれてもどちらか一方がその場から逃げたり、双方が接近戦へと移行するパターンがほとんどであったようです。
 駆逐艦の艦橋高さを15mとすると、目視できる水平線までは6.5nm(12km)ほどになり、当時駆逐艦が搭載していた127mm砲の射程が12km弱ほどでしたから、この砲に関しては目視範囲に関しては問題なかったようですね。

 一方、大和主砲の最大射程が42Km(約22.7nm)なので、逆にこの22.7nm離れた水平線を見ることのできる高度を探ってみると、高度190mで23nmを見渡せる……つまり、高度190mに観測機を飛ばすことにより、大和主砲の最大射程内の目標を捕捉できるということが判ります。

 
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この回答へのお礼

戦艦に水上機が搭載されていた理由が良くわかりました。

お礼日時:2005/04/01 10:02

間違えました。


大和型戦艦の高さは40mを超えてますね。
相手も同クラスと考えれば、有視界距離48kmですから、肉眼で見えますね。
あいてが20m以上の艦橋があれば、大和の最大射程で見えますから、飛行機で確認するまでも無いようです。

http://www.yuri.sakura.ne.jp/~right/equipment/jm …

こういった測距儀を使うのでしょう。
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戦艦の艦橋が高い位置にあったのは水平線に隠れる船影をなるべく遠くまで見通したいという理由からです。

例えば戦艦大和の艦橋は水面から約30m、水平線までの距離は約20kmで、戦艦大和の主砲の射程(42km)を確かに超えますが、同じく30mの艦橋を持つ戦艦の、その艦橋の上端(30m)であれば2倍の40km先まで視認できることになるので、最大射程のほとんどを目視で撃てるということになります(有効射程であれば目視可能域に十分入ります)。

また、実際にはこの時代の対地対艦レーダーは水平線の向こうは見えませんから、レーダー射撃を実用化していたアメリカ軍であっても、水平線の向こうの艦船への射撃が可能であったわけではありません。
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この回答へのお礼

監視塔じゃなく艦橋というのですか。よくわかりました。以外に低いところにあるものです。監視員は構造物の一番上にいると思っていました。目視できることが十分わかりました。

お礼日時:2005/04/01 09:58

レーダーがなければ、目視に頼るしかありませんが、それなりに水面より高い位置ならば


遠くまで見えるようです。太平洋戦争当時、旧日本海軍の駆逐艦の見張員は、夜間でも
月があれば、15キロ先の艦影を捉えたそうですから。大型艦ならもっと高い位置から
見張れるので、昼間だと20キロは十分見通せるものと思います。

でないとレーダー波が届かない、つまりレーダーに映らないことになりますよね?まさか
レーダーでたった20キロ先しか見えないってことはないでしょう?

また、大型艦は水上偵察機を積んでいるので、これを飛ばせば間に島が入ったりした場合
でも、弾着観測はできます。

もう少し前の時代、石炭炊ボイラーの艦船なら、気象条件によっては煙突から出る煙が
見えますよ。煙だけだと距離までは解らないかも知れませんが、敵艦の存在がわかった
だけでも全然違うはずです。
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この回答へのお礼

やっぱりあれほど高いところに監視塔を置いているのは理由があるというのがわかりました。レーダーは証明になります。

お礼日時:2005/04/01 09:40

近代海戦でも敵艦を視認して砲撃するのが普通でした。

 夜間でも照明弾かサーチライトで視認する方法をとりました。 それ以上距離があり直接視認が困難な場合は艦載水上機を発進して敵艦上空で着弾観測しました。
これにより射撃データを修正して命中を図ったのです。
ガダルカナル島沖の海戦では夜間なので戦艦比叡が探照灯で敵を照明し、目標を艦隊に示し、そのため集中砲火を浴びて損害をひとまとめに受ける犠牲艦の役目をはたしました。

また敵弾を避けるため煙幕をはり視認を避ける視認を妨げる方法も有効でした。

しかしレーダーの発達とその機能の進歩で視認が困難な夜間、遠距離でも正確な射撃が可能になり、第2次大戦末期のレイテ海戦では、夜間スリガオ海峡を通過中の西村艦隊はアメリカ戦艦群のレーダー射撃の初弾命中し応射する暇もなく撃沈されました。
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この回答へのお礼

水上機があったのですか。それでわかりました。

お礼日時:2005/04/01 09:36

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