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横浜中華街の関帝廟のことなんですけどあれって三国志や関羽の事を知らない人でも行くのですか?
知らない人はそれを何だと思って行っているのでしょう?
せっかく横浜中華街に来たからにはついでに見ていかないとという感じでしょうか?
というかもしかして横浜中華街のメインが関帝廟なのでしょうか?
関帝廟にはどのくらいの人が訪れていますか?
にぎわっていますか?

A 回答 (5件)

横浜生まれの横浜育ちで、中華街まで車で10分のとこに住んでました。


関帝廟に何度か行った事ありますが、三国志のこと、知りませんでした。親とかも知らなかったですね。地元の友達も、みんな知りませんでした。
中華街のメインではないと思いますが、近くを通ったらお参りするって感じです。
地方の人を案内するときも、関帝廟へは連れて行ってないですね。。。
普段はわりと空いてます。あんまり人いないですが、旧正月とかは混んでますよ~。
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1)関帝廟には三国志や関羽の事を知らない人でも行く?


 雑誌に必ず紹介されているので、名所として行く人は多いです。
2)知らない人はそれを何だと思って行っている?
 それは人それぞれでしょう。三国志を知っていてもあの関羽とは結びつかない人、「三国志」のタイトルしか知らず、道教も知らず、ただ中国の神様でそのお寺だと思ってお参りしているだけの人もいます。
3)横浜中華街のメインが関帝廟なの?
 観光客にとっての「メインの目的地」という意味でしたら違います。
 中国ファンでも横浜在住でもない多くの人にとって、横浜中華街の認識は「首都圏に一番近くて中華料理や中国雑貨を楽しめるところ」です。関帝廟はあくまで食事と買い物以外に観光するつもりがある人が行くところ、でしょう。
4)関帝廟にはどのくらいの人が訪れていますか?
 元旦と旧暦1月1日の春節祭、旧暦6月24日関帝誕の時はイベントが色々ありますからかなりの人出ですが、平日はツアー客が目立つ程度です。
 時折三国志マニアという感じの若い人が騒いでいる事はありますが…

参考URL:http://www.yokohama-kanteibyo.com/index.html
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横浜中華街に限らず、海外でも関帝廟にはお参りしますが、三国志と結びつけて考えたことはなかったです。

知識としては知っていますが、まぁ漠然と「神様」って感じです。
きれいな異国情緒漂う廟を見て、外国のしきたりを真似てお線香をあげて、ちょっと面白いおみくじを引いて、って感覚ですかね。
横浜中華街のメインは食べ物だと思うので、関帝廟はスパイス的な存在ではないかと思います。500円ですが入場料もかかるし、台湾の龍山寺などに比べれば決して「にぎわってる」という感じではありません。

日本人が信仰をイベント化してるのは関帝廟に限らず、菅原道真公の生涯について詳しく知らなくても太宰府のお守りを買ったり、浅草寺に何が祭られてるか知らなくても観光したり、クリスチャンでなくても教会で式を挙げたがったり・・・そういうのはたくさんありますよね。
大体、ほとんどの人は仏教式のお葬式をあげてるけど、仏陀の詳しい生涯なんてほとんどの人が知らないし。
私も含め、日本人ってそんなもんだと思います。
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寿亭侯関羽は帝王の位についたことはありません。

それにも拘わらず何処にでも祀られるようになったのはその生涯を貫いた義に厚い行動規範でした。寿亭侯というのは曹操が自分の手許に置いておきたいばかりに漢の献帝に奏上して与えた官位ですが、劉備玄徳の居所が分かるとその印綬を残して劉備の許に走りました。そんな心意気が中国人の琴線を刺戟したのでしょう。三国志では一番人気のあるキャラクターになり、なりもしない帝王の称号までつけられたのです。日本ではちょうど菅原道真や八幡太郎義家を二人合わせたような存在ですね。二人は天神様と八幡様になっていますよね。だから三国志の話とは関わりなく、参拝者が跡を絶たないのです。
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関羽は中国の人(中国系華僑の人を含む)にとって「商売」の神様です。


交渉ごとの達人、大胆な発想と決断のイメージでそうなっています。
実際は豪腕でカリスマ性があって自分の戦闘力と自軍の統率力は抜群に高かったようですが、最後はプライドが高すぎてうぬぼれで自滅した感じで、決して交渉ごとや頭を使うことに長けた人ではなかったようです。
交渉ごとの達人、大胆な発想と決断というのは本来戦国時代の縦横家(蘇秦、張儀)のイメージです。ただ彼らは関羽ほど有名ではないので、いつのまにかイメージ的に彼らに成り変ってしまったと考えられます。

ちなみに中国の京劇での一番の人気キャラは張飛、魯智深(水滸伝)、鯨布(項羽と劉邦)といった強面怪力無双タイプの人たちです。これに対して文武両道のイメージで関羽の人気が高まっていったと考えられます。

これらは私の持論でなくて、大学の一般教養課程の授業で聞いた話です。
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