プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ブルースはアメリカ南部で始まりましたよね。
そして、それが世界大戦や朝鮮戦争などの戦争によって北へと広まっていきました。あるサイトでは、それからN.Y.へ広がりイギリスへ渡ったと書いてありました。

そのような広がりの中で、ブルースも少しずつ変化していったのではないかと思っています。北部、南部、西部、東部で、何か特徴があれば教えていただきたいのですが・・・。

本など調べたのですが、どうしても見つからなかったので。

A 回答 (5件)

その前にジャズがあって(デキシーランドジャズ)


その前にゴスペルがあって
その後に西部へ行ったのがカントリーで
北部山岳へ行ってグリーングラスになって
東部で8ビートに乗ってロックンロール
でしょうかな?
これ 調べると本が書けますよ きっと
膨大な資料ですね...

参考URL:http://camp.ff.tku.ac.jp/yamada-ken/Y-KEN/fullte …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。このURLは、今後役に立ちそうです。ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/30 18:38

ブルースのルーツは黒人霊歌であると言われているようです。


基本は12小節の独特な音階ブルーノートを使います。
演奏体系は決まりがなくその場の雰囲気で数コーラスから数十コーラスまで延々と繰り返す場合があります。

それがJAZZになりポピュラー音楽になりロックになっています。
私はJAZZ BASSの演奏者ですがすべてのJAZZの基本はブルースにあります。
参考URLを添付します。
興味があれば覗いてみてください。

http://www52.tok2.com/home/crescendo/jazz/topic. …

参考URL:http://www52.tok2.com/home/crescendo/jazz/topic. …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。このURLは非常に参考になりそうです!ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/30 18:35

追伸です。



『ブルーノート』で検索してみてください。
面白いほどHITします。
私は今まで演奏することばかりに気をとられていましたが目から鱗です。
この様な機会を与えてくださったakceyさんに感謝します。
    • good
    • 0

 ブルースの源流を調査する研究家は大勢おり(北米では、大学での民俗学や歴史の卒論になったりもしています)、ナニがブルースの発祥か?とゆぅ話は諸説あるので、そのブルースの変化形態も、完全な系統は解明されていないと思われます(ブルースやハワイアンなど北米の民族音楽研究家にして、現代のスライド・ギター・プレイヤーの頂点に君臨する2人のミュージシャン、ボブ・ブロウズマンとライ・クーダーは大変仲が悪い事で有名ですが、それは民族音楽に関するお互いの説があまりに違い、論争で大ゲンカをしてしまったから、と言われています)。


 勿論、ブルース発祥当時は教育レベルが非常に低い(=文字が書けない)黒人奴隷間で流行ったので正確な記録が無く、益々その伝承が難しくなってしまっているとゆぅ事もあるでしょう。

 ただ・・・・国会図書館による南部での巡回録音とその時の調査などである程度の解明がなされており、断片的な情報をつなぎ合わせると、以下の様な当時の状況が見て取れます。

1.ブルースはミシシッピの中洲(=デルタ地方)か、テキサスの綿花畑の労働者階層(=黒人奴隷です)のどちらか辺りで生まれたと言われていますが、先世紀初頭のチャーリー・パットンの活躍により、ワタシはデルタ地方が発祥である、と考えます。

2.最初のブルースは奴隷の間でも『悪魔の音楽』と言われ、子供が聞くモノではないとされていました。
 当然ブルースマンはカタギとは見なされず、ひたむきに生きているマジメな労働者達からは、チンピラの様に思われていました。(当時のブルースマンが皆一様にスーツを着込んでいるのは、『ブルースマンと判ると警察から目を付けられ、つまらない事件が起こるとすぐ犯人にされてしまうので、見た目は成功したビジネスマンを装う必要があった』とのことです。)
 ブルースが黒人霊歌として黒人間で市民権が得られるのは、ずっと後になってから、です。

3.ここでゴスペル(=バプテスト教会の賛美歌)が出て来ます。バプテスト教会に集う黒人の殆どが聖書を読めないので歌にして『教え』を布教していたワケですが、この歌をブルース調にするヤツが登場しました。
 当時最も有名だったのはサンハウスで、彼はブルースマンでありながら、同時に宣教師のライセンスも取得していました。彼は聖書を書いた者の名や最愛の者が死んだ時の祈りを、手拍子やオープンGチューンのギターから絞り出す『魂のスライドプレイ』で歌い上げました。(今日、晩年のサンハウスの映像がビデオとして販売されていますが、そのプレイは凄まじいの一言です。これが本物のブルースだとするなら、今日のブルースは全て単なる歌謡曲に見えてしまいます。)

4.このサンハウスの『追っかけ』だった不良少年が、今日ではヘビィでスローな8ビートでブルースロックの原型を作った者として、後にエリック・クラプトンやキース・リチャーズなどにもハンパでない影響を与えたロバート・ジョンソンです。
 ついでに。デルタ・ブルース時代の終焉を飾るスーパースターであるロバート・ジョンソンは、クロス・ロード(=交差点。ブードゥー教では、霊界と現世をつなぐ地点とされています)で悪魔と契約し、今日ではブルースのスタンダードとなっている24曲を手にした、とゆぅ話は有名です。悪魔に魂を売った彼は、若干27歳で毒殺されてしまいました。この話からも、如何にブルースがいかがわしい邪教に魅せられた音楽と思われていたかが判ります。

5.一方もっと内陸では終身刑を食らった、ブルースが妙にウマい殺人犯がいました。レドベリィと呼ばれるブルースマンです。
 彼は、愛するヒトや日々の生活を、12弦ギターを使って素朴に歌い上げ大変人気がありました。その人気のおかげで、殺人犯でありながら州知事の特赦で釈放されたぐらいです。
 ワタシはこの辺りを、ブルース・フォーク発祥と見ています。

6.やがてブルース・フォークには、あのウディ・ガスリーが登場します(後にボブ・ディランが彼のプレイやライブのスタイルを忠実にパクッたのは有名です)。放浪の旅に出た先で見た物を、その場で歌にして演奏する彼の登場によって、フォークソングのスタイルが確立しました。

7.さてデルタ・ブルースの方は、川を遡りシカゴに到達します。既に大都会だったシカゴにはレコード会社やラジオ局や大きなライブハウスがあり、音楽で成功する為の要素が全て揃っていました。
 最初デルタ地方で鋭いスライドブルースを奏でていたある男が、大成功を夢見てシカゴに流れてきます。そしてそのたぐいまれなブルースのセンスにより一躍シカゴで有名人となり、やがてその名声は全米に轟きます。
 その男こそマディ・ウォーターズです。シカゴブルースが確固たる市民権を得た瞬間です。
 勿論この路線は、今日ではクラシック・ブルースの派生として最も有名な一派となっています。

8.一方、チャーリー・パットン~サンハウス~ロバート・ジョンソンと来たデルタ・ブルースの『直系の』生き残りが登場します。エルモア・ジェイムズとその親友、ハウンド・ドッグ・テイラーです。
 彼らはスライド・プレイとシャッフル・ベース・ランを極限まで追求し、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどとは違う、あくまでもプリミティブなブルースを伝承しました。よって、シカゴブルースほどゴージャスなバンド編成もありませんが、そのギターの『チカラ技』は、サンハウスなどのクラシック・ブルースマンに源流を見出す事が可能です。
 彼らの路線は、今日ではジョージ・ソログッドなどが追求しており、よりハードでヘビィで『不良っぽい』ブルースへと進化しました。

9.さて、この時代になるまでに、ブルースは一旦滅んでしまいます。それはジュークボックスの普及によって、でした。レコードに吹き込むチャンスなど殆どないデルタ・ブルースマンにとってのステージは飲み屋でしたが、店にとってはジュークボックスの方が維持費が安いので、多くのブルースマンが‘30年代が終わる頃には駆逐されてしまいます。
 しかし、‘50年代にまた巡回録音が再開され、これらクラシック・ブルースが復活します。そして‘50年代には音楽産業が確立しており、国際的なビジネスも展開されていました。当然北米で『再発掘』されたブルースマンも『輸出』される事になり、マディ・ウォーターズやエルモア・ジェイムズがイギリスに渡りました。(ビートルズの映画『レット・イット・ビー』でジョン・レノンがスライドギターを弾きながら「エルモアのマネじゃないよ」と言いますが、あの頃にはそれほどイギリスでもメジャーになっていた、とゆぅワケです。)

・・・・以上長くなりましたが、とりあえずクラシック・ブルースとその移り変りについて述べてみました。

 で、最後に余談ですが、ついでに。

 北米の民俗音楽とゆぅとカントリーも有名ですが、カントリーとブルースは大筋では関係がありません。
 映画『タイタニック』で、ディカプリオがアイルランド人のパーティに混ざって踊るシーンがありますね?あのバックに流れている音楽はアイルランド民謡ですが、フィドルの使い方など、カントリーやブルーグラス、ドォーグミュ-ジックなどにソックリなのにお気づきではありませんか?
 カントリーとは、実は北米建国初期にアイルランドから渡ってきた移民の音楽が発祥です。彼らは最初、北部の山岳地帯に住み着いたので、当初はマウンテン・ミュージックなどと呼ばれていました。
 今日ではカントリーはもっと南西部の音楽の様に思われがちですが、このアイルランド移民達が西部開拓時代に大活躍したので、マウンテン・ミュージックも南西部に流れ、そこで根付いたとゆぅワケです。

この回答への補足

非常に詳しい回答をありがとうございます。ところで、ブルース自体に変化はなかったのでしょうか?1つ本で読んだのは、
「南部のブルースは話し言葉的(ホラー的?)で、叫んだり金切り声を上げたり、という感じだったのが、北に行くにつれて、つまり、白人率が高くなるにつれて、より音楽的になった。」
だそうです。北から東、又は西に移っていく際、このような、音楽的な変化というものはなかったのでしょうか。

補足日時:2002/05/30 18:29
    • good
    • 0

 御質問頂いたので更に回答です。



>ところで、ブルース自体に変化はなかったのでしょうか?

 御指摘通り、白人のブルースは音楽性が強い様に聞こえますが、そこまでの遍歴とゆぅモノはよく判っていません。
 今日では、デルタ地帯で発生したブルースが川を遡ってシカゴに到着した事は判っていますが、その他への移動は、正確なルートが解明されていないはずです。ブルースのシカゴ以外への旅は、あくまでも憶測の域を出ないでしょう。

 シカゴはミシガン湖畔でこれ以上の北上を考えるのは意味がありませんし(フランス文化が強いカナダに入ってしまいます)、また、深南部であるミシシッピ川流域より南部とゆぅとフロリダ半島ぐらいしか残っていませんので音楽的なムーブメントとしましてはかなり局地的なモノであると考えられます(更にフロリダ先端はマイアミです。ここは、ニューオーリンズの影響よりバハマ、ハバナ、キューバ等の影響が強かったと想像されます)。
 よって、西部と東部への移動について考えてみました。

 19世紀末~20世紀初頭の西部での一般的な第一次産業は農業ではなく牧畜ですので、奴隷とゆぅ労働力はあまり重要では無かったと思われます。故に、奴隷文化であるブルースが広く西部劇の世界に浸透したとは考え辛いところです。
 ただ、ヒューストン・ブルースなるジャンルは存在します。これはよりカントリー色の強い音楽で、当然デルタ・ブルースよりしっかりしたメロディを持っています。

 さて白人のインテリ層が住む東部ですが、東部へのルートは全く判りません。こちらへは恐らく、シカゴに到着したブルースがラジオやレコードで東部に流れたのではないかと思われます。

 つまり白人のブルースは、キチッと譜面が起こされ、バンド形式のアレンジも加えられた、ショーとしてのブルース(=シカゴ・ブルース)が発祥であった為に、最初からより高い音楽性を持っていたのではないか?と想像されます。

>南部のブルースは話し言葉的(ホラー的?)で、叫んだり金切り声を上げたり

 デルタ・ブルースが話し言葉的であったのは、それが始まった環境とも無縁ではありません。

1.ブルースマンの音楽的教育レベルが低く、複雑な音楽通論を駆使出来ません。
 デルタ・ブルースの中には、Gの1コードだけで演奏されるモノもあります。こんな伴奏では、メロディアスな構成は自ずと不可能になってしまいます。

2.電気的なアンプリファイアが無く、多くのヒトに聞いてもらうには大声をハリ上げるしか手がありません。
 当時はメディスン・ショーと言うモノがありました。これは、旅の薬売りが客寄せに開くライブ・ショーですが、デルタ地方では多くのブルースマンがこのショーを活動の場としていました。
 デルタ・ブルースの父と言われるサンハウスは、後に『とにかく力一杯大きな声を出してお客を集めないと、薬屋から出演料がもらえなかった』と語っています。怒鳴る=歌だったとするなら、やはりメロディなどに拘っている余裕は無かったでしょう。

 以上の様な事情があり、デルタ・ブルースは甚だ話し言葉的な歌になってしまったのではないでしょうか?(そして、この話し言葉ブルースの中でしっかりしたリズムとメロディを打ち出した最初のブルースマンがロバート・ジョンソンだったと思われます)

 ワタシ個人としましては、シカゴ・ブルースは立派なメロディとゴージャスなアレンジを持つ、しっかりした音楽であると考えています。白人がブルースを演奏する前に、既にブルースは高い音楽性を身に付けていた、とゆぅワケで、言い方を変えるなら、黒人のブルースが話し言葉的なのでは無く、デルタ・ブルースだけが特殊なモノだったのではないか、と思います。

 今日、白人のブルースがより清潔でオシャレなイメージを持っているのは、音楽性を取りいれたからでは無く、白人には黒人の民族性から来るリズム感や言い回しが再現出来ないからではないか、と考えます。(よりリズムやイメージを強調したファンクやソウルは今でも黒人の天下ですが、そのあたりが関係している様な気がします)。

 
 
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!