私自身の死後のことをまとめ、遺言を残そうと思っています。
一応両親が仏教徒であり、曹洞宗の寺に墓もあります(父が生前に購入)。私自身長男でもあり、自分の死後はそこに納骨されることでしょう。
けれど自分自身「信仰心」といえるほどのものはなく(お彼岸に墓参りに行く程度ですが、これは両親の遺骨を前にして思いをはせる、といった意味あいです)、仏教式の意味もわからぬ大仰な葬儀が、好きではありません。またその菩提寺の住職の、法要の折の法話など聞いても説得力がなく「有難さ」も感じられず、そのうえ字も下手で、その住職に戒名などつけてもらいたくなく、塔婆も書いてほしくありません。(別に嫌っているわけではなく、若いゆえに教養も人生経験もそれなりでしかなく、有難味が感じられない、という程度ですが。)
そこで葬儀は、自宅で無宗教、好きな音楽をながして偲ぶ会風に…と考えていますが、問題は納骨です。菩提寺に葬儀をお願いせず、納骨の折の法要も不要で、その墓に埋葬だけ、というのは可能でしょうか?
また、「可能」であればという前提ですが、この自分の勝手な願いで、残されたもの(家内、娘?)が取り込みのさなかにお寺と剣呑なやり取りをさせたくもありません。生きているうちに自分自身でお寺に話をし、お願いをしておきたいとも思います。カドが立たない切り出しかたについてもアドヴァイス賜れば幸いです。
A 回答 (10件)
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No.10
- 回答日時:
質問の定義に大きな間違いが存在しているように見受けられます。
先ず、親から、祭祀の継承を引き継いだ件 ←此れは、言うなればその宗派とそこの土地柄(寺も)のしきたりを引き継いだと言う事だと思います。
古来からの寺には、とくに檀家(宗門に依り呼び方は異なる)が守るべく規約は記されては居無くとも、暗黙のしきたりとして営々と守られて来ています。(何らかの・クラブとか、会の会則のように)
ですから、その会則を守れない(人)なら、仲間とは認められない事に成ります。
墓の購入について、永代使用料だと勘違いされる方が多いようですが、民間の墓地ではそうした形式での販売も有りますが(核家族で、継承者が居ない)寺院墓地(各家の墓)では下に書いたように「一括払いの賃貸料」で、規約(暗黙の)借受ているのが実情です。
第一に寺の運営する墓地は購入出来る性質の物では有りません。
飽くまでも、賃借権(一括賃貸料)を払って借りて居る訳なので、規約(しきたり)に反する場合その資格は外されても異議は申し立てられ無い(裁判で争っても)
-------
一般的な考え方(詰まり、規約その物)として、宗門の会員は、その宗門の規律(規約)に従う、従って、葬儀万端を所属する寺の規律に従う、戒名をはじめとして、葬儀もそこの寺のしきたりで行い、(49-100カ日)と各年忌と寺施餓鬼等の行事にも参加する。護持会費も檀家の勤め。
---
以上が一般的(暗黙の常識)な寺との関係です。
従って、その寺にて葬式をあげ無いのであれば、別な(所へ)方法で埋葬を考える冪だと一般的には考えられると思います。
親の墓は、其の侭次の代の子供達が(祖父母の墓として)継承して行けば問題無いと思います。
---------
実は、私自身も、親の墓は墓として存続させて、私自身は無宗教で民営の墓地(宗教は問わない為葬式さえ不要)へ入ろうかと思っています。
No.9
- 回答日時:
おわかりになったでしょう。
寺側の都合でしか考えることの出来ないお坊さんばかりだということが。たしかに、ご質問からは「仏教の、葬儀のことを何もわかっていないで好き勝手なことを言ってる」と受取ってしまうお坊さんがほとんどでしょう。
しかし、無宗教と自称されてはいますが貴方の場合、単に仏教との縁が薄かっただけで、確実に仏縁があるように思われてなりません。そのような方に、いかに仏縁を強く結べるかが僧侶の役目と心得ているつもりですが、自坊の檀家に寺側のやり方を押し付けることしか考えていないお坊さんに回答を求めても残念ながら仏縁は薄くなる一方です。
そもそも浄土真宗の“法名”と、他宗の“戒名”とはまったく別物ですので同列に扱ってはなりません。
また、
>ご住職の立場や、(希薄とはいえ)共同体としての檀家の方々への配慮をおこたり、金銭の問題にすりかえてまで可能性を考えた自分に、愧じ入るばかりです。
とありますが、必要なのは寺側の都合を考えさせられることではなく、菩提寺のことを“思いやれるようにしてもらう”ことなんです。本末転倒してはなりません。
さらにまた、
>葬儀・戒名は不要ですが、それに見合うお布施をお支払いし、その後も今と同様、檀家として維持管理費をお払いする、ということであれば、墓に入れてもらえそうにも思うのですが、どうでしょうか…。
についてですが、「それならばイイですよ」と、態度を変えるお坊さんが多いことも事実です。
そしてさらに、当山の墓地内に戒名の無い霊が仮に埋葬されたとしても、他家にとやかく言わせることはけしてありませんし、当山にはそのようなことを言う檀家は一人もおりません。
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
「可能性は皆無である」とお考えなのかと思いましたが、やはり、なかなかの人格者とお見受けしました。その上で述べさせていただきます。
当方も事情があって、大学に通いながら二十歳のときに都内の寺の住職になりました。何もわからず、まったくの手探り状態でしたので檀信徒たちにとってもさぞや頼りない住職だったはずです。
しかし、誰一人文句を言う者は無く「ご住職、ご住職」と立てては一生懸命育ててくれました。あれから何十年も経ちましたが、私が偉かったのではなく必死になって取り組む、若い、純粋な僧侶を何とか育てていこうとする檀信徒たちが偉かったのだなとつくづく思います。
貴方の菩提寺住職もきっと当方と同じなのでしょう。一般社会から急に呼び戻され、何がなんだかわからない状態でも、Eメールマガジンを試み、法話集から覚えたての話をし・・・
なかなかいい住職だと感じます。
人格者と見込んでお頼みします。
その住職をなんとか一人前に育ててやってください。至らない点が多々あるとは存じますが、まだまだこれからの人間です。どうかまっすぐ、既存の忌み嫌われる仏教者のようにはならないように見守ってやってください。
貴殿ほどの方ですから葬儀の意味や戒名を付ける意味を知れば合点もいくはずです。葬儀も戒名も本人のためではなく遺族のためにあるのです。通夜葬儀、法事、戒名等を通して遺族がその死を受け入れ、そして生きる力に変えていくためにあるのです。もうお気づきになったでしょう。
きっと「あ、この住職に拝んでもらおう」と思えるような僧侶になることでしょう。
沙門 boronboron 敬白
この回答への補足
沙門 boronboron 様
先日、「お礼」の折に書かせていただいた法要を営みました。
かなり早くからお寺さんと打ち合わせて日取りを決め、10日ほど前に法要のあとはお食事でも…とお誘いしましたが「いやいやお気遣いなく」とやんわり辞退され、当日も、再度お声がけをしましたが固辞されてしまいました。
当日本堂はあとに法要が入っている気配はありませんでしたが、何かのご用事があったのかもしれません。まことに残念でした。
久しぶりにお目にかかった住職は、短髪に白も混じり、先住さんの急逝によって呼び戻された頃に較べれば、それなりに貫禄も出てきた風情です。
とはいえ法話もなく、法要のあとさきに、世間話をするわけでもなく、なにやら深いコミュニケーションを望んでおられない雰囲気を感じてしまいました。
(当家も親戚も檀家であり、春秋のお参りの折には挨拶を交わし、維持会費は納め、諍いは皆無ですので、ことさら当方に非あって避けられているとは思えません。)
沙門師の「一人前に育ててやって…」というお言葉は、あれ以来「通奏低音」のようにひっかかっておりました。師のおっしゃる「人格者」とは似ても似つかぬものですが、自分自身の幕の引き方とも関わるだけに、この機会を心待ちにしていたのも事実でした。
お彼岸の折はご多忙であろうし、次の法要(三十三回忌)は遠すぎます。特別の機会を選ばず、普段のお時間のある折にお酒でもお誘いして…とも考えておりますが、それにしたところでご住職には身構えてしまわれそうで、うーん、難しいですねえ。
以上、一応ご報告まで。
それにつけても、このように菩提寺との関わりようを考える機会を与えてくださった。重ね重ねお礼申し上げます。
再度の投稿、心より御礼申し上げます。
「前置き」を拝読し、揺り戻され、揺さぶられ、試される思いです。
>なかなかいい住職だと感じます。
なるほど、言われればそうですねえ。
なんとなく、自分の死に際しては、お年上の老師(別に名刹である必要はなく、山寺でもかまわない、役者でいえば笠智衆のような…)に送ってもらいたいど夢想していましたが、自分がよほど若死にでもしなければ、送るものは年下となるのは必定ですしね。
愚生は「人格者」でも何でもありませんが、4月には両親の二十七回忌の法要を営みますので、そのおりには食事にお誘いし、戒名のことなど、まずはカドの立たぬ話題からでも、話をしてみたいと思います。
(結果はここで、報告させてください。)
感謝に耐えません。
No.8
- 回答日時:
>葬儀・戒名は不要ですが、それに見合うお布施をお支払いし、
>その後も今と同様、檀家として維持管理費をお払いする、
>ということであれば、墓に入れてもらえそうにも思うのです
>が、どうでしょうか…。
難しいところです。墓に、故人の俗名も何も書いていないのなら可能性はあるかもしれません。しかし、俗名だけしか書いていない状態なら、他の檀家から、(例えば)檀家に戒名も付けなかったのかと言われかねません。
寺院墓地は、当該寺院の仏弟子として戒名を付け、当該寺院の仏弟子であるから埋葬可能なのです。その寺院に帰属しているから埋葬できるので、他の宗教に属していたり無宗教だというのは認められないことです。ですから儀式法要も当該寺院でしか行えません。
本来は、当該寺院のご教化もあって檀家さんは真にその教えに頷いて、その寺院(広くは宗派)に帰属しているのがあるべき姿ですので、あるべき姿にしない相談は金銭的な側面だけ形だけ協力することで妥協できないのが普通のように思います。
なお、若輩の住職を一人前に育てるのはある意味檀家の責務でもあるのです。住職は檀家によって育てられます。檀家に刺激されて精進すると言うことは通常良くあることです。10年後はかなり変わってくるものです。檀家も住職も共に学び共に成長するものですよ。
合掌
>俗名だけしか書いていない状態なら、他の檀家から、(例えば)檀家に戒名も付けなかったのかと言われかねません。
>あるべき姿にしない相談は金銭的な側面だけ形だけ協力することで妥協できないのが普通のように思います。
よく理解できました。私自身、別に病いを得ているわけでもないのですが、身辺整理をするうちに死後のことに思いを馳せ、最近あった身近の葬儀のことなど思い浮かべつつ、「意味のわからぬ形式のみの葬儀は会葬者にも迷惑」「あの華美な霊柩車で運ばれたくない」「しんみりと且つ和やかに友人たちが集う会になれば…」と思うあまり、性急になり、周りが見えなくなっていたようです。
ご住職の立場や、(希薄とはいえ)共同体としての檀家の方々への配慮をおこたり、金銭の問題にすりかえてまで可能性を考えた自分に、愧じ入るばかりです。
>なお、若輩の住職を一人前に育てるのはある意味檀家の責務でもあるのです。住職は檀家によって育てられます。檀家に刺激されて精進すると言うことは通常良くあることです。10年後はかなり変わってくるものです。檀家も住職も共に学び共に成長するものですよ。
そうですね! 住職と「教え、教えられ」の関係になり、信頼関係が醸成できれば良いですねえ。
寺が共同体の要となっている地方とは違い、都会の寺ではたしてそのような関係が作れるか難しいところですが、それこそ時間がありますから、「10年先」を見据えて考えたいと思います。
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
No.1です。
失礼しました。家は田舎なので、近くに共同墓地があり、お寺は隣町にあるので葬儀とお彼岸にはお経を上げにきます。そうぎには40万円ほど(脇士1名)払いました。あなたのお寺さんほどでは無いにしろ、報道では坊さんの中には風俗店を経営したり、私の弟の同級生の坊さんは、「探すときは、ゴルフ場か飲み屋」などと言う人も。1昨年、報道された事件では、過去帳の添え書きに、「超貧乏」とか「お布施少ない」などと書いた住職もいました。ここに書いていただいた方は真面目な方でありがたいですね。管理費みたいなのは、皆払っているんですかね?。お米か500円くらいは毎年出していたような。お墓を立てるときには多額の権利料を払っているので好きに使えるんじゃないのかな。不勉強ですみません。私も参考になりました。宗教というのは、死んでからしか価値?がないんですかね。>ここに書いていただいた方は真面目な方でありがたいですね。
そうですねえ! 私もそう思いつつ読ませていただいております。
愚生の質問に頂戴する回答を読み、それに対する「お礼」を書くことが、こんなに理解を深めることにつながるとは、思いも寄らぬことでした。
菩提寺の住職については、jiromeijinさんのおっしゃるような「破戒坊主」ではありません。ただただ人生経験が少ない、というだけです。(彼の名誉のために申し添えます。)
No.6
- 回答日時:
なるほど・・・
檀家教育(教化)のまったく為っていない菩提寺ですね。
>仏教式の意味もわからぬ大仰な葬儀が、好きではありません。
好きな人はいません。意味を知らないのならなおさらです。
さて、本題に入ります。
文調から、見識のあるご立派な方とお見受けしたので、あえて法律的なことを除いて述べさせていただきます。
>住職の、法要の折の法話など聞いても説得力がなく「有難さ」も感じられず、そのうえ字も下手で、その住職に戒名などつけてもらいたくなく、塔婆も書いてほしくありません。(別に嫌っているわけではなく、若いゆえに教養も人生経験もそれなりでしかなく、有難味が感じられない、という程度ですが。)
これはつまり「住職しだいでは葬儀を依頼する可能性もある」ということでしょうか?
ならば仰るとおりその住職に思いの丈をブツケテみましょう。カドが立つ立たないを考えずに。遠慮することはありません。菩提寺には檀家を納得(教化)させる義務があります。
「可能性は皆無である」のならば、よほど理解のある住職か完全に無責任な住職でない限り、残された方たちは確実にお寺と剣呑なやり取りをすることになります。
>お彼岸に墓参りに行く程度ですが、これは両親の遺骨を前にして思いをはせる、といった意味あいです
>お骨は両親の骨壷のある菩提寺の墓に入りたいと思っています。
>散骨などではなく、何らかの偲ぶ象徴(場所)があったほうが遺族に便利。
>両親の近くに戻る思いがする(もちろん生前の、今の思いですが)
これらは立派な“信仰心”のあらわれです。
合 掌
拝読して、最後のくだりで目頭が熱くなってしまいました。「あ、そうなんだ、これが信仰ということなのか」と目を開かれる思いです。
今の今まで「可能性は皆無である」と思っておりましたが、住職に思いの丈をぶつけ話をする過程で、仏門に理解が生まれて帰依する可能性もあるかもしれない、と思えてきました。
とはいえ、先の住職が早逝されたため呼び戻された若い住職(30代)です。Eメールマガジンなど試みられ「お、やるな」と思わせてくれたこともありましたが、いつしか中絶。また先にも書きましたが、回忌法要のあとのお話も、「法話集」(そんなものがあるか知りませんが)から覚えたばかりのような生硬さです。どこまで私を教化してくださるのか、一抹の不安があります。
逆に、切れて「あ、それならどうぞご自由になさってください。ただし今の墓所も返してください」などということになりはすまいか…。
切り出す決心が今はつきません。
No.5
- 回答日時:
曹洞宗の僧侶です。
一般的にいって、菩提寺があり、その境内にある家代々のお墓に入るという前提であれば、菩提寺の住職による葬儀は避けられないと思います。
どうしても現在のお寺さんが嫌であれば、離壇して「有難味のある」お寺さんを探されてはどうでしょうか。
ご提言、ありがとうございます。
「お寺さん」が嫌、というより、「信仰心もないのに仏教の葬儀をされる」ことの、いってみれば「欺瞞」が嫌なのです。宗教とは無縁に出生したように、還るときも無になって迎えたいと思う、自分の問題なのです。
若い住職のことなど書いてしまったため、sgm様にはお手間をかけてしまいました。自分の文章を読み返し、問題を転嫁していると反省しました。
No.4
- 回答日時:
坊さんです。
基本的には納骨できないのが通例です。
墓地使用規程や檀信徒規約とか名称は様々ですが、墓地を使用する檀家との契約関係になっている(明文化されていなくても慣習法としてもそうなっています)のが通常です。
なお、檀家で無いといわば檀家共有の寺院境内地の墓地は使用できないので檀家のはずです。
また、葬儀・法要等の御布施は檀家が寺院の維持費を負担する仕組みでもあるので、毎年の寺院支出から逆算して檀家負担を決めているはずですので、ご貴殿が負担しない分他の方が負担するか、不足分を檀家に寄付依頼するかです。
極論を言えば、墓地使用者の全員がご質問者さんと同じ対応をすれば、結局、その金額分の寄付依頼で必要な支出に見合う寺院収入を皆で出し合うか、赤字で廃寺(宗教法人の解散、お墓の撤去)になるだけです。
お寺の維持管理は町内会館の維持管理と同じ会計の仕組みです。ただ、毎月の会費ではなく、葬儀や法事で負担し合う仕組みなだけです。
住職は、その寺院(宗教法人)からの給与所得者なので痛くもかゆくもありませんが、僧侶としてではなくその寺院の運営を檀家からゆだねられた管理者として寺院運営の意向は伝えることになります。その寺院(宗教法人)自体の収入が減れば、その分が結局その寺院の構成員であるご質問者さんを含めた檀家全員に跳ね返ります。したがって、他の檀家から不平が出ると共にそのような方を同じ寺院維持管理団体の構成員とはしておけないと離壇処分にするように声が出ることは間違いありません。離壇処分になれば、墓を撤去し、且つ更地に戻しての原状回復ですから相当な出費になります。
寺はお店ではありません。ただ、そこの構成員になるか離れるかは自由であります(しかし、これも会員制クラブ的檀家合意の運営ですので無条件で自由ではありません)。
ご参考まで。合掌
寺院の経営的な側面は、思いも寄らぬことでした。ご教示ありがとうございます。
さしたる信仰もないのに仏教の葬儀を行い、自分のことを良く知らない住職に戒名をつけられる、このことがどうにも自分で得心できないのです。
葬儀・戒名は不要ですが、それに見合うお布施をお支払いし、その後も今と同様、檀家として維持管理費をお払いする、ということであれば、墓に入れてもらえそうにも思うのですが、どうでしょうか…。
No.3
- 回答日時:
下記の様な葬儀に参列したことがあります。
参考に葬儀には僧侶もお経もありません。友人の送別(偲ぶ)の言葉だけです。
お骨は斎場の共同墓地に祀られました。(斎場でお骨は不要と言えばしてくれます)
経験を聞かせていただいて、ありがとう。
おっしゃるような葬儀をしてもらいたいと思っています。
ただ、お骨は両親の骨壷のある菩提寺の墓に入りたいと思っています。
理由:1 散骨などではなく、何らかの偲ぶ象徴(場所)があったほうが遺族に便利。
理由:2 両親の近くに戻る思いがする(もちろん生前の、今の思いですが)
理由:3 余計な経費がかからない(共同墓地といえど、かかるでしょうし、既得の権利-入れる墓がある-を手放すのも困ります。)
No.1
- 回答日時:
お墓があるということは、お墓を作った時点で「永代使用料」を支払ってあるというのが、普通の考え方です。
なので、仮にあなたが亡くなっても、寺に知らせなければ分かりません。連れ合い様には、納骨扉の開け方(一般的に、扉の上部にばね式の留め金があり、ものさし状の薄い板を差し込んで、どちらかにスライドさせれば、開きます)を教えておくだけでいいと思われます。戒名(法名等)を付けてもらえば、また、お金がかかるので、自分の好きな字をご先祖様に倣ってつければいいでしょう。墓誌があれば、こちらでは新聞のお悔やみ欄に葬儀の日程や喪主等を載せて弔問に来てもらっています。それを見た墓石店から墓誌への戒名記入案内が来ます。1回2~3万円位だったかな。早々とアドヴァイスありがとうございます。
墓はさほど大きくない寺の一角にあり、住職に知らせないままに葬儀を終え、ある日突然に墓所を開けて納骨…。物理的には可能であっても、おそらく判るでしょうし、となるとご住職にとってはかなり不愉快だと思います。また、こそこそ人目をしのんで、というような感じもあり、残された遺族にも、これはちょっとやらせるのが辛いですねえ。
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