
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
他の歌詞を見ないと断言できませんが、木村長門守重成が慶長19年大坂冬の陣の和平交渉に、徳川家康の陣所に上使ととして赴く行列を言うものと思います。
この交渉で誓書の家康の血判が薄くて分からぬと、再度目の前で家康に血判を押させたとの話があり、その勇気をたたえられています。
ただ残念ながら、上使も血判も伝説で事実ではありません。
和平の上使は京極高次の母常光院、二位の局等で長門守ではありません。
夏の陣で長門守が壮烈な戦死を遂げた事から、このような伝説が生まれたと言われています。
この回答へのお礼
お礼日時:2008/02/17 07:41
お蔭様で、よく分かりました。一種の判官贔屓なのですね。
個人としての印象ですが、この何十年かの極端な経済至上主義以前の日本人は敗者への眼差しが温かかったように思います。
常光院、二位の局は記憶しておきます。
有り難うございました。このお答で十分ですが、寄稿の準備をされている方があっては、いけないので午前中は締め切らないでおきます。またの機会にもよろしくお願いします。
なお、手元の歌詞の一番は大久保彦左衛門の名があるものの、特に故事に触れているとは思えませんでした。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
マンスリーランキングこのカテゴリの人気マンスリーQ&Aランキング
-
56歳独身男性です。 オナニーが...
-
「づつ」と「ずつ」はどちらの...
-
課題の反対語
-
歴史的仮名遣いでの小文字表記...
-
「わいうえを」とか「やいゆえ...
-
「いずれか」と「いづれか」ど...
-
中国人の脚の長さ が、気になり...
-
過近代的って?
-
「幼少」ということば
-
人名で「かほり」で「かおり」...
-
平安時代の寝殿造り.....冬はど...
-
「1に何々、2に何々、34が無く...
-
歴史的仮名遣いの「む」
-
夜着に使っていた白い着物の名称
-
歴史上の人物で誰が好きですか
-
戦後教育でなぜカタカナから平...
-
行って見たい、は正しいですか?
-
睾丸を利用した拷問
-
地方の言語でしょうか?
-
好きな人が神社、お寺巡りが好...
おすすめ情報