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タイで軍事クーデターが起きました。
大変なことになったな、と心配していましたが、
意外や意外、バンコクは平穏らしいです。
日本なら驚天動地なのですが、
どうしてタイ人は平気なのでしょうか?
もしかして、クーデター慣れですか?

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

やっぱりプミポン国王が最高権力者であり、クーデターと言っても軍もプミポン国王には恭順する意思を示していたからだと思います。

(戦車の砲塔に黄色いハンカチをつけていました。黄色は国王の色で、国王への恭順を示していたそうです。)
私がタイに行った時、レストランには、プミポン国王ご夫妻の肖像画が飾ってありました。国民からあれほど日常的に敬愛されている王室は、規模の大きな国の中ではそうはないと思います。

前回のクーデターは、国王が止めなさいと言ったので軍と政府が国王の前にひざまずきクーデターが収まったそうです。

タイ国民も、最後には国王が助けてくれることを知っているから安心だったのだと思います。
国民から首相への反感も相当高かったそうですから。
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●タイのクーデターで、町が平穏なのは、



政権交代の通常の形だからです。 

予め、政権交代が起る時には、事前にシナリオが作られています。 外遊中にクーデター、そして政権交代。 タクシン首相は海外に資産を持っており、余生をそこ(今回はロンドン)で過ごします。 

軍は政治の世界には介入せず、国王と議会が相談して、連立政権を樹立することになるでしょう。 これが現実を重視するタイのやり方です。 隣国のミヤンマー(旧ビルマ)やベトナムが軍や共産党の独裁であるのに比べると、タイは異色の存在です。 

19世紀の欧米の帝国主義的な動きにも惑わされず、独立を保ったのも、こうした現実重視の考え方に根ざした政治が定着しているからです。  昔、ユル・ブリンナー主演の映画『王様と私』は、1851-1868年の間、シャム王に君臨したラーマ王と明治天皇のイメージをミックスした王様だといわれています。  

写真で見る、ラーマ王は優しい風貌です。 明治天皇のきりっとした強さは、欧米の人には魅力的な君主と写ったのでしょう。

参考URL:http://meratimari21.hp.infoseek.co.jp/break03.htm
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ただ単に国民も政府が武力で抵抗することができないと分かっているからではないでしょうか。


国民も今回のクーデターに納得しているのでしょう。
また、タイは国王の権力は絶対ですので、大事になった場合、国王の一言で治まるのを分かっているのかも。
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タクシン首相らへの政治不信が高まりに高っている状態でクーデターが起き、現政府側もほとんど抵抗はなかった(つまり与党政権内にも不信の高まりがあったか、それを認めざるを得ない状況があったとも考えられます)ため混乱なくクーデターが成立したという感じのようです。


また、1932年の革命以降20回以上のクーデターが起こっているとの事なので、その辺りの影響もそれなりにあるのでしょう。
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騒いでいるのは日本人だけでしょ。



例えば、日本の首相が、金正日でそれを軍部が追い出しても誰も騒がないでしょ?
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