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中国の歴史について最近勉強しているのですが。満州民族の清朝から漢民族の中国になったんですよね。その漢民族はもともと中国大陸のどのあたりの人たちなのですか?三国志の時代の蜀も漢の子孫の劉備ってことは、漢民族なんですよね。ってことは、魏や呉は漢民族ではないってことですか?教えて下さい。

A 回答 (2件)

漢民族というのは幅広い概念ですし、これが漢民族であるという決め手になるような定義はないと言った方が正しいです。



それでもあえて書けば、中国大陸の「中原」つまり黄河中流域に居た民族が漢民族の原型でしょう。もっと大雑把にしてしまえば、劉邦によって漢王朝が開かれますがその領域内にいた人たちすべてが漢民族でしょう。そこから言えば、三国志の魏・呉・蜀の三国はいずれも後漢の範囲内で成立していますから、住民はすべて漢民族であると言えます。

話を戻しますが、中国の歴代王朝にはいわゆる漢民族以外で征服王朝を開いたものがいくつかあります。例えば、鮮卑族の北魏、女直(女真)族の金、蒙古族の元、満州族(女真族から改名)の清などかありますが、これらの征服民族は武力はともかく人口的には少数派ですから、初期のものは次第に中国化(漢民族化)します。元や清は独自文化を保ち、漢民族とは異なる民族であり続けましたが、比較的少数民族による征服王朝ですから、統治される側として圧倒的大人口の漢民族がいたわけです。

ですから、「満州族の清から漢民族の中国になった」という表現はかならずしも正しいとは言えず、辛亥革命によって満州族を主体とする清朝政府を打倒し、漢民族が主体の政府を作り上げたと言うべきです。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございました。凄く分かりやすい文章で、とても参考になりました。僕はもっと中国について詳しく知りたいのでよろしければ参考になる書籍を教えて頂きたいです。

お礼日時:2002/10/30 01:21

漢民族という概念は最近できたものであります。


たしか、毛沢東時代のはずです。
間違ってたらごめんなさい。
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