プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

昔から父はよく言っていました。

幸せとは、近くにあるようで掴みようの無いものだと。

お金があれば幸せ?社会的地位、名誉があれば幸せ?

それとも愛する人がいれば幸せ?いろいろな形がありますよね。

みなさんの幸せ教えていただけたらそれは、私の幸せです。

A 回答 (17件中1~10件)

 NO16の回答者ですが、追記します。


 マザーテレサ・ナイチンゲール・聖徳太子・空海等の幸せの源は、「神仏の実在・御心を知覚していた」ことにあるそうです。
 神仏が自分を可能な限り見守り、支援して下さっていることを実感されるとともに、神仏の「人々を幸福にして行きたい」という願いも実感され、神仏と一体となって、神仏の御手足として生きて行かれたわけです。
 これはまさに、お金・地位・名誉・愛人・等々、順境にも逆境にも無関係の「不動」の境地であって、実はこうした状態こそが「幸せ」ということなのでしょう。
 なお、本には、人間が生きていく目的意義とは、幸福を感じることにあり、幸福とは、神仏の心境に近付いて行く成熟の過程そのものに感じられるものであり、またそうしたすばらしい心でもってすばらしい世界を造り上げて行き、すばらしい様々な体験を通して様々な幸福を感じて行けばいい、ということも書いてありますので、NO16に書いたような様々な幸福体験自体もすばらしいことだと言えます。
 
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 少し固い面もありますが、本で読んでスゴイ!と驚嘆したことがありますので、それも含めて自分の感じる幸せを紹介しますね。


 本には、「幸せ」で最重要なことは「天国につながる幸せ」かどうかだと書いてありました。
 なぜなら、例えば、一生他者を自分に従わせて生きた場合、当人は「この世では幸せ」に感じていたかもしれませんが、あの世に行ったら周りいるのは自分同様に他者を自分に従わせようとする人だらけ、ということで苦しむことになる、というパターンもあるようですので、まず一番大切なことは、この世で幸せに感じられることがあの世でも幸せに感じられるものであること、だと思います。
 では、天国に通じる幸せとそうでない幸せを分けるポイントは何か、と言いますと、
 天国に通じる幸せとは、少なくとも自分や他者や社会を害さない範囲で感じられる幸せ、であることのようです。
 この範囲内での私の幸せを挙げると、仕事で関係者に喜んで頂けたこと、他者からの親切に感謝が湧く時、家族がいて大変なこともあるけどトータルではいいなと思える時、限界を超えて無理し続けるよりは手離して正解ではあったとホッとする時、四季の風景に感動する時、難問が解決した時、(劣悪でない)娯楽番組で笑えるとき、食事がおいしい時、理想がある時、友人の窮地を助けてあげられた時、過去成功も失敗も両方体験して体験前の自分より成熟して来れたと感じられること、等々、というところでしょうか。
 ちなみに、よくない方の幸せを感じることは無い、というわけではありませんが、どちらの傾向が強いかということもポイントではあるようですし、ともあれできるだけ天国的な幸福の方で行きたいものです。
 なお更に、天国も心境の程度に応じて様々な階層に分かれているそうで、例えばマザーテレサやナイチンゲールや坂本龍馬やリンカーン等は、自分の問題はそこそこ解決できる上に、更に他者が真に幸せになることが自分の幸せであるように感じられる心境だそうで、こういう天使のようなより成熟した心境になって行くにつれ、幸福感はより深まって行く、と本に書いてあり、私は感激納得できました。そうなって行ければすばらしいですね。
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買ってきた冷凍の枝豆が、思いの外しっかりとした身だった時。


試しに買った奴豆腐が、案外旨かったとき。

明日に希望が持てるとき。
どん底でも自分を信じられるとき。

幸せはいつもそこにある。
五体満足で無事に生きていることが幸せです。
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だが、わが友、読者よ、君なくば、我はそも何ぞ、
感ずるところはみな独りごとに終わり、わが喜びのことばも分からない。
人間は気高くあれ、どのような状況であれ、情けぶかく優しくあれ、
そのことだけが、私らの知っている一切のものと、人間を区別する。
我らが知らずして、ただほのかに感ずる、より高きものに幸あれ、
人間は、そのより高きものに似よ、
永劫不変の、大法則に従い、
私らはみな、私らの生存の、環を全うしなければならぬ。
気高い人間よ、まず情け深く優しくあれ、
うまずたゆまず、益あるもの、正しきものをつくれ。
そして かの、ほのかに感ぜられる、より高きものの雛形ともなれ。

                    (ゲーテ詩集より)
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私の幸せ、、、それは


【愛する人と一緒にいること】です。
今は忙しくてなかなか会えない彼と、たまに会って一緒に過ごす時間が
私の人生で一番幸せな時間です。あの瞬間のために今を生きてるって
言っても過言じゃないくらいです^^
地位や名誉、お金や名声なんていらない、
彼だけがそばに居てくれればそれでいいです。

でもふとした瞬間に感じる些細な事も幸せだなぁ~って思います。
今日もそんな瞬間を何度も感じました。
テレビで大好きな彼(タレント)を見た時、補習の帰りに音楽を聴きながら風を感じた時・・・
幸せはいろんな所に転がってますよね^^
だからこそ見落としてしまったりします。。。
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お父様はだからこそ大切にしなければならないと言いたいのでしょう。


幸せって言葉で定義できるものではなく、流動的で移ろいやすく、何より無くなりやすい。
ようは人の心、自分自身の心で感じるものなんですよね。

ただ、人は幸せになるともっともっとと傲慢になる。
自分が幸せだということを忘れてしまうもの。
人間って本当におろかな生き物だと感じます。

どんなにお金や社会的地位、名誉があろうとも本人が、
「今ここにこうしてあること」に感謝をしなければ幸せにはなれません。

自分はこうして生きていること。
それが幸せです。
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何気ない小さなことでも幸せに感じられることが幸せです。



特別、地位やお金、名誉は必要ありません。
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そうだねぇ…。


以前の自分よりも、現在の自分のことが「好ましい」と感じることが出来、今の自分の方が「優れている」ということを実感するときですね。

30歳の時の自分と今の自分を比べて、失った物は、人生の残り時間のみ!
現在の予定では、65歳までは、この路線で「幸せ」を感じたい。
脂が抜けて、この流儀が通用しなくなったら、そこでまた考え直して、体勢を立て直すよ。(笑)
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皆さんの幸せ教えてとのことですネ☆



私が幸せに思うことは、今こうして無事でいることが幸せです。
健康であることも幸せに思います☆

食事を食べて美味しいと感じれることも幸せですし、
好きな景色を見れることも幸せに思います☆
好きな音楽を聴けること、花を見て綺麗と思えること、
綺麗な水が使えること、友達と話せること☆

どれも幸せだと思います☆

幸せとは当たり前のようで当たり前ではないことにあると思います☆

また、好きな人とメールできることも幸せです。
くっつくことも幸せですし、話せることも幸せに思います☆
好きな人と一緒にいることほど幸せなことはないのではないでしょうか☆

お金があることももちろん幸せです☆
社会貢献できることも幸せですネ☆

人の喜ぶことが出来ること、人の助かることが出来ること、
人のお役に立つことが出来ることも幸せなことです☆

だれかから感謝されると幸せに思いますネ☆
人を幸せにして得る幸せが本当のものなのかも知れません☆
人の幸せを願うことが出来ることも幸せなことです☆

私が幸せに思うことを紹介させて頂きました☆
ホンの少しでも幸せがあなたに届きますように。。。。。。。☆
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>みなさんの幸せ教えていただけたらそれは、私の幸せです。




私は、若い頃に望んだものは大体体験しました。過去の自分は辛いことも
あったけど今思い消せば幸福でした。
今も幸せに生きています。周囲の人のおかげだと感謝しています。

今高齢化社会を迎えて自分の幸せとは何かともう一度問い返してみると
まずは、衣食住のさらなる楽しみを増すこと。
住いは、今の住いに満足していますが、20年以内にはもっと快適な
場所でもっと広い住いに住みたいです。
衣類は、欲しい服も靴も鞄も時計もだいたい持っています。
着ることを生活の演出として楽しむ技術も身についているつもりです。
食い物は、これは道楽として死ぬまで続くでしょうが糖尿、通風にならない
ように気をつけるだけです。

働いて地位と年収を得ることは40歳までに達成されて、恋愛も
離婚を通じて一応、一生分やり終えた気がします。
あとは、経済的に安定した収入を得て、知的生産活動と労働奉仕が
できたらいいかなと思っています。

とはいえ、夢はまだいくらもあってそれが実現するのが幸せですよね。
次々と新しい夢をかなえていくのが、幸せな人生ですよね。

今が幸せでない人はどうするか。今あるものを捨てることです。
少し前の夢は、本当に自分にあったパートナーを見つけること。
これは叶いました。一つ叶うと、住いも、食生活も服も、古いものを捨て
自分にあったものが次々と手に入りました。もちろんお金もあとからですが
ついてきた。本当にありがたいことですね。

人生のハンドルもアクセルも自分が操作している。だから停滞していたら
自分がブレーキを踏んでいるだけだし、目的地につけないのは、
道を間違えたのかもしれないし、だいたいいつまでにどこにいきたいか
自分で決めていなかったりする。

人生という車のカーナビは夢。ガソリンは欲望。オイルは感謝です。
なにより大切なのは、幸福になったときに喜びを分かち合える配偶者が
いることです。一人で幸福になってもあまり楽しくないです。
鏡のない部屋で、お洒落をするようなもの。
自分の幸福を映し出す鏡が、自分の人生のパートナー。
不安になったときも互いに励ましあい、あるときは先導しあるときは
後からついてきてくれる。

よいパートナーに恵まれたら、どんな人生でも楽しく生きられると思います。
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