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新撰組の軍中法度の中に

一、敵、味方の強弱を比べてはならない。奇矯、妖怪、不思議についても語ってはならない。

とあるのですが、後半部分の「妖怪」のくだりについて
気になりました。

どなたか、この法度ができた理由、時期、資料などありましたら
どうか教えていただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします

A 回答 (6件)

自称「妖怪研究家」です。


 さて「妖怪」の概念ですが、現代と当時では異なります。現在、妖怪というと一つ目小僧とか傘化け、河童などの総称ですが、当時はこれらの存在は「ばけもの(化物)」の呼称が一般的でした。つまりキャラクターとして図像化・固定化した存在であり、作中の存在でもあります。
 対して「妖怪」は“あやしいコト”を差します。つまり、実際に起きた、起こったとされる怪異や不思議な現象、またはその原因として想定される存在です。その範疇のなかに化物もいますが、前述したようなキャラクターとしての化物ではなく、語り継がれている、つまり名前や伝承は存在するが姿無き“モノ”です。

 明治時代に「おばけ博士」の異名を持った哲学者の井上円了は、全国各地の妖怪を調査、その正体を解明することで哲学的啓蒙を行おうとしたのですが、そこでいう妖怪は蜃気楼とか「カラスが鳴くと人が死ぬ」、コックリさんなどの、自然現象・迷信俗信などで、いわゆる化物ではありません(円了にとっては物語の化物はフィクションの存在だから批判・解明の対象では無かったのでしょう。円了は妖怪の大半はトリックや見間違い、自然現象であり、本物の妖怪は現段階の科学では解明できない現象で、それを解明するための学究を啓蒙します)。
“「妖怪」が江戸期でいう「化物」を意味し、同時に民俗学的な伝承を含む存在とされるようになるのは、水木しげる御大の業績でしょう”

 ですから妖怪といっても、現代人の考える妖怪ではなく、現代感覚でいうと超常現象や心霊現象に近いニュアンスでしょう。

参考
『日本妖怪学大全』(小学館:小松和彦編)
『怪異学の技法』(臨川書店:東アジア恠異学会編)
『江戸の妖怪革命』(河出書房:香川雅信)
『異界談義』(角川書店:小松和彦・京極夏彦ほか)
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。
小松さんの本、いくつか読んでまして個人的に好みです。

さて、妖怪の定義ですが、私もここでの妖怪は
水木しげる的な妖怪ではなく
幽霊、霊的な方に近いと考えています。

やはり、新撰組の中で怪しい噂の原因に
彼らがおこなってきた人をあやめる、という行為が
少なからず関係していたのでしょうか?

お礼日時:2006/10/19 22:23

No.5です。

司馬遼太郎さんは、歴史小説家ですので、創作も明らかにされていない部分は話をつなげるためにしていると思います。しかし、小説を書くために何度も現地へ取材されていて、小説を読み進める中でご自身の史観や伏見奉行所は住宅街に変わっている(取材当時)等も語っています。
新撰組の死者の数は多くは法度違反と言われています。
私は、京都の壬生に行った折り八木邸へ行きました。初代局長の芹沢鴨暗殺の時といわれている刀傷がみられます。
また隣は、壬生寺です。壬生寺では近藤勇の首塚以外に、切腹した隊士達の墓があります。
壬生寺には、「身代わり御守」と言うのがあり手に入れました。この御守りには由来があり南北朝時代の「太平記」の霊験談が由来であると書かれています。
この話は隊士達の知ることとなったのではないでしょうか。また当時の暗殺や切腹などと結びつけられたということも否定できないもののように思います。
司馬遼太郎氏も取材を実際にされていたことから作話だったと言い切れないでしょうね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます
とても参考になりました!

太平記の霊験談というのは気になりますね
どんな内容だったのでしょうか
調べてみようと思います

お礼日時:2006/10/24 21:19

司馬遼太郎の「燃えよ剣」か「新撰組血風録」(たぶん前著だったと思います)に壬生に屯所を置いていた頃、墓場に幽霊が出ると隊士の噂になり、噂の墓場に退治すると土方歳三が幽霊が出るのを待ったが結局出てこなかったという話があります。


局中法度も軍中法度も土方歳三が作ったものからも新撰組の組織管理を担っていた歳三が隊を乱すということで文言を設けたのであると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

質問があるのですが
そのお話は、司馬先生の創作なのでしょうか?
調べて見ると、似たような話が「新選組の哲学」
という本の中でありましたが、こちらは創作のようです

http://blogs.dion.ne.jp/kon/archives/1587797.html

お礼日時:2006/10/20 22:07

新撰組が内ゲバで粛正した芹沢鴨ら水戸藩出身者らは


尊皇攘夷の過激派「水戸天狗党」の関係者であったそうなので、
「妖怪」とは「天狗」のことかも?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

水戸天狗党というのは、初めてききました
しかし、軍中法度は禁門の変のあとに
できたものらしいので
芹沢さんとは、直接関係はないかもしれまんね

ただ、死んだ芹沢さんが天狗(幽霊?)になって
どうこう、ということなら、ありえるかもしれませんね

お礼日時:2006/10/20 17:10

儒教的な理由もあるかもしれないと思いました。



新撰組の近藤勇は小島鹿之助為政という人物と交流をもち、
彼から儒学などを学んでいたそうです。

孔子の言葉で「子は怪力乱神を語らず」というものがありますが、これに倣ったのかな、と考えました。

あくまで私の想像ですので、あまりお気になさらないでください。
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この回答へのお礼

孔子は怪談だとかを話すべきではない、と考えていたそうですね。
しかし、下の方の参考リンクによれば、あくまでこの妖怪のくだりは
後から付け足されたものだとされてます。

とすれば、後に何らかの事件なり出来事があって
新しく法度ができたのかもしれませんね

回答、どうもありがとうございました

お礼日時:2006/10/19 17:41

新撰組の隊士の間で、怪談がはやっていたのでは、という説ですか。


クールな人斬り集団のようですが、やはりどこか後ろめたいとこが
あったのかも知れませんね。自分が斬った男が化けてでた!とか???
リンク貼っておきます。

参考URL:http://blog.livedoor.jp/egoist777/archives/50721 …
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この回答へのお礼

なるほど。法度ができるということは、何らかの支障がでるまで噂が広まっていたのかもしれませんね。
回答どうもありがとうございました。リンクも参考にさせていただきます。

お礼日時:2006/10/19 17:38

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