映画のエンドロール観る派?観ない派?

大学の課題で「女性の心理」についてレポートを書くのですが、
女性の心の成熟という本と神話にみる女性のイニシエーションという本を読んでいます。
それで、プシケーとエロースの神話から女性の心理を探ろうと思っているのですが、行き詰まってしまって困っています。
なにかよい情報があればヒントが欲しいなぁと思い質問してみました。

自分のレポートなのに質問するなんて悪いと思っているのですが・・・
お願いします。

A 回答 (2件)

 


これについては、紀伊国屋書店の本に、オウィディウス・ナッソの「転身物語」のなかの「愛と心の物語」の分析を通じて,女性の心理的発達を論じた本があったはずです。30年ほど前の本で探しても出てきません。図書館にはあるかも知れません。

オウィディウスのこの話は、非常に美しい娘となったプシケ(Psyuchee プシューケー=心・魂,女性名詞)に対し、美の女神アプロディータ(ローマ名ウェヌス、通常ヴィーナス)が嫉妬し、このような娘には、世界で一番醜い男がお似合いだと、息子の愛神エロース(Eroos,男性名詞)に命じて、世界で一番醜い男と、プシケーを結びつけるよう、その銀の矢で、娘と醜い男を射て、二人を結びつけるよう命じます。

エロースは、ところが間違って銀の矢で自分を傷つけてしまい、自分自身がプシケーを恋するようになります。エロースは、託宣によって、もっと恐ろしい神・怪物の花嫁としてプシケーを差し出すように命じ、プシケーは山の奥で、エロースの宮殿に住みます。しかし、エロースは夜だけしか姿を現さず、プシケーを愛してそのまま、消えるという生活を営みます。

プシケーの姉二人はプシケーを訪ね、その豪華な生活に嫉妬し、プシケーを炊き付けて、夫は、恐ろしい大蛇の類だと言います。プシケーはその言葉を信じ、ナイフを持って、エロースの眠る寝室に近寄り、灯火のなかで、初めて美しい若者のエロースを見ます。しかし、エロースは灯火の蝋の落ちた熱さに目覚め、プシケーを残して夜の闇のなかに消えます。

プシケーはエロースを本当に愛するようになり、その姿を求めてさ迷います。しかし、エロースの母ウェヌスは、プシケーに課題を出し、プシケーはその課題を克服して行き、最後にあわやというところで、エロースが出現し、エロースの助けで課題を達成し、ウェヌスはプシケーを許します。

こういう筋の話なのですが、プシケーのエロースに対する「愛」は二段階になっています。あるいは三段階かも知れません。「愛(エロース)」とは何か知らないままに、愛に愛され、愛を愛していた段階です。プシケーの心(プシケー)は闇で無意識で、「無自覚」であるのです。

また「愛(エロース)」とは何なのか、プシケーには「未知」に留まっています。それは恐ろしい醜い怪物だと聞かされています。そしてこういう状態にプシケーがあるのは、母親ウェヌスの意図です。

しかし、プシケーには好奇心が生まれ、自分(心)を奪う愛(エロース)とは何なのか、本当に怪物なのか、確認しようとします。そこで、プシケー(心)はエロース(愛)の真の美しさを,瞬間、暗闇のなかで認めます。愛とは、心が考えていたものとは別のものだったのです。

これに続くプシケーの課題と困難は、ウェヌスが出したものです。ウェヌスは息子エロースとプシケーのあいだに立ち、プシケーを愛に近づかないようにし、プシケーに苦難の課題を出します。

プシケーは暗闇のなかで一瞬見たエロースの美しさを信じて、ウェヌスの課題と闘い、自己成長して行きます。プシケーは成長するのですが、ウェヌスを倒すのではなく、最後の試練で愛に救われ、母親であるウェヌスは、プシケーを認めます。

これは、女性の思春期から成人への「心理的発達」を寓意した話だとも解釈されます。

西欧の男性の思春期かた成人への心理的発達の過程では、これと違って、龍・ドラゴンが奪い隠している乙女への愛と、龍への挑戦、その過程での試練と成長があります。乙女は龍に囚われているなかで、青年に勇気を与えます。こうして青年は試練をくぐりぬけ、十分な力を蓄えると、龍・ドラゴンと対決し、終にドラゴンを倒して、乙女を獲得し、ここで「英雄」として、新しいドラゴンとなります。

そして英雄と乙女のあいだの息子が再び、龍との闘いのため、自己を鍛練し発達して行くという過程が繰り返されます。

男性と女性の心理的発達では、どこが違うかというと、男性は龍つまり父親を倒し、母親の似像である乙女を獲得して、一人前の男になるということです。

他方、女性は、愛は向こうの方から訪れるのですが、愛の腕のなかで、愛とは何か知りません。少女の心は、愛については、暗闇で無知・未知の状態にあるのです。しかし、好奇心で愛=エロース=男性の姿を見ようとした時、そこに意外なものを知るのです。

自分が知った「愛の真の姿」を手に入れるため、乙女のプシケーは試練に出会うのですが、それは男性の場合、父親がその障壁であったように、ウェヌスという母親を障壁になります。しかし、男性と女性で違うところは、男性は、父親を殺し、新しい英雄・王となるということです。女性は、母親=ウェヌスを倒し殺すのではなく、エロースに救われて、成長の課題を達成し、成人した女性となって、ウェヌスの許しを得る、つまり、母親たちのグループの一員になるとも言えます。

類型的ですが、男性の心理的発達は、父親を殺すという意味で、「超越的」であるに対し、女性の心理的発達は、母親=ウェヌスに受け容れられるという意味で、「内在的」なのです。

男性は自分より力ある龍と直面することで、イニシエーションが始まり、龍を倒し、その娘=乙女を手に入れることで、イニシエーションが成就します。女性は、外から訪れた、あるいは無自覚の闇に出現した「愛」に魅惑され、その再会を求めて苦難の旅をします。無知の心の愛の自覚がイニシエーションの開始で、愛を昼間の光で認められるようになり、ウェヌスに認められることがイニシエーションの成就です。

男性のイニシエーションは文化的超越で、乙女を奪うことになり、女性のイニシエーションは、文化的内在で、若者を母と共有することになります。
 
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プシケーは、「結婚しないといけない。

」というような抑圧を表しているのではないかと思います。

参考URL:http://www.d6.dion.ne.jp/~jwindy/sinri.htm
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