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ドミニカ移住者訴訟というのがあるそうです。
http://www.dominica.jp/2suit_naiyou.html
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/doc …
大臣が陳謝し、一時金が出るようですが、
そもそも政府はどうしてドミニカ移住を振興したのでしょうか?
国民が減ったほうがよいという考えでしょうか?
国家の移民政策の方針を教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

高度成長以前の日本は、少子化が騒がれる今では想像もつきませんが「人が多すぎて困る」と認識されていました。



戦争で負けて外地から引揚げた人たちはその多くが貧困状態であり、かつ昭和20年から数年間のベビーブームで人口が激増していました。後から見ると「移民を送出しなくても高度成長で人口過剰は解消できた」のですが、そんなことは神でない以上分かりません。

当時は移民の送り出しが外務省の主要業務でした。移民送り出しに関係する特殊法人があり、外務省の天下り先となっていました。外務省は、移民が増えると自分たちの仕事が増え、天下り先も増えるので、その理由でも移民送出に励んでいました。

この頃の移民事情については、「外務省が消した日本人 南米移民の半世紀」http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30869284
に詳しいです。著者は東大卒業後に使命感に燃えて移民事業に身を投じ、自ら南米の奥地に行って外務省に騙された移民たちの苦難を知り、移民問題研究に一生を捧げた人です。描写される、アマゾンやパラグアイに移民した日本人の惨状は想像を絶するものです。

当時の日本は、日本移民を受け入れる国にはどこにでも移民を送ろうとしていました。たとえ、当時の日本よりさらに貧しい国の誰も住まない不毛の地(例:ドミニカ)であっても。送り出した移民がどんな目に遭っても、外務省や外郭団体の知ったことではありません。「自己責任」「移民先の人間になりきれ。日本を当てにするな」と突き放しました。貧しい移民は、日本に戻って訴訟を起こすことなどできるわけがありません。入植地で手持ち資金を使い果たした移民は多くが都市に流出して消息不明になりました。日本に帰ることは旅費がなく不可能ですし、日本には帰る家もありません。

実現しませんでしたが、カンボジアに移民を送る計画もあったと聞いています。1950年代のカンボジアが豊かであったと言う話は全く聞きません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
当時の日本、そして外務省にそんな事情があったとは知りませんでした。
当時の日本国民は、移住国の事情を詳しく知ることができなかったのですね。
官僚の言葉を真に受けるととんでもないことになりますね。
心に銘記したいと思います。
推薦の本、図書館にありましたので予約しました。

お礼日時:2006/07/26 21:26

No.1さんの回答がよくまとめられているのでこれ以上補足するようなことはないのですが、私の父のクラスメートが高校卒業と共にブラジルに移民したのだそうです。

そのクラスメートは渡航前、父に「ブラジルに行ったらパイナップルが腹いっぱい食えるんだぜ!」と夢を語ったそうで、それを聞いた父は「パイナップルが腹いっぱい食えるだなんて夢みたいだなあ」と思ったそうです。つまり、当時の日本はまだそれほど貧しかったんですね。

また移民したのはアメリカ方面ばかりではありません。建国間もない北朝鮮は国を支える人材が不足していました。一方、No.1さんも書いたとおり日本には人が多かったのです。ですので、在日朝鮮人(彼らは当時の貧しかった日本人よりさらに貧しかったのです)の多くがキムイルソンの誘いを受けて北朝鮮に渡りました。
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