最強の防寒、あったか術を教えてください!

そもそも数学は何の役に立つのでしょうか?

カテに暫く登録していたら、結構QAが多いので、関心を持っている人が多いのは分かりました。
自分も好きだったので、関心はあったのだと思います。
・e^(iπ)+1=0 は美しいと思います。
・正17角形も美しいと思います。
・積分は、面積や体積が求められて便利です。
などなど、キリはありません。

しかし、たとえば、
・証明されたフェルマーの定理は何の役に立ちますか?
・リーマン予想を証明したら、何の役に立ちますか?
・大きな完全数や姉妹数を見つけたら、何の役に立ちますか?
わからないのです。

ひょっとして、数学は、
・論理的思考を磨くための方法論 or
・哲学に近い。神聖なもの。 or
・単なる学問分野で、そんなに深く考える必要はない
・or 他の物
なのでしょうか。お考えを「短く」お聞かせください。

A 回答 (15件中1~10件)

真夜中におしえてgooの数学カテをのぞいてみると、有名どころの回答者さんがいらっしゃいますね。


おそらく、毎日のように訪れているのでしょうね。

以下、僕の意見。
数学は、工学などのいわば言語として、実用的に役立っています。
でもそれは主に解析学、線型代数などで、数論や幾何のある分野はほぼ役立っていないと感じます。

同じ役立たないのなら、学校で数学をするよりも、パズルやゲームをすればいいじゃないかと思っている人も多いと思います。
それには、僕は反論できません。

数学の中のマニアックなコテコテのものは、受験制度の問題のための問題であり、問題作成者の偏った趣向の現われであり、数学嫌いの人の趣向の正反対のものであるとも思います。

あと、例えば役に立たないコテコテの平面幾何をやるのは、国語の古文・漢文のごとく、数学の古典だからだと思います。
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この回答へのお礼

言語ですね。それは範囲を限って認めます。
パズルに近いというのは、大学以降ですかねえ。
高校で微積分をやるので、やっぱり求積には役に立ちそうです。
でも、高校の一部の数学はすでにパズル化してますね。

コテコテ感もわかります。教授自分が書いた教科書を買わないと、絶対にわからない問題ばかりでしたから。

趣向すなわち趣味、お考えわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 10:11

「数学は何の役に立つのか」など,深く考えるのはナンセンスです.


「数学」をやるのは,人間である「証」なのです.

一度,下記の本をお読み下さい.

アンリ・ポアンカレ(Henri Poincare, 1854-1912)フランスの数学者の著書:
●「科学と方法」岩波書店.
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この回答へのお礼

「証」ですか!

Jules-Henri Poincaréとは、随分古く来ましたね。
藤原先生、と来るかと思ってました。
フランス人は、度量衡で大きな役割を果たしましたね。

読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 11:21

数学的思考は真偽判別を鍛える。


たとえば、最近この板で結構盛り上がった質問に
答えがどちらも「3あまり21」になるので2数は
等しいというようなのがあった。
これなどは数学的思考をもっていないと丸め込まれる。
回答の中にもこれが分からないようでは詐欺に引っか
かるというアドバイスもあったと思う。まったくその通りだ。
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この回答へのお礼

数学的思考は大事ですね。
明日の10ドルより、今の1ドル、どちらが正しいか分かりませんけど。
詐欺には引っ掛からないようにしたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 11:17


 新しいことを研究するのは、未知の世界に探検している気持ちと同じような気がします。先に何があるか分からない場合、ワクワクしませんか? また、予想して(仮説)それが当たったときの満足感や、外れたときのビックリ感は、すばらしいものです。


 既に研究された分野は、人類の知的財産ですが、役に立たないものなら現在に渡って残ってはいないと思います。「残っているということは役に立っているということ」というのはダメでしょうか?
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この回答へのお礼


新しいことはいいことです。役に立つかは別にして。


山ほど、役に立たない特許が眠っています。ご指摘はあたってません。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 11:15

 国語の文節や自動詞・他動詞を知って何の役に立つかと言われれば、自分がそれを扱う必要に迫られたり、或いは、それを知っている人と話をしたりしなければ必要はないでしょう。

同じように、数学の個々の知識(定理など)を知っていてもそれが必要になったり、それを知っている人と話をしたりすることがなければ役に立たないかもしれません。このことは数学に限らずどのような知識でも同じことが言えると思います。
 つまり、知識それ自体は必ずしも役に立つことが担保されていないということになるかと思います。
 例えば、あなたがガンダム・マニアだったとしましょう。あなたはガンダムについてのありとあらゆることを知っています。さて、そのとき、そのガンダムについての知識は何かの役に立つと言えるでしょうか。それは、同じマニア同士の人たちと交流するときには役に立つかもしれません。しかし、それ以外の状況ではほぼ役に立つとは言えないでしょう。
 数学を含め、他の知識も概ね同じことが言えると思います。

 ただ1点、他の分野と数学が異なるかもしれないことを敢えて指摘するとすれば、それは(もしいるとすれば)地球外知的生命体と交信する有効な伝達内容になり得るということかもしれません。
 地球外知的生命体が地球人と同じように論理を理解するものであれば両者の共通言語は数学になるでしょう。なぜならば他の知識は知的生命体のいる環境によって共有することができないことが予想されるからです。しかし、論理だけに純粋に基づく数学の知識は環境に左右されることなくどこでも通用するものと思われます。
 そこで、たがいに相手が知的生命体であることを認識する最初の手段は数学の知識になるかと思います。
 また、さらにゲーデルの不完全性定理により、真の命題でもそれを証明する手立てがないものが存在し、しかも、どの命題がそれに該当するか知る手立てがないということから、証明済みの命題の多寡(或いは質)によって、その文明の知的レベルを測ることができると考えられています。つまり、証明の数や内容によって他の文明と唯一比較できる観点をもちうると言うことです。
 現時点では地球外知的生命体と交信することはないでしょうが、もしコンタクトすることがあった場合には、それまで無価値と思われていた数学の証明が俄然意味を持つことになるかもしれません。

 まあ、地球外知的生命体と交信することは当分ないと考えることが現実的だとすると、数学に限らず、他の多くの知識はそれだけで生きていく上での必須の知識になることはあまりないということではないでしょうか。
 そう考えると、私は知識そのものよりも、その対象にどれだけ自分が真剣に取り組んだかの方が、後々大きな意味を持ってくるように思われます。
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この回答へのお礼

「数学を含め、他の知識も概ね同じことが言えると思います。」
すいません。成人病が生活習慣病(つまち子供も罹りえる)になった今、医学、薬学は少なくとも役に立つでしょう。
最も役に立たないのが、政治学、国際関係論、経済学、経営学。なぜ、国同士ないし国内同士は戦い、大会社はつぶれるのか。

さておき、
地球外知的生命体と交信する有効な伝達内容になり得る
のは、いい答えです。

「どれだけ自分が真剣に取り組んだかの方が、後々大きな意味を持ってくる」 企業勤めの私もそう思います。

お礼日時:2008/09/20 11:13

人類にとっては「他の物」に属すと思います。


数学で飯を食っている人は別にしておきますね。
まず、数学は基本的には道具であると理解した方が良いと思います。
確かに現在必要とされていないし、この先もずっと社会に必要の無いような数学の分野もあります。
しかし、その道具を使うことによって初めて説明可能な現象や、初めて可能になる技術というものがこれから少なからず出てくると思います。
例えば、「今持っている数学の知識が、全て何らかの技術に全て応用しつくされた」という時代が来たならば、そこで人類の技術の進歩は終わると考えられます。
数学は「役に立つもの」ではなく、「人類が持つ知識の最後の砦」だと思ってかまわないのではないでしょうか。
本質的に、数学はすぐさま社会の役に立たなくて当然なのです。
そしてそれが数学が他の学問と比較して最も誇れるところなのだと考えています。
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この回答へのお礼

道具ですね。選択肢に入れるのを忘れてました。

「これから少なからず出てくると」が曲者です。本当にそんなことがありますか?1年に1回もありますかねえ。こんなにたくさんの人が数学に取り組んでいないといけないのにすごく低確率です。私は、進歩も期待していないかもしれません。電気自動車も、リニアも実現化しました。一般化するのはもう少しかかります。インフラができれば、あとは、需要と供給の問題で、別に大阪へは新幹線の方が安くていい、という人が多いかもしれません。現に、コンコルドはなくなりました。

「人類が持つ知識の最後の砦」もいい響きです。でも、知識はインターネットで満ち溢れています。むしろ、工学のノウハウの方が役には立ちます。ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 11:01

私は数学に憧れているものですが、ほとんど数学はわかりません。

ですから数学が役に立つかどうかもわかりません。その前に役に立つということがどういうことかもわからないのです。数学では定義というものを大切にしますが、前提があってはじめて定義が可能となるのではないかと想像します。ご質問の中の役に立つという定義はどのような前提から出てきているのか知りたいと思います。質問本文を読ませていただいても私にはよくわかりませんでした。
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この回答へのお礼

私も知りたいです。
数学も自然科学の一部でしょうから、自然由来でしょう。
かつてのアフリカ人の或る集落で狩る動物の数を「1、2、たくさん」と数えてました。数の定義は人によって変わります。でも、本来の数学は、自然しいては宇宙に由来するものでしょう(繰り返しになりました)。

高校までは私も憧れていたのですが、数学のコマは論理記号のみで板書されており、出る気がしなくなったなあ。。。

ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 10:46

こんばんは。



【実生活で役になっているもの】
・比例・反比例、一次関数、一次方程式、連立方程式
 ・遠くのスーパーに特売品を買いに行くとき、ガソリン代込みで考えて得なのかどうかの計算
   (まったく考えない場合に比べて、1日当たり、少なくとも20円は得しているはず)
 ・クレジットカードのポイントシステムの上手な使い方
   (年間、少なくとも5000円以上は得している)
 ・生命保険の契約内容を合理的にすること
   (毎月、実質2500円ぐらい抑えられている)
 ・所得税の計算
   (私の所得税の計算を事務方の人が間違えているのを発見したことがある。)
・数列、一次関数、二次関数
 ・何といっても、Excelなどの表計算ソフトを使うときに、考え方が役に立つ。


【仕事で大いに役立っているもの/役立ったことがあるもの】
・微積分、偏微分、極小極大
・逆行列(ある計算を表計算で行う際、連立方程式を自動的に解かせる必要があったため)
・二次方程式の解の公式
・Σ(数列の和)
・三角関数
・オイラーの公式

たぶん、まだあったような気がしますが、それはさておき、
-----------------------------------------------
ここからが本題です。

「短く」ですよね。

私は、役に立たない数学というのは、
文学で言えば、純文学
音楽で言えば、今日のクラシック音楽の作曲家の多くが一度は試行する、現代音楽という得体の知れない代物
美術で言えば、9割以上の人が「何これ?」という印象を受けるモダンアート
のようなものだと思っています。
その分野に関心がある人が面白いと思えば、それはそれで価値があることなのではないでしょうか。


以上、ご参考になりましたら。
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この回答へのお礼

結構、役立てておられますね。感心します。
考えたら、等比数列の和は、複利の計算と一緒ですね。

逆に純文学は、人の喜怒哀楽をさらけ出すものもあり、斬って捨てられません(私は理系ですが)。だって本屋に並ぶ時点で相応の関門を通っているから変なものはないでしょう。なお、東スポの記事はギャグです。
現代音楽は確かにわかないなあ。でも、ボサノバの歴史も浅いので、大目にみます。
モダンアートは太陽の塔が20世紀少年にも出てきます。評価があるのではないでしょうか。一部ですが。

「その分野に関心がある人が面白いと思えば、それはそれで価値があること」はわかりますが、なんで、こんなに入試とか、大学1,2年でやらされないといけないんですか? で、こんなに社会に役立ってないんですか。と率直に思ってます。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 10:40

 私は趣味でパソコンで音楽編集をするのですが、音のデータ(=波形図のデータ)を解析・編集するためにフーリエ変換の計算をよく行います。

計算自体はパソコンが行うわけですが。
 また、仕事ではWebページの作成時に画像編集をよくするのですが、その作業でもよく離散コサイン変換の計算をよく行います。
 「音楽」と「数学」の関係、「美術」と「数学」の関係は私にとっては切り離せない大事なものです。

 こんな感じで、一見すると全然関係なさそうなジャンルであっても、場合によっては実はものすごい関係あったりしていると思います。

 もしかしたら、フェルマーの最終定理を応用することにより新しい音楽技法が生まれるかも知れまんし、リーマン予想を証明することができたら新しい画像処理技術が開発されるかもしれません。

 役に立つか分からない勉強は、逆に考えると役に立つかもしれない勉強ですよね。
 フーリエ変換や離散コサイン変換が芸術に役立つぐらいなんですから、きっとどんな勉強も何かしらの役に立つんじゃないでしょうか。
 二次関数や三角関数も、実は知らないところで自分達のためになっているかも知れませんよ。見えないところで。

参考URL:http://www001.upp.so-net.ne.jp/landscape/paper/i …
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この回答へのお礼

フーリエ変換、これは役に立ちます。否定しません。
三角自体、関数がかかわる変換、これも役に立ちます。
(音楽以外でも、建設、土木に明らかに使われます)
jpegは限りのある計算速度の中でよくやってくれてます。

ただ、「もしかしたら、フェルマーの最終定理を応用することにより新しい音楽技法が生まれるかも知れまんし、リーマン予想を証明することができたら新しい画像処理技術が開発されるかもしれません。」というところに大きな疑問を抱いたんで、このQAを立たせていただきました。
私の標的は、整数論、極限、数列、大抵のラプラス変換、分厚い微積分集などに向いているかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 10:19

私の場合、日常生活の場面で、「数学が役立った」という経験は過去に一度もありませんでした。

正直言って、中学生のとき習った連立方程式は、日常生活の場面で、いまだに一度も使ったことがありません。ですから、数学を知らなくても、普通に日常生活や社会生活を送ることは可能です。現に周囲の人を見ても、数学科卒以外の人で数学を知っている人はあまり見かけません。しかし数学を学ぶことは本来楽しいことです。数学を知ることにより、知的な喜びを得ることが出来ます。とくに、個々の定理ではなく、数学を体系的な知識としてとらえることができれば、物事の本質にせまる、物の見方が出来るんではないかと思います。自分が満足すればそれでいいんじゃないかと思います。たとえ社会の役に立たなくとも。それが数学というものです。
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この回答へのお礼

楽しさですね。これは趣味に近いですね。
数学を体系的な知識としてとらえることができれば、物事の本質にせまる、物の見方が出来るんではないかと思われる人には、お目にかかったことがありません。ビッグバンにおける数学の活用はすべての起源を知る上で重要なのかもしれません。でもそれは方法論ですね。
自分自身満足、という部分は、私も納得します。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/09/20 10:04

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