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NHKの番組で大阪城夏の陣で
勝利した徳川軍の下級武士たちが
大阪の民衆を1000人連れ去り
奴隷としたとありました。

その中には、3歳の子供もいたそうです。
この子供をなんの役につかせるのかも疑問ですし?

日本の長い歴史の中で奴隷があったとは
知りませんでした(海外と違い民度の高い日本人には、
ないと思っていました)

過去に日本の歴史で奴隷の「制度」は
あったのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

確か、魏志倭人伝に「生口?十」と言う日本からの貢ぎ物があり、


生口とは奴隷のことであるからその頃からあったのでは。
 日本では戦闘員(武士)を殺しても、民衆を殺しません。
殊に戦国時代以降は戦闘員と生産員の区別がついていました。
生産員を殺しては、戦闘員は生きて行けません。
3才の子とはいえ、7年養えば十分な労働力となりますし、その母も、子を産む能力を実証した価値ある人です。家康の「子持ち好み」と言うのもこのへんから来ています。
なお、明治以前は「帳はずれ」(戸籍にのっていない)と言う人も多くいましたが、「納税義務がない」と言うことの様です。気楽だったようです。
 奴隷からぬける道も多々あり、これも民度の高い日本ならでは。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

大規模の組織的な奴隷制度は
なかったのですね。

やはり欧米人とは全く違う
やり方ですね。

相対的にみて日本人は、民度が高いですね。

お礼日時:2008/06/26 20:35

>日本の近くの国のニュースをみるにつけ



#13です。敢えて補足を。あなたが想定されているであろう国の一つでは「○○の起源は、我が国である」という論調が盛んだそうですが、この発想と、あなた自身がおっしゃている「日本人は民度が高い」という論調は、主張の内容が異なるだけで、精神構造は全く同じですよ。つまり、全く同じような発想(自分の国は他国よりも優れている)から、根拠のない主張(日本には奴隷制度がなかった)をしているという点。

かの国の、そうした主張をする人達と同じように、他国や、歴史的事実を知っている人達から笑いものになるから、お止めなさいと言っているのです。母国を誇りに思う気持ちなんて、自分の中に持っていれば良いものだし、そもそも外国と比較してどうこういうものではありません。あなたは他国と比較しないと、自分の国に誇りが持てないのですか?

「民度」という言葉自体よく分からない言葉です。私は、2つの国で実際に、1年以上生活をしたことがあります。今も、アメリカで生活をしています(現在旅行先のテキサスから発信中)。それぞれの国民の有り様なんて、他国と比較の対象になるものじゃありません。ある面では、アメリカ人ってどうしようもない連中だな、と思うこともありますけれど、別の面では「日本人よりもはるかに優れているな」と思うこともあります。

ここまでは「前置き」。制度としての奴隷制が、日本でよく知られていない理由は簡単で、日本では律令制度(これは儒教的国家制度です)に基づく強力な中央政府が崩壊し、慣習法で生活する時代が長く続いたからです。江戸幕府だって、最初は「庄屋仕立て」と呼ばれる簡単な機構しかなかったし、成文法としての刑法が生まれたのは、8代将軍の時ですから。簡単に言えば、日本全国をカバーする成文化された法律そのものが無かった。

逆に、「あなたが想定しているであろう国」で奴隷制度が、制度として存続していたのは、律令制度に基づく中央政府が全土に対して「法による支配」をしていたからです。#13で述べた官奴司のような役所が、存続し「合理的に」名簿を管理していたわけですね。
ローマだってアメリカだってそうです。それらの国では法律が確立していたからこそ、財産としての奴隷の定義や所有者の権利などがはっきり規定されていたわけです。だから、証拠が明白に残っている。

一般論として言えば、「法整備」がされている国と、それが無く慣習法で生活する国のどちらが「民度」が高いかと言われれば、当然前者ということになるわけです。だけど、奴隷制度について、こんなことを言ったって、違和感があるでしょう? つまり、「民度」なんて関係ないと言うことですよ。
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この回答へのお礼

ご持論の解説ありがとうございます。

やはり民度と奴隷制度は関係があると考えるのが
常識だと思います。

お礼日時:2008/06/28 21:01

>海外と違い民度の高い日本人


本当にこんな事思っているのだとしたら、奴隷制云々だけではなく、恥ずかしいから止めた方が良いです。別に日本人の民度が低いとは思いませんが、「海外に比べて高い」などというのは、夜郎自大というものです。

有無だけ言えば、当然ありました。
時代順に見ていくと、律令時代(奈良から平安初期まで)には、官奴司(やっこのつかさ)と呼ばれる役所があり、官と呼ばれる奴隷を管理していました。この役所自体は、比較的早く無くなりましたが、それは役所が合併されたためで、機能自体は当然引き継がれています。

平安中期には「下人・所従」と呼ばれる身分がありました。これはもっと分かり易く「雑人」などと呼ばれる場合もありました。私人が所有する奴隷は、(奴は男の奴隷、婢は女の奴隷)と呼ばれ、もちろん代々相続することが可能でした。

次いで、中世ですが、きちんとした日本中世についての歴史の本を読めば、「人買い」という職業があったことは、どんな本にも書かれています。謡曲「隅田川」なんていうのは、そうした事実を背景にした物語ですし、もっとポピュラーなところでは、「安寿と厨子王」の話なんてのも、安寿と厨子王が欺されて人買いに売られていく話ですよね。
売られた人は当然、奴隷にされるわけです。

平安中期以降からは、統一政権(朝廷)の律令制度そのものが機能していませんし、中世になるとそもそも全国的な法律自体がありません。慣習法の世界です。ですから法律に基づく「制度」かどうかはともかく、社会制度としての人身売買・奴隷制度は日本中で機能していましたし、慣習法としては社会的な承認もされていたことは確かです。

で、奴隷制度は、織豊政権から江戸時代初期までは、ほぼ全国的に残っていました。だから「大阪の民衆を1000人連れ去り奴隷とした」ということも起こるのです。
「名子・被官制度」と呼ばれるものがそれで、名子とは「名主などに隷従する農民で,生産手段,住居などを貸与される代わりに名主などの命じる労役に従った。生活の全領域にわたってその管理下に置かれた」ものです。在地領主では下人と呼ばれる身分がそれです。当然、売買、譲渡、相続の対象ですから、奴隷としか言いようがないでしょう。

各藩は小規模自立農民の育成(その方が生産性が高いから)に努めましたので、名子・被官制度の解消は徐々に進みましたが、東北地方では幕末まで続いています(1860年の南山騒動など)。

奴隷、というとあなたは「鞭で打たれて苦役を強制される」というイメージしか持っていないのでしょうが、制度・身分としての奴隷制度と、仕事としての苦役はイコールではありません。例えば、ローマ時代、貴族の家庭教師は奴隷のギリシア人の仕事でした。彼らは、ギリシア語・哲学・弁論術などを貴族の姉弟に教えていましたが、身分はあくまでも奴隷です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
よく日本の近くの国のニュースをみるにつけ
あくまでも相対比較ですが
やっぱり問題があるにせよ
日本が民度が高いと感じずにはいられません。

奴隷の歴史いろいろと参考になります。
もう一度読み返してみます。

お礼日時:2008/06/26 23:38

確かに日本でも奴隷制度は存在した時代があります。


この場合の奴隷とは売買の対象となる存在です。

おおくは戦争の際に捕虜として確保されて売買されたので、大阪の陣で戦闘員でない民衆を捉えて奴隷にしたというのは事実です。
戦争にあたり戦利品としての奴隷を売買する風習は認められていました。
森鴎外の「安寿と厨子王」にも兄弟が奴隷として売買された記述がある位です。  この場合も子供が対象です。

人的資源を売買の対象とする行為は全て奴隷制度と見て間違いないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

たしかに奴隷のような人の取り扱いはあったのでしょうね。

しかし、全国的な大規模で組織的でないと
いうのが外国とは異なりますね。

お礼日時:2008/06/26 23:42

制度として奴隷だったのは武士ですねw


君命は絶対順守。反抗すれば切腹ものですからね。
これほどの奴隷は世界でも稀じゃないでしょうか。
外国人は羨んでたそうですよ。
建前は立派に見えるが、内容は隷従ですからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
少し拡大解釈をしすぎだと思います。

お礼日時:2008/06/26 20:34

日本人が民度が高いというのは同感です。


しかし、差別はしっかりありました

「制度」というのが社会の慣習も含めるのかはわかりませんが、
古代から、えた()、、など社会身分制度としての奴隷のような立場の人は多くいましたよね。
明治4年の解放令までは、明確に差別されていて、同和問題なんかまだまだありますね。

法制度として奴隷は、身分上はあったとは思いますが、それはある一定の職業にしか就けないということを意味していたので、
いわゆる奴隷とはいえないかもしれませんが、えた、と呼ばれた人たちが、奴隷並みの扱いしか受けられなかったのは事実ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

日本以外の国では、あきらかに奴隷に対する取り扱い方が
違いますね。

日本の場合は、これを奴隷制度とよんでいいのかどうか
判断が難しいところです・・・

お礼日時:2008/06/26 23:40

? そんなこと言ってませんが・・・。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%9C%E4%BB%A3% …

江戸時代には上記にあるような譜代下人というものが存在した。
特に東日本では農業生産が大規模、つまり血縁関係もない「拡大家族」的な労働単位で行われており、その場合血縁関係のない人間が譜代下人と言われています。
江戸前期の各大名家の農民政策は、小規模での農家生産への転換推進であり、それにより、勧農させ、納税負担を上げる施策です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

あくまでも労働者としての扱いで
いちおう人間としての扱い方をしてきたわけですね。

お礼日時:2008/06/26 20:32

日本は異民族に占領され支配された歴史がないのは確ですから、奴隷といってもその意味内容からするニュアンスがかなり違うと思います。


例えば、ヨーロッパ、中東、中国では、何千も前から言葉も容貌も体つきも習慣も違う異民族が次々とやって来て武力で支配し、もとから住んでいた人々を奴隷として使役しました。それらの人々は生きていても将来に希望のない本当に過酷な境遇にあったことは容易に想像できます。
日本の場合は、同一血族ですから奴隷といっても、過酷な労働に従事させられたというだけだけです。先の希望がなかったわけではないと思うのです。
ご質問のとおり、日本に奴隷があったかどうかというのは学説でも争いがあるので、あったという人は、明治以後東大などで外人教師が奴隷のあつた自国の歴史を教えたので、教え子たちは一生懸命日本史のなかに奴隷を探しました、その流れを受け継いでいる人々です。古代史にあるも奴隷かどうか争いがあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

異国との戦いや異民族との戦いの経験の乏しい日本人には
奴隷という概念も発想もなかったのでしょうね。

大阪夏の陣で起こったことは
一時的なもので本来人間が持っている嫌な面が
でたのでしょうね。

お礼日時:2008/06/26 20:30

奈良時代に発布された「大宝律令」の頃には、#4さんのおっしゃる「(ぬひ)」という奴隷がはっきりと登場しています。



質問者さんも、大宝律令の「班田伝授法」というのを授業で聞かれた事があるでしょう?
6歳以上のすべての男女に、ある範囲の田を与え、死んだら返すというシステムの物です。

すべての男女とありますが、これは、「良民(りょうみん)」と呼ばれるあくまで戸籍のあるすべての男女・・・奈良時代には、貴族も含めて600万人くらいいたそうです。

その下に、戸籍の無い「(せんみん)」と呼ばれる人たちがいましたが、そのにも、「家人(けにん)」と「(ぬひ)」とがいて、家人は、奴隷のように働かされはするものの、一応、家族で暮らし、一つ所で農業に従事する事ができましたが、は、生まれたその日から売買の対象となり、家族と暮らす事も許されていなかったそうです。

こういった制度は、頂点の支配者が変わるとともに、一旦は廃止されますが、#3さんのおっしゃる通り、形を変えて生き残り、幼い子供が身売りして奉公するというのがなくなるのは、太平洋戦争の後になってからです。
NHKで「おしん」というドラマがあったのはご存知ではありませんか?
http://www.nhk.or.jp/archives-blog/2008/06/oshin …

昨日のテレビでやっていた戦国の頃の奴隷は、フィリピンやタイなどの東南アジアに売られる事もあったようですよ。
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この回答へのお礼

日本の場合は、欧米人がやった奴隷のように
鎖にしばりつけてではない
緩やかな健全な労働者として使役したのですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/26 20:28

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