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1979年から1988年までの10年間、
福岡にプロ野球球団がありませんでしたが、
その頃の心境ってどうだったのでしょうか?
福岡に球団がないという寂しさって感じてたのでしょうか?
話によると、ライオンズが西武になって所沢に
本拠地が移るとき、反対の声は殆ど聞かれなかったみたいですが
(少し前のダイエーホークスの身売りの話題があったときとは
大違い)、福岡の人は冷めた目で見てたのでしょうか?
因みに1990年当時、西武が日本シリーズに出場したとき、
福岡にダイエーホークスが出来て2年目でしたが、
小学校の男子の殆どが西武ファンでした。
ダイエーホークスを1年目から応援してた人は
そんなにいなかったような気がします。
それが1999年、初リーグ優勝、そして、初日本一に
なったときは、周囲がいつの間に・・・というぐらい
ホークスを応援してる人だらけになってました。
私見としては、福岡の場合、弱いチームを
応援する気はないけど、強いチームで地元球団なら
やっぱり応援するし、勝って欲しいと思う気性なのでしょうか?
因みに楽天を応援する仙台の人は弱くても熱心に応援してるから、
凄い感心します。
上にも書いたように初期のダイエーを応援してた人は
そんなにいなかったような気がします。
長くなりましたが、
福岡に球団のない10年は心境的にはどうだったのでしょうか?

A 回答 (4件)

私は生まれてからずっと福岡県に住んでいます。


小学校のときはプロ野球の存在を忘れていました。
マスコミで流れるものとしての存在で、遠いところの感覚です。
そのときは、パリーグは異質なものとしての差別感があった感じがします。ファミスタという野球ゲームでもパリーグをモチーフとしたチームは馬鹿にされていると、今でも感じます。
福岡にホークスができてファンになっても、試合の中継も少なく、マスコミもあまり取り上げませんでした。地元新聞すら注目していない感じでした。
「どこのファンか?」「ホークス!」「じゃあ、セリーグは?」という会話は必ずでしたし、おまけにマスコミの策略どおり読売ファンばかりでした。
それでも福岡市に行く時はなるべく平和台に行っていました。しかしパリーグに地域密着球団ができるとは信じられませんでした。
その後、札幌・仙台に球団ができて、福岡とともに3都市の球団で新時代ができた、マスコミも3球団を運命の同じ地域密着として大切な文化としたいという主義が段々芽生えています。プラス、読売主義への批判ですね。
今、プロ野球が下火といわれていますが、それはあくまで読売中心主義の終焉に過ぎないとしかいえません。プロ野球と地域文化の関係を全国マスコミがどう認識するかが今後の課題ですね。
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再入場失礼します。

今私は関東に住んでいますので、インボイス西武ドームに行ったこともありますが、武田鉄也もクラウン→西武へ譲渡するときに「所沢ってどこ?」って思ったと言っていましたが、私も同感でしたし、当時小学生か中学に上がったころだったので、まだ社会的な問題を充分理解できていなかったと思います。江川のごり押し入団、田淵の西武移籍などグラウンド外の衝撃的なことが多かったようには記憶していますし、福岡の人が長年愛したライオンズを失うことへの抵抗、失望などは当然あったということは覚えていますが、その意味合いなどは感情的な部分でしか理解できてなかったと思います。

ホークスが福岡に来たときは、10年球団がなかったので、思わぬ形で実現できたという感じですが、どちらかというと私は巨人を応援していたせいか、南海に対して敵対意識というのはあまりなかったと思います。そのころは、西武、近鉄、阪急(オリックス)が優勝争いをし、ロッテ、南海(ダイエー)、日本ハムは争いの外にいたという感じでしたので、ホークスに対しても正直あまり期待していなかったと思います。「今年は優勝するぞ」と言うファンがいたとして、最後は西武が持っていくだろうという諦めのようなものがあったので、形式的には応援しても心から応援してはいなかったと思います。福岡のファンはライオンズに戻って欲しかったと思う人は多かったと思うので、ダイエーの初期は対西武戦などは半分以上は西武ファンでしたが、歴史を積み重ねるにつれホークスのファンが増え、優勝してから完全に上回るようになったと思います。今の楽天、日ハムを見ていると、いろんな思惑があった分、最初からホークスに情熱を傾けるのは難しかっただろうし、楽天、日ハムファンの熱心さに感心する部分はありますね。
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移転当時は中学生くらいだったと思います。

球団がなくなった寂しさは感じていましたが、移転前の太平洋、クラウンの時代は成績的にも芳しくなく、また、巨人中心の放送であったこともあり、地元民でありながらライオンズに対してあまり強い思い入れはありませんでした。球団のない10年の間には福岡市の天神などで、球団誘致の署名活動などを行っていましたが、今更福岡にライオンズが戻るとは思っていませんでした。結局、'89年に福岡ダイエーホークスが創設されたわけですが、地元に球団ができたことは喜ばしいことですが、何かよその球団が来たという感じで、試合も見に行ったことはありますが、ホークスに対してはよそよそしさを感じながら応援していたという感じでした。おそらく、福岡のファンが心の底からホークスを応援するようになったのは、'99年の初優勝のころからではないでしょうか。質問者がおっしゃるように、初期の段階では仙台市民が弱くても楽天を応援しているのとは対称的で、何か義理で応援していたような感じでした。

でも、今思うと、空白の10年の間に署名運動をしたり、ホークスが来てからも最初はライオンズへの思いを持ちながらやっていた部分はあると思いますが、応援団の人などのがんばりがあったからこそ、今のホークスがあるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。仙台の場合と違う要因で
忘れていましたが、
楽天の場合は、近鉄とオリックスの合併問題がおこって、
結果的に仙台に新球団として楽天が出来た。
準本拠地でロッテが3年間、仙台にあったとはいえ、
”準”だし、最後の準本拠地の1977年から
かなり時間も経っている。
ダイエーホークスの場合は、もともと南海ホークスが
あって、球団譲渡して、本拠地も大阪から福岡に移った。
当然、ライオンズ時代は敵だった南海ホークスを
応援するということに幾ら10年の空白があったとしても、
抵抗感はあったということですね。
弱いチームに対して強い思い入れはない・・・、
そうですね。それを考えると、
ダイエーホークスが強くなったから、
球団身売りの話があったときに、
反対運動が大きくあったんですね。
それにライオンズの身売りという苦い経験の再来は
やはりよくないですからね。
ただ弱いままだったら、今のようになったか、
福岡の気質からいくと、また福岡時代の最後のライオンズのように
なった可能性も排除出来ないですね。
それを考えると、やはり仙台や札幌は強い弱い関係なく、
熱心ですね。
素晴らしいです。

お礼日時:2006/08/06 16:38

私は西鉄ライオンズファンでしたが、当時、かなりの反対運動はありましたよ。

しかし、西武に、所沢に行く事には、私自身は賛成派でした。一ファンとして、貧乏な球団よりも金持ち球団に移転したほうが、もっと~もっと強くなれると思ったからです。私は九州人ですが、今でも西武ファンです。九州では、巨人(テレビの関係)、西武、ソフトバンクの三球団のファンが三国志のような様相です。福岡では、ソフトバンクが多いですが……。稲尾、中西、豊田、仰木、高倉、大下、関口、玉造、それに監督の三原脩。いやあ~豪華な西鉄でしたよ。すみません、余談になり、空白の期間は別に気にはなりませんでしたよ。

この回答への補足

そうですか、気になりませんでしたか。
ダイエーホークスの身売りの件では相当、反対運動が
あったのですが、西武への身売りのときは
必ずしもそうではなかったのですね(金持ち球団・・・の件等)。
ということはホークス身売りの反対の要因は当然ですが、
本拠地が福岡でなくなってしまう懸念が一番だったのでしょうが、
ライオンズの本拠地が福岡から所沢に移ったことに対する
感情とかはどうでしたか。
自分は当時、生まれてなかったので、生では知りませんが、
今考えてみると、あまりいい気分はしないですね。
また、本拠地が福岡から離れて強くなったというのも、
例えが変ですが、昔、付き合ってた恋人が別れて、
目が出て、活躍して・・・、自分はうだつが上がらない・・・
みたいな感覚を持ちます。
話が戻りますが、本拠地のこだわりはその当時は
なかったということですか?

補足日時:2006/08/06 15:05
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