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昔の住宅(昭和初期~戦後)では、照明器具の配線や、コンセントの配線もすべて露出配線になっていますが、
これが、照明だけ屋内配線でコンセントは露出配線の状態になり、これらの露出配線が、屋内配線になったのはいつ頃の時期でしょうか?
あと、電話線を屋内配線にするようになったのはいつ頃でしょうか?
それと、テレビアンテナの配線を屋内配線にするようになったのはいつ頃でしょうか?

A 回答 (3件)

>昭和初期~戦後)では、照明器具の配線や、コンセントの配線もすべて露出配線になっています…



何歳ぐらいの方か存じませんが、「すべて露出配線」とまで断定できますか。
その時代でも、天井裏いんぺい配線はありましたよ。
もちろんゴム絶縁電線のがいし引きで、天井の中にローゼットがあり、天井貫通部分は袋内コードを「はとめ」で保護したものです。

金属管を壁の中に埋め込んだコンセント配線も、ふつうにありました。
「埋込コンセント」自体も、昭和初期にはあったはずです。
ふつうにといっても、公共の建物とか、住宅なら豪邸に限られますけど。

そもそも庶民の家に天井など、はってなかったですね。
庶民の家で、1階の天井は 2階の床裏がそのまま見えるだけが多かったです。
いんぺい配線がふつうに行われるようになったのは、VVF や VVR ケーブルが流通し始めた昭和 30年代初頭と考えて差し支えないでしょう。

もう少し前で IV 電線が出回り始めた頃としても良いかも知れません。

電話線が単独でいんぺい配線されるようになったのは、電電公社が民営化された昭和 60年以降のことです。
電電公社時代は、配管のみ電気工事業者が施工し、通線は電電公社の仕事でした。

テレビ配線は、やはり 1軒の家にテレビが複数台置かれるようになった高度経済成長期 (東京五輪前後) 以降のことです。

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何年か前の雑誌『電気と工事』にそのような記事が特集されていました。
興味があるなら、大きな図書館に行けば探せるでしょう。
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私の子供の頃の家、関東大震災で建て替えた家です。


「電気は危ないから」という理由で、全部木せんぴ配線です。木の筒を作って名かに電線が入っていました。
それから、北海道岩見沢駅、家事で燃える前の易者です。これも木せんぴだったはずです。

今住んでいる地区に電気が入ったのが、戦争の前後。私の家に電気が入ったのは、その後。スイッチは危ないので木せんぴとしました。しかし、既に電気が入っている家はろしつです。

時代ではありません。木せんぴを飼えるかどうかの違いです。
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これは年代とお金持ちと並の方でも違います


又電気を昔引けたのはお金持ちと思います
碍子引き配線時代、お金が有れば天井2重で屋内で無く(隠蔽配線と言います)
大正時代解かりませんが、は、木でで作ったせんぴに線通し露出配線でした金属管が出来てから隠蔽配線出来る様になりました、(今80歳の電工時代です)終戦ご数年たってからと思います(50年位前?
テレビもこの時代同軸ケーブルが無いので、山の上からのアンテナから電波受けるのも電磁ホーン
等高度の知識無いとアンテナの配線出来ません故
お金持ちで無いと殆ど工事不可能時代です、

テレビ電話の配線の隠蔽は昭和30年ごろからです、
これは商品が高額で金持ち貧乏人で大きく変わります、技術と普及は貧富の差で大きく変わる時代で年数はお答えできません。
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